アフリカにおける対テロ戦争の激化:ソマリア、米国、ケニアをつなぐ線
アフリカにおける米軍の対テロ戦争
10月6日、米軍はリビアで、アル・カイダの支援を受けたイスラーム主義テロ組織アル・シャバーブに対する攻撃を行いました。今回、米軍はソマリア南部でも作戦を展開し、1998年にケニア、タンザニアで相次いだ米国大使館爆破事件に関与したといわれる、アル・カイダの幹部を拘束しました。
現代にあって、テロ組織が国境を越えて活動していることは改めて言うまでもなく、それにともなって対テロ戦争も同時並行的に、地域横断的に展開されています。今回の米軍の作戦はこれを象徴するものといえるでしょう。
アフリカでテロは増加している
一方で、それはアフリカにおけるテロの頻発が深刻であることの裏返しでもあります。米国務省の報告によると、2011年の1年間で70ヵ国以上においてテロ事件が発生し、約4万5000人の死傷者が出ましたが、発生件数に限ると前年比で12パーセント減少しました。同報告書では特にイラク、アフガンでの減少傾向が指摘されていますが、他方でアフリカでは前年比11.5パーセントの増加が記録されています。つまり、世界全体ではテロ事件の発生が僅かながら減ったのに、アフリカでは増えているのです。
米国は、ソマリアのアル・シャバーブ、アルジェリア人質事件を起こした「イスラーム・マグレブのアル・カイダ」、そしてナイジェリアのボコ・ハラムを特に警戒しており、同報告書でもこれらが連携する兆候への懸念が示されています。
今回、米軍の攻撃対象となったアル・シャバーブは、今年9月にケニアの首都ナイロビにあるショッピングモールを占拠する事件を引き起こしたグループです。ナイロビの事件では、60人以上が殺害され、少なくとも10名のテロリストが拘束されました。アフリカにおけるテロの拡散の背景には、貧困や格差といった社会的背景や、中東や南アジアを追われたグループが流入していることに加えて、近隣諸国のテロへの取り組みがテロ組織の標的となる悪循環があります。
アル・シャバーブからみたケニア
ショッピングモール占拠事件を起こしたアル・シャバーブは、ケニアの隣国ソマリアを拠点とします。アル・シャバーブは犯行声明の中で「ソマリアに侵攻したケニア軍の撤退」を要求しましたが、ケニアのケニヤッタ大統領はこれを拒絶しました。
ケニア政府は2011年10月、ソマリア政府の要請に基づいて、アル・シャバーブの取り締まりのために軍隊を派遣しました。ケニア軍は2012年にはアフリカ諸国が加盟するアフリカ連合のソマリア・ミッション(AMISOM)に吸収されており、いわばその活動は、ソマリア政府からだけでなく、周辺諸国からも正当と認めらたものです。しかし、アル・シャバーブからみたとき、ケニア軍やAMISOMは「ソマリアに軍事介入する外敵」なのです。
ソマリア問題の深淵と周辺諸国の関与
ソマリアは1991年に内戦が激化し、当時のバレ大統領が亡命して以来、国内の各地が武装勢力(軍閥)によって事実上管理される、「破綻国家」と呼ばれる状態に陥りました。1993年3月、国連決議に基づき、米軍をはじめとする多国籍軍が強制的に介入して事態の収拾を目指しましたが、強硬派の軍閥の抵抗にあい、結局1995年3月までに撤退を余儀なくされました。
当時のブトロス・ガーリ国連事務総長は、全ての紛争当事者の同意を得て、停戦監視や治安維持などに機能を限定した従来のPKO(平和維持活動)に代わり、当事者の同意を経ないでも場合によっては強制介入(平和執行)することを目指しました。しかし、武装勢力の強硬な抵抗により、それがいかに困難かを国連と米国は学んだのです。ガーリ退任を受けて国連事務総長に就任した、自らもアフリカ出身のコフィ・アナンが、国連の役割に限界があることを認め、各地域の問題を各地域でできるだけ解決させる方針に切り替えたことは、この経緯によります。
この背景に基づき、2000年代に入って、アフリカのほとんど全てが加盟するAU(アフリカ連合)や、東アフリカ諸国が加盟するIGAD(政府間開発機構)が、国連、米国、EUのバックアップのもと、「破綻国家」と化したソマリアにおける和平の実現にかかわっていくことになりました。
なかでもエチオピアとケニアは、ソマリアへの関与を深めました。2005年1月、周辺諸国の仲介により、ソマリア国内の諸勢力が集まった暫定連邦政府が、ケニアで設立されました。その後、暫定連邦政府はソマリアに移りましたが、これを受け入れないイスラーム過激派「イスラーム法廷連合」が首都モガディシュを占領しました。この時、暫定連邦政府の要請を受けてモガディシュを奪還したのは、エチオピア軍でした。これによって大きなダメージを受けたイスラーム勢力が、アル・カイダとの協力のもとで再結成されたのが、アル・シャバーブと言われています。
