ドキュメンタリー映画で告発された“くすぐりビデオ”の黒幕、そのサイドストーリー
※この記事は、映画『くすぐり』の結末を踏まえた内容です
インターネットでの暗躍
Netflixで昨年11月から公開されているドキュメンタリー映画『くすぐり』(原題”Tickled”/日本劇場未公開)。それは、ニュージーランドのテレビ記者、デイビッド・ファリアーが、ネットで見つけた謎の「くすぐりビデオ」の背景を探ると、怖ろしい現代社会の暗部に行き着くという内容だった。
この作品が明らかにしたのは、その黒幕が元高校教師で法律事務所の顧問を務めていた中年男性デイビッド・ダマートということだった。女性を偽装した彼は、親の遺産で「くすぐりビデオ」を制作し、出演した若い男性に嫌がらせをするなどしていた。
犯人を追うその展開はミステリー映画のような面白さもあるが、同時に伝わってくるのは、ダマートの病的とも思える不可解な行動だった。彼はゲイ向けのようなフェティッシュビデオを制作しながらも同性愛をひどく嫌悪し、利害関係を考えずに感情を爆発させる。こうしたダマートの人物像については、「奇妙な“くすぐりビデオ”の怖ろしい裏側を暴いたドキュメンタリー映画──『くすぐり』がたどり着いた暗部」で推理したとおりだ。
この映画は、観賞者にさまざまなことを伝えてくるが、そこであらためて確認すべきことは、その舞台がインターネットだったことだ。ダマートはウェブサイトでビデオの出演者を募集し、その出演者に対してYouTubeなどで嫌がらせをしていた。映画のきっかけもファリアー監督に送った罵倒メールであり、女性に偽装していたのもインターネットだからこそ可能だった。
つまりダマートが暗躍できたのは、素性を隠せるインターネットだったからだ。
96年から活動していたダマート
映画のなかで、ダマートの存在は早い段階で浮かび上がる。複数のジャーナリストが、過去にダマートの記事を書いていたからだ。そこで明らかとなったのは、ダマートが90年代からネットで女性の名を騙り、若い男性からお金や物品と引き換えに「くすぐりビデオ」を送ってもらっていたことだ。しかも2001年には、「くすぐりビデオ」の出演者が所属する大学にサイバー攻撃をし、逮捕され収監までされていた。
実はこうしたダマートの過去について、詳しく書かれた本がある。しかも、映画が公開される12年前に出版されていた。それが、ブライアン・マクウィリアムスの『スパマーを追いかけろ──スパムメールビジネスの裏側』(原題”Spam Kings”/夏目大翻訳/2004=2005年/オライリー・ジャパン)だ。
この本は、書名どおりスパマーと、それを追いかけるアンチ・スパマーについて書かれている。そこに登場する多くのスパマーのほとんどは、ビジネスのために大量にスパムをばら撒き、インターネット黎明期から強く問題視されていた。筆者にとっても、この本は非常に記憶に残る一冊だ。というのも、日本語版が出版された直後に『週刊アスキー』の依頼で書評を書いたからだ。ブログやSNSの黎明期だった当時、インターネットで可視化された妙なひとびとの姿(それはアンチ・スパマーも含む)が印象深く記憶に残っている。
そうした多くのスパマーのなかで、ひとりだけ奇妙な存在がいた。それが、テリ・ディシストという女子大生だった。それがダマートの仮の姿だ。この本のなかでディシスト(ダマート)の存在が浮いているのは、スパムによるビジネスを目的としていなかったからだ。ディシストは、金品と引き換えに「くすぐりビデオ」の郵送をお願いするスパムメールを大量にばらまいていた。
ディシストの活動が始まったのは、インターネット黎明期の1996年のことだ。標的とされたのは、若い男性が多く集まるロックバンドのニュースグループなどだった。もちろんそれはすぐに多くの苦情を呼び、問題視されるようになる。しかしディシストは、敵対するアンチ・スパマーに大量のメールを送りつけるなどの嫌がらせをして、さらに敵対視される。
しかし、このときすでにジャーナリストがディシストの素性を探っていた。それが映画『くすぐり』にも登場する、ハル・カープだ。アメリカでもっとも部数の多い月刊誌『リーダーズ・ダイジェスト』の記者だったカープは、同誌2000年4月号にテリ・ディシストが実は男性であり、「追いかけていた側が今や追われる側になった」と書いた。このときカープはすでにディシストの素性、つまりダマートの存在を把握していた。匿名のハッカーが入手した、ダマートの詳しい情報を譲り受けていたからだ。
