アベノミクス教育の危ういところ
ただのランキング好きなのか、ランキングにしなければ何も語れないのか、いずれにしても、そこにこそ日本における教育の根幹的問題がある気がする。
アベノミクスの「第三の矢」として政府は、「日本再興戦略KPI(Key Performance Indicator=成果目標)を発表している。そのなかで教育におけるKPIを「世界大学ランキングトップ100」で今後10年間で10校以上がはいるようにする、というのがある。
その世界大学ランキングを調べてみると、いろいろあるのだが、英国調査会社クアクアレリ・シモンズ(QS)によるものと、英国出版社タイムズ・ハイヤー・エデュケーション(THE)によるものが世界的に有名な大学ランキングらしい。
どちらのランキングでトップ100に10校をいれようとしているのかといえば、THEのほうである。なぜなら政府は、現状では東京大学と京都大学の2校だけしかトップ100にはいっていない、としているからだ。
QSでは東大、京大のほかに、大阪大学、東京工業大学、東北大学、名古屋大学もトップ100にはいっている。対してTHEのトップ100には、東大と京大の2校だけである。
そのランキングの指標だが、在籍する教員による論文の引用件数や学術的評判のほか、留学生比率や外国人教員比率などが使われている。ここがポイントだが、これらの指標だと英語圏の大学ほど優位にたてる。
論文の引用件数にしても、英語による論文のほうが引用されやすい。外国人教員や留学生も、英語の講義が中心の大学のほうが集めやすい。つまり、日本語中心の大学ではランキング入りしにくい。日本固有の研究をしている教員ばかりを集めていては、とてもとてもトップ100にははいれない。
つまり安倍政権が教育で目指しているのは、「脱日本」でしかない。しかし、なぜ脱日本が必要なのか安倍政権で明確にされているわけではない。
そこのところは疎かにされて、ただランキングでトップ100にはいるための「脱日本」になりかねない。ランキングという目に見える成果ばかりを重視して、日本の大学がほんとうにだいじなものを失ってしまわないか心配である。もっとも、そんな大事なものはもともとない、という意見もあるにちがいない。