【交野市】<城跡を往く>「私部城跡」を足で体感
京阪交野線の交野市駅から徒歩10分ほどのところに、戦国時代の平城跡である「私部城跡」があります。これまで行ったことがなかったので、一度見に行ってみることにしました。
交野市駅の東口から商店街に入り、交野市役所のある交差点を左折。交野郵便局の前を通り過ぎて、次の交差点を右に曲がってほどなくすると、右側の土手のような土地の上に、いきなり「交野市史跡 私部城跡」という看板が立てられているのが目に入ってきました。
脇にある階段を登って土手のような土地に上に出ると、縦長の空き地が広がっています。ぱっと見た限り、城の痕跡のようなものは見当たりませんが、私部城跡について説明する看板がありましたので読んでみることにします。
それによると、私部城は安見氏という戦国時代の河内の武士の居城だったそうです。当時は交野城という名で知られ、織田信長に味方して戦ったとか。筆者が立っている場所は「二郭」と呼ばれる曲輪(堀や土塁などで囲った区域)だったとのこと。イラストを見ると、やはり縦長の区画です。
北側は道路によって分断され、と書かれていたので、後ろを振り返ってみると、たしかに道路の向こう側に同じように土手のような土地があります。
二郭の向かって左側には、本郭があったとのこと。一度階段を下りて見に行ってみると、木々の生えた小高い土地があり、二郭との間には小さな谷で区切られています。これが本郭ですね。小さな谷は、イラストによると堀跡なのでしょう。だんだんイメージが浮かんできました。
本郭により近づいてみたいと思い、来た道を戻り、交野郵便局を通り過ぎたあたりで左折して城跡の南側へ。二郭と堀跡の裏手を通り過ぎると、左側に細い道と、その奥に看板が見えてきました。
道は途中で鎖によってさえぎられましたが、その奥の看板がここが本郭だったことを教えてくれました。
看板によると、付近の発掘調査から、ここに瓦屋根の建物が存在したと考えられている、ということです。今は草木が茂るこの土地に、かつては建っていたのでしょう。
最初は空き地にしか見えなかった私部城跡ですが、看板の説明を読み、めぐり歩くうちにイメージすることができました。この記事を読んで私部城跡をめぐろうと思われた方は、依然として暑い日が続いていますので、水筒や帽子などの暑さ対策をされた方が良いと思います。