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米大統領選挙徹底分析(13):投票前に知っておきたいトランプの政策―それは繁栄への道か、破滅への道か

中岡望ジャーナリスト
ノースカロライナ州で最後の演説をするトランプ候補(写真:ロイター/アフロ)

内容

1. ドナルド・トランプ候補の「アメリカ経済独立宣言」

2. トランプ候補の政策の具体的な内容

3. 共和党の「供給サイドの経済学」とトランプ候補の政策理論

4. 破綻が明白なトランプ候補の供給サイドの経済学

1.ドナルド・トランプ候補の「アメリカ経済独立宣言」

2016年6月28日、ドナルド・トランプ候補はペンシルバニア州モネッセン市にあるアルミソース社の工場で「アメリカ経済独立宣言」と題する講演を行った。その演説の中にトランプ候補のアメリカ経済に対する思いが語られている。以下、少し長くなるが、その要旨を紹介し、その考え方の背後にある状況について説明する。

【トランプ候補の演説の要旨】

「今日、私は、いかにしたら再びアメリカを豊かな国にすることができるかについて話をしたい。ピッツバークは我が国を建設する時、中心的な役割を果たした。ペンシルバイア州の鉄鋼労働者の遺産は、偉大なアメリカの風景を形作っている橋梁、鉄道、高層ビルの中に息づいている。しかし労働者の忠誠心は裏切りによって報われた。政治家は積極的に国際化を推進し、わが国の雇用と富、工場をメキシコや海外に移してしまった。国際化は政治家に献金をする金融エリートを非常に豊かにした。しかし、国際化は何百万人の労働者に貧困と悲嘆以外、何も残さなかった。

補助金を受けた外国の鉄鋼会社はアメリカ市場で安売りをし、アメリカの工場を脅かした。しかし政治家は何もしなかった。何年もの間、私たちの仕事がなくなり、地域社会が恐慌レベルの失業に追い込まれたときも政治家は傍観するだけで、何もしなかった。かつて繁栄し、活気に満ち溢れていたペンシルバニア州の多くの町は、現在、絶望の中にいる。国際化の波は中産階級を一掃してしまった。私たちは、今すぐ方向転換をしなければならない。そうでなければ、今後も都市の中心部は貧困の中に取り残され、工場の閉鎖は続き、国境は開かれたままだろう。

もし次から次へと襲ってくる金融危機や外交政策の混乱に引き起こしたエリートからの独立を宣言すれば、どれほど私たちの生活が良くなるか想像してみて欲しい。最近、イギリスは経済と政治と国境の支配権を取り戻す投票を行った。今こそ、アメリカ国民は未来を取り戻す時である。それこそが私たちが直面している選択である。

私たちは、外国政府が想像できるあらゆる手段を使って輸出品に補助金を出し、為替相場を引き下げ、協定を破るのを許してきた。その結果、数兆ドルの資金と数百万人の雇用が海外に流出していった。私は、製造業の3分の1、あるいは半分がこの20年でなくなってしまった多くの町を訪れた。現在、アメリカは輸出を8000億ドル上回る輸入をしている。これは自然災害ではない。これは政治が作り出した災害である。指導者層がアメリカ主義よりも国際化を崇拝してきた結果である。これは、アメリカを強く、独立した、自由な国にすることを望んだ建国の父たちにとって屈辱以外何物でもない。その結果、アメリカは以前にまして外国に依存するようになってしまった。

この破壊的状況の中心には、ビル・クリントンとヒラリー・クリントンが推し進めた2つの貿易協定がある。NAFTA(北米自由貿易協定)と、中国のWTO(国際貿易機関)への加盟である。NAFTAは歴史上、最悪の貿易協定であり、WTO加盟によって中国は歴史上最大の雇用を盗む国となった。アメリカの貿易収支のほぼ半分は中国との貿易によってもたらされている。2012年に当時国務長官だったヒラリー・クリントンは韓国との貿易協定を無理やり成立させた。この貿易協定によってアメリカの10万人の雇用が失われた。貿易協定と協定の内容を見直す再交渉こそ、雇用を取り戻す最短の道である。1947年から2001年の実質経済成長率は3.5%であった。しかし中国からの輸入を受け入れるようになった2002年以降、成長率はほぼ半分になっている。

TPPはアメリカの製造業に致命的な打撃を与えるだろう。TPPはアメリカの経済を弱体化させるだけでなく、アメリカの独立も弱体化させるものである。TPPはアメリカが拒否権を発動できないような決定を行う国際的な委員会を作り出す。TPPを是正する方法はない。私たちが必要としているのは二国間協定である。アメリカを束縛する大規模な国際協定(TPP)を締結する必要はない。

