イチローが塗り替えられなかった代打のシーズン安打記録。最多の打者はまさに「切り札」だった
今シーズン、イチロー(マイアミ・マーリンズ)は代打として27安打を放った。これは1995年のジョン・バンダー・ウォルに次ぎ、シーズン代打安打の歴代2位に位置する。
1位のバンダー・ウォルは、メジャーリーグで14年間プレーしたものの、イチローとは違い、殿堂入りするほどのキャリアは築けなかった。それどころか、オールスター・ゲームに選ばれたこともなく、規定打席に達したのも2001年の1度きりだ。
1995年も打席は118と少なく、先発出場は5試合(一塁3試合、レフト2試合)にとどまった。この年、バンダー・ウォルがプレーしたコロラド・ロッキーズには、一塁にアンドレス・ガララーガ、外野の両翼にダンテ・ビシェットとラリー・ウォーカーがいた。彼らは三塁を守るビニー・キャスティーヤとともに「30本塁打カルテット」を形成し、クアーズ・フィールドの前を走る通りから「ブレイク・ストリート・ボンバーズ」と呼ばれた。バンダー・ウォルが割って入る余地は、まったくなかった。
それでも、バンダー・ウォルは「代打の切り札」として、創設3年目のロッキーズがワイルドカードを獲得し、初のポストシーズン進出を果たすのに貢献した。出場105試合のうち92試合で代打として起用され(うち7試合は代打の代打を送られた)、打率.389を記録した。これに12四球と1犠飛を加えると「成功率」は48.2%(41/85)に達する。その他にも、5打席で走者を進塁させた。
シーズン成績からすれば、バンダー・ウォルのベスト・イヤーは2000年だろう。この年はピッツバーグ・パイレーツで461打席に立ち、打率.299、出塁率.410、24本塁打を記録した。しかし、記憶に残るという点では、1995年に軍配を上げたい。
2004年を最後にユニフォームを脱いだバンダー・ウォルは、スカウトに転身した。現在は、アリゾナ・ダイヤモンドバックスで働いている。