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歴代ドラフト・トップピック(その2)1976~1984年/バニスターとホーナーは日本でもプレーした

宇根夏樹ベースボール・ライター

前回は1965年から1974年までのドラフト・トップピックを追いかけた。今回は1976年から1984年までの9人。前回の記事を読んでいただければわかるように、1975年に全体1位で指名されたダニー・グッドウィンは、1971年の全体1位でもあるので、今回は省略する。

1976年 フロイド・バニスター/左投手/ヒューストン・アストロズ

メジャーリーグで15年間を過ごし、1982年にはア・リーグ最多の209三振を奪い、オールスター・ゲームにも選ばれた。この年を皮切りに7年続けて2桁勝利を記録(敗戦も7年連続2桁)。1990年にヤクルト・スワローズ(現・東京ヤクルト・スワローズ)で9試合に先発した後、翌年と翌々年はメジャーリーグでリリーフとして投げた。息子は3人とも右投手で、長男のブライアンは2003年のドラフト7巡目・全体199位、次男のブレットは2005年の19巡目・全体563位。三男のコリーは大学までプレーしたが、ドラフトにはかからず、プロ入りもしなかった。ブライアンはメジャーリーグで5年間投げた。

1977年 ハロルド・ベインズ/一塁手/シカゴ・ホワイトソックス

シカゴ・ホワイトソックスのオーナー、ビル・ベックが、リトルリーグでプレーしていたベインズに惚れ込み、その数年後にドラフトで指名した。メジャーリーグで22年間プレーし、2866安打、384本塁打を記録。出場2830試合はトップピックのなかでは最も多い。オールスター・ゲーム選出は6度。キャリア最初の3分の1はライトを守り、その後はDHを務めた。3度在籍したホワイトソックスでつけていた背番号「3」は永久欠番だが、現在は自身がアシスタント打撃コーチとして、この背番号を使用している。なお、この年のドラフト全体2位は、1988~89年に読売ジャイアンツで投げたビル・ガリクソンで、全体3位は現ミネソタ・ツインズ監督のポール・モリターだった。

1978年 ボブ・ホーナー/三塁手/アトランタ・ブレーブス

マイナーリーグを経ずにメジャーデビューし、89試合で23本塁打を放って新人王に輝くと、翌年と翌々年は30本塁打をクリアした。ただ、この両年とも、出場は125試合に届かず。パワーは抜群ながら、体重管理と健康維持に問題があった。1987年にヤクルト・スワローズ(現・東京ヤクルト・スワローズ)でプレーし、93試合で31本塁打を記録したのを挟み、メジャーリーグ10年間で218本塁打。オールスター・ゲームは1982年に経験した。この年に全体2位で指名されたロイド・モスビーも、前年の全体2位指名だったビル・ガリクソンと同様に、読売ジャイアンツ(1992~93年)でプレーした。

1979年 アル・チェンバーズ/外野手/シアトル・マリナーズ

パワー・ヒッターとして期待されていたが、メジャーリーグでは57試合に出場し、2本塁打を放っただけで終わった。2004年にシアトル・タイムズのラリー・ストーンが書いた記事によれば、本人は「十分な機会を与えられなかった」「まずい組織にドラフトされた」と振り返ったという。ドラフト前には、アメリカン・フットボールの選手として、大学から奨学金を提示されていた。

1980年 ダリル・ストロベリー/外野手/ニューヨーク・メッツ

20代の9年間に280本塁打、201盗塁、OPS.875を記録。メジャーデビューした1983年に新人王を受賞し、翌年から8年続けてオールスター・ゲームに選ばれた。スリムな身体からアーチを描き、1988年には本塁打王を獲得した。だが、30代の8年間は55本塁打、20盗塁、OPS.804。ドラッグに溺れるなどして、才能を浪費した。息子のD.J.――フルネームは父と同じダリル・ユージン・ストロベリーは、2007年のNBAドラフトで2巡目・全体59位指名を受けた。

1981年 マイク・ムーア/右投手/シアトル・マリナーズ

14年間にわたってメジャーリーグで投げ、いずれの年も20試合以上に先発した。最初と最後の2年ずつを除いた1984~93年は、32先発&199イニング以上を10年間続けた。1989年はオークランド・アスレティックスでリーグ3位の防御率2.61を記録し、オールスター・ゲームに選ばれ、サイ・ヤング賞投票でもチームメイトのデーブ・スチュワート(現アリゾナ・ダイヤモンドバックスGM)に次ぐ3位に入った。ワールドシリーズの2先発でも好投して2勝を挙げ、チームがスウィープでサンフランシスコ・ジャイアンツを下すのに貢献した。

1982年 ショーン・ダンストン/遊撃手/シカゴ・カブス

1990年代の終盤以降はユーテリティとなり、外野を守ることも増えたが、もともとは極めて肩の強い遊撃手で、オジー・スミスがいなければゴールドグラブを受賞していたかもしれない。18年間に1597安打、150本塁打、212盗塁を記録。四球を選ぶことは少なく、1989年の30四球がシーズン最多だった。この年の前後にオールスター・ゲームに選ばれている。同名の息子は外野手。2011年のドラフトで、父と同じくシカゴ・カブスから、11巡目・全体339位指名を受けた。現在はカブス傘下のA+でプレーしている。

1983年 ティム・ベルチャー/右投手/ミネソタ・ツインズ

ミネソタ・ツインズとは契約に至らず、翌年1月のセカンダリー・ドラフトでニューヨーク・ヤンキースから全体1位指名を受けてプロ入りした。さらに、そこから1ヵ月経たないうちに、FAとなって退団した選手の補償としてオークランド・アスレティックスに獲得され、1987年9月にメジャーデビューする数日前には、アスレティックスからロサンゼルス・ドジャースへトレードされた。メジャーリーグで14年間投げ、146勝140敗、防御率4.16。現在はクリーブランド・インディアンスでスペシャル・アシスタントを務めている。

1984年 ショーン・アブナー/外野手/ニューヨーク・メッツ

控え外野手として、メジャーリーグ6年間で392試合に出場するにとどまった。同じく外野手だった兄のベンも同年のドラフトでプロ入りしたが、こちらはモントリオール・エクスポズ(現ワシントン・ナショナルズ)の5巡目・全体119位指名で、メジャーリーグに昇格することはできなかった。

ベースボール・ライター

うねなつき/Natsuki Une。1968年生まれ。三重県出身。MLB(メジャーリーグ・ベースボール)専門誌『スラッガー』元編集長。現在はフリーランスのライター。著書『MLB人類学――名言・迷言・妄言集』(彩流社)。

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