ダマートが起訴されたのは、その1年後だ。39歳だった彼は、当時ニューヨーク州ロングアイランドにあるウェスト・ハムステッド高校の教頭を務めていた(Internet Archiveに残る過去の同校HPで、たしかにダマートの名は確認できる)。罪状は、「くすぐりビデオ」への協力を拒否した複数の男子大学生に大量のメールを送り、ふたつの大学のサーバをダウンさせたことだった。これによってダマートは教職を辞し、司法取引をした後に更生訓練施設に収監される。刑期は6ヶ月で、これとはべつに2大学に対して2万ドルを超える賠償金を支払っている。
こうした情報は映画『くすぐり』に要約されているが、いくつか触れられていないことがある。
ひとつは、ダマートが明らかに小児性愛者である証拠をハル・カープが掴んでいることだ。
もうひとつは収監直前に、ダマートを追っていたアンチ・スパマーと、ダマート本人がメールでやり取りしていたことだ。ダマートは「今後のことは何も心配いらないと思っています」「ボストンで判決を受けた時に会えなくて残念だった。いずれニューヨークに来て欲しい」といったメールを送ってきたという。これが2001年8月のことだ。
00年代のダマート
ダマートの存在は、それから影を潜める。
映画『くすぐり』のファリアー監督の調査によると、ダマートは2002年の2月に刑期を終えた後、大学のロースクールに通って弁護士資格を取得する。そして、父親が代表を務めるニューヨークの大手弁護士事務所・ダマート&リンチ社の顧問となる。
この2000年代におけるダマートについては、わからないことが多い。たとえば映画では、最後に彼の継母が登場する。しかし、彼が所属していたのは実父の法律事務所であり、継母は彼の実母がとても過保護だったとも証言する。つまり、実の両親に育てられながらも、ダマートは養子に出されている。なお、ダマートの実父・ジョージは2007年に亡くなっている(『ニューヨーク・タイムス』2007年7月6日)。
ダマートがふたたびネット上に姿を現すのは、2010年代に入ってからだ。
「くすぐりビデオ」の出演者を募集するウェブサイト「ジェーン・オブライエン・メディア(JOA)」は、確認できる範囲では2012年6月に存在していた(⇒Internet Archive)。そこでは、映画ではさほど説明されなかった募集要項も残されている。ジェーン・オブライエンの署名で残されているその文章では、参加者に対して以下の一文が強調されている。
ダマートは、この「くすぐりビデオ」を一貫して「ある種のスポーツ」だと主張していた。そして、取材を申し込みしてきたファリアー監督に対し「同性愛者の記者と関わるつもりはない」と、ゲイを罵倒するメールを幾度も送った。
「ゲイ向けでも、フェティッシュビデオでもなく、単なるスポーツだ!」──ダマートはそう主張しながらも、出演しなくなった若者のビデオをさまざまな動画サイトに貼って、
「ゲイで縛られるのが好き」などと嫌がらせを繰り返した。
映画『くすぐり』が描いたのは、ダマートのこの異常な行動だった。
側近が語る黒幕の実体
ダマートがインターネットで見せた激情は、結果的にファリアー監督の強い関心を呼び、そしてスターバックスの店外で直撃されるまでに発展した。最初の取材依頼のメールに対し、無視するか簡単に断ればいまごろ『くすぐり』という映画が創られることはなかっただろう。つまり、ダマートは後先を考えずに感情を爆発させた。
ここで考えなければならないのは、ダマートの自爆はこれが二度目だったということだ。すでに見てきたように、前回は複数の大学にサイバー攻撃を仕掛けて告発された90年代のことだ。15年後にまたもや同じことを繰り返したのだった。
ダマートがどのような精神状態でそのような過ちを繰り返したのかはわからない。ただし、ヒントとなる情報がある。
それが、くすぐりビデオ制作を主催する「ジェーン・オブライエン・メディア(JOM)」が、映画の批判サイトとして立ち上げたブログ「くすぐり、その真実(Tickled, The Truth)」だ。執筆者はダマート本人ではなく、映画にも登場するJOMのプロデューサーであるケビン・クラークだ。
