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【その後の鎌倉殿の13人】鎌倉で殺人事件が発生!鎌倉幕府による殺人犯の搜索方法とは?

濱田浩一郎歴史家・作家

神奈川県藤沢市江の島に江島神社があります。「日本三大弁財天」の1つとして有名な神社です(他は安芸の宮島、近江の竹生島)。天福元年(1233)8月18日の早朝、北条泰時(鎌倉幕府第3代執権)はその江島神社(江嶋明神)に参詣するため、鎌倉を出立します。ところが、その途上、由比ヶ浜において、思わぬ事態が発生するのです。浜において「死人」が発見されたのです。しかもそれは、自殺などではなく他人に「殺害」された人だったとのこと。泰時は神社への途上にありましたが、死体発見を受けて、ある行動を取ります。神社への参詣を取りやめたのです。そしてすぐに鎌倉の幕府御所へと向かったのでした。

その後、泰時は評定衆(政務を評議決定する職)を召して、会議を開催するのです。会議の結果、御家人らに命じて武蔵大路・西浜・名越坂・大倉・横大路を始めとする道路を封鎖させます。殺人犯を逃さないためです。その上で、犯人が周辺にいないか、家々を捜索したのでした。多くの御家人が奔走します。そうした時、鎌倉の名越辺りで、直垂(衣服)の袖を洗う男を発見。袖からは血が滴っていました。この男が怪しいということになって、岩手左衛門尉が彼を捕縛、幕府御所に連行し、尋問します。すると、この男は犯行を自白したのでした。この男の正体は博打打だったそうです。よって、幕府は博打を「業」(なりわい)とすることを停止する命令を発します。さて、泰時が神社参詣を中止したのは、死の穢れが発生したからということもあるでしょうが、殺人犯を一刻も早く捕まえなければという意志が働いたからでしょう。

歴史家・作家

1983年生まれ、兵庫県相生市出身。皇學館大学文学部卒業、皇學館大学大学院文学研究科博士後期課程単位取得満期退学。兵庫県立大学内播磨学研究所研究員、姫路日ノ本短期大学講師、姫路獨協大学講師を歴任。『播磨赤松一族』(KADOKAWA)、『北条義時』『仇討ちはいかに禁止されたか?』(星海社)、『家康クライシスー天下人の危機回避術ー』(ワニブックス)ほか著書多数

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