ソマリアが「破綻国家」であり続け、テロリストが外から集まる巣窟となっていることは、近隣諸国にとっても脅威です。また、1993年から95年までの経験もあり、米国や国連が前面に立つことがむしろ解決を困難にしかねないなか、エチオピアとともにケニアがその任にあたったことは、いずれもが北東アフリカの地域大国であり、そして両国が欧米諸国と外交的な友好関係が深いことに鑑みれば、いわば自然の成り行きだったといえるでしょう。
東アフリカにおける対立と摩擦
昨年9月、ソマリア軍とともにAMISOMはソマリア南部の港町で、アル・シャバーブの拠点であったキスマヨ(Kismayo)を攻撃しました。このとき、アル・シャバーブは撤退を余儀なくされ、ケニア軍がキスマヨに駐屯することになりました。ところが、ケニア軍とソマリア軍の間にいさかいが絶えず、さらにケニア軍がキスマヨでの人権侵害にかかわっているという評判がたつようになり、今年7月にはソマリア政府がケニア軍に撤退を求める事態にまで発展しました。
これに対して、ケニア軍は人権侵害への関与などを否定し、さらにキスマヨの治安が万全であることを強調しました。「当該地の安全を自分たちが担っている」と考える外国軍が、その駐留地で必ずしも紳士的と限らないことは、洋の東西を問わず歴史が物語るところで、少なくともソマリア人の間にケニアに対する反感が渦巻いたとしても、不思議ではありません。
そして、現代ではそういった事象に関する情報が、国境を越えて瞬時に世界に波及します。ケニアのショッピングモール占拠事件で逮捕されたテロリストのなかには、ソマリア籍の者に加えて、米国籍、英国籍の者もいたと伝えられています。ボストンマラソンでのテロ事件をきっかけに、日本でも欧米諸国におけるホームグロウン・テロは広く知られるようになりました。しかし、そのテロ活動の場を、自身が生活している国でなく、イスラーム主義組織が活発に活動している南アジア、中東、北アフリカに求める者もあり、ケニアで拘束されたテロリストもその一部とみられます。いわば、米国や英国に対する憎悪の縮小版として、ケニアに対する反感が域外ソマリア系人の間に広がっていることがうかがえます。
これに触発されるように、ケニア内部では宗派間の争いが激化しています。10月4日、ケニア第二の都市モンバサで、キリスト教会が放火される事件が発生しました。その前日には、アル・シャバーブと関係があるとみられるイスラーム聖職者が何者かに殺害されており、教会の放火はその報復とみられています。モンバサを含めて、東アフリカの沿岸一帯は、ヨーロッパ人が15世紀に来航する以前からイスラームが普及しており、古いキリスト教会と、これまた古いモスクがごく近くで並んでいるコスモポリタンな風情が個人的には好きでした。しかし、今やその感傷が無力なほどに、対テロ戦争の余波はこの一帯に広がりつつあるのです。
アフリカにおける対テロ戦争の定着
今回の二つの作戦で、少なくとも米軍はアル・カイダの幹部を捕えるという成果をあげました。また、ソマリア沿岸部のアル・シャバーブの拠点は、米軍やケニア軍の攻撃により、大きな損害を受けている模様です。
とはいえ、かつてイスラーム法廷連合が消滅しながらもアル・シャバーブが出てきたように、ソマリアあるいは東アフリカで今後とも過激派が出てくることは、容易に想像されます。この地域では冷戦時代に制限されていた、市場を通じた国際的な武器売買が緩和された1990年代から、大量の武器が出回っています。さらに、先述のように、ホームグロウン・テロの輸出はますます加速する勢いです。米国やそれに対する協力者への憎悪をもつ者が、武器を手に入れやすい環境にあることに大きな変化がない以上、対テロ戦争の終結はみえません。
周辺国の関与がソマリア和平を進めてきたことは確かです。しかし、その副産物として生まれたケニアとソマリアの確執にみられるように、対テロ戦争が地域内の新たな火種をも生んでいる現状は、パキスタンなどでもみられたものです。いわば、そのつもりがなくても、対テロ戦争そのものが新たな対立を生む悪循環が広がりつつあるのであり、その意味では中東や南アジアから持ち込まれてきた対テロ戦争が、アフリカの固有の条件と結びつくことで定着しつつあるとさえいえるのです。