そこには、映画やファリアー監督の取材内容を批判する10記事が、いまも残されている。クラークはこのブログで自分がゲイであり、さらにスタッフにもゲイが多いと述べており、オークランドに赴いた際もファリアー監督に「(自分たちには)ゲイを差別する気はない」と説明したと述べている(「パート2:オークランドでの会議」-「くすぐり、その真実」2016年4月24日)。
その一方で、映画で告発された若者に対する嫌がらせや、「くすぐりビデオ」の用途についての弁解はほとんどない。ブログの目的は、映画を批判することだけに絞られている。よって、ファリアー監督が黒幕として追ったダマートについても、ほとんど触れられていない。
ただし、このブログの最後の記事(映画公開12日後)において、クラークはそれまでの記事と異なり、過去の個人的な出来事に触れている。それはおもにゲイ文化とエイズ、そしてある“友人”についてだ。そのプライベートな記述はかなり興味深いものだ。細かく分割するが、以下に引用する。
クラークが言及しているこのルームメイトの友人は、おそらくダマートのことだ。それは、「彼(ファリアー)は私のルームメイトの人生のほとんどを奪った」という一文から推測できる。それを前提とすると、ダマートは、自殺抑鬱を抱えるひどい精神疾患であり、周囲はそれをひどく心配する状況にあった。また、クラークとダマートが知り合ったのは、2016年の14年前なので、2002年となる。それは、ダマートが刑期を終えた直後ということになる。タイミング的にも整合性がある。
もちろん、このクラークの言い分を完全に鵜呑みにすることはできない。しかし、ダマートが突然亡くなったのは、この最後のエントリの半年後である2017年3月13日のことだった──。
ダマート死去後の5月、「ジェーン・オブライエン・メディア(JOA)」は新たに「TICKLETOPIA」というサイトを立ち上げた。これまで同様、くすぐりビデオに誘導するためのサイトだ。
さらに、Facebookにも公式ページを開設した。そこでも以前と同じように、若い男性がくすぐられる写真が多く投稿されている。このフェティッシュ画像は、ポルノとして扱われないのでFacebookでも掲載されたままだ。実際に通報されても、JOA側は「これはスポーツだ」と言い張るのだろう。
ただし、ひとつだけこれまでと大きく異なっている点がある。それは、くすぐりビデオのダウンロード販売を始めたことだ。ダマート存命中は、ひたすら制作と公開に注力していたJOAは、ついにビジネスに乗り出したのである。おそらくそれは、ダマートからの資金提供がなくなったためなのだろう(なお、価格は一本あたり17~25ドルで、特に高くもなく安くもない)。同時にそれは、出演する被害者がこれからさらに増えることを意味している。
映画『くすぐり』は、告発ドキュメンタリーとして非常によくできている作品だ。その面白さは、Netflixで公開されているドキュメンタリーのなかでも随一と言える。そして実際にこの映画によって、「くすぐりビデオ」の制作はストップした。告発に大きな意味があったのは間違いない(動画は公開されたままで、販売もするようになったが)。
しかし、これらのサイドストーリーは、映画『くすぐり』を観た者にさまざまなことを考えさせる。
それは、やはりダマートの死があるからだ。彼の死因は不明だが、クラークがブログに書いたことから察するに、ダマートはやはり厳しい精神病の状態にあったと考えられる。そしてクラークは、それをファリアー監督に説明していた可能性もある。ダマートの行為が許されるわけではないが、もし彼が能動的に自らの命を断ったのならば、その要因がこの映画にあった可能性もある。
以上を簡潔にまとめれば、ネットに潜む狂人がひとりのドキュメンタリストによって告発され、そして命を断ったかもしれない──というものだ。
このときにやはり検証する必要があるのは、その告発の仕方だ。より具体的に言えば、ドキュメンタリーとしての倫理である。もちろんファリアー監督はダマートの死を喜んではないし、それを望んでもいなかっただろう。ただ、その手法に本当に問題はなかったのか、それは検証されるべきことかもしれない。