雇用を取り戻す7つの政策がある。(1)まだ批准されていないTPPから徹底すること、(2)アメリカの労働者を守るために最もタフで聡明な通商交渉担当者を任命すること、(3)商務長官に貿易協定に違反している国を見つけ出し、あらゆる手段を使って違法な行為を止めさせること、(4)NAFTAの再交渉を行うこと。相手国が再交渉に応じない場合、協定の2205条に基づいて条約から撤退する意向を通告する、(5)財務長官に中国を為替操作国として認定し、適切な対抗措置を講ずること、(6)通商代表部代表に中国が不公平な補助金を提供しているとWTOに提訴することを指示し、中国にWTOのルールを守らせるようにすること、(7)中国が不法行為を止めなければ、1974年通商法201条と301条、1962年拡大通商法232条で認められている関税の適用を含む紛争手続きを大統領権限を持って発動することである。私が大統領になれば、アメリカの労働者はやっと労働者を守り、労働者のために戦う大統領を戴くことになる。

アメリカを、事業を起こし、労働者を雇用し、工場を設置する最善の場所にしなければならない。そのためにはアメリカの労働者や企業にかかっている大きな負担を取り除くために大規模な税制改革を行う。また雇用創出能力を破壊している無駄な規制を取り除く。アメリカが持っているエネルギー能力をフルに活用する。それが雇用を創出し、成長を促進し、財政赤字を削減することになる。

貿易問題、移民問題、外交政策で、私たちは「アメリカを最優先する(to put America First)」つもりである。アメリカを再び豊かな国にする。私たちは、恐怖と不毛と無能のヒラリー・クリントンの政策を拒否する。私たちは、変化の可能性を持っているのである」

(以上)

まさに“保護主義宣言”ともいえる内容である。この演説に対する聴衆の反応は分からないが、おそらく拍手喝采だったと想像される。それほど中西部、南部の地域社会の荒廃は深刻ともいえる。トランプ候補の支持者の多くは高卒以下の白人ブルーカラーだと言われる。彼らは国際化の最大の犠牲者である。ピュー・リサーチの調査では、トランプ候補の支持者の大半は生まれた場所で仕事をし、そこで生涯を送っている人々である。保守的で、宗教的にも敬虔な人々である。訳も分からないまま国際化の波に直撃され、工場は閉鎖され、仕事を失うか、所得が大きく減った人々である。本来なら労働者は民主党支持者であるが、特に保守的な労働者が多い南部では文化的にリベラルな主張をする民主党のクリントン候補よりもトランプ候補を支持する傾向が強い。また、この演説では、貿易問題以外には規制緩和、石炭産業の規制緩和などに触れている。

2.トランプ候補の政策の具体的な内容

トランプ候補は、自らの政策を「アメリカの有権者との契約(Contract with American Voters)」と表現している。これは1994年の中間選挙で共和党の指導者であったニュート・ギングリッチ下院議員が選挙公約を「アメリカとの約束(Contract with America)」と表現したことを真似たものである。ギングリッチ議員はレーガン保守革命が未完成に終わったとして、改めて保守主義的な政策を打ち出した。その結果、共和党は下院で54議席を増やし、上院でも8議席を増やして、両院の過半数を獲得した。共和党が両院の過半数を獲得したのはアイゼンハワー政権の1952年の選挙以降、初めてのことであった。

以下でトランプ候補の具体的な政策を列挙し、解説を加える。

【税政策】

課税区分を現行の7から3に減らす。課税区分の簡素化は、結果的に富裕層の減税につながる。第一区(所得が7万5000ドル以下)の所得税率を12%、第二区分(7万5000ドルから22万5000ドル)の税率は25%、第三区分(22万5000ドル以上)は33%にする。第三区分の富裕層の現在の税率は39.6%であるから、“富裕層を優遇する減税”と見られている。トランプ案では、所得が1万5000ドル以下は無税になる(現在は10%)。トランプ候補は「すべての課税区分グループで減税が行われる」と説明しているが、Tax Policy Centerの計算(Families facing tax increases under Trump’s tax plan)では「トランプ案では中産階級、低所得階級で、独身労働者にとって大幅増税になる」という結果がでている。例として、子供が二人いる年収7万5000ドルの単身者の場合、2440ドルの増税となる。同センターは870万所帯で増税となるとみている。各種機関の推計では、この減税によって10年間で最高約4.兆ドルから6兆ドルの税収減になるとみられている。ただ、減税政策といっても、レーガン減税、ブッシュ減税と比べれば小規模な減税に留まっている。

法人税は35%から15%に引き下げられる。ただ、アジア諸国の法人税の平均限界税率は31%、欧州が20%であるので、それを下回る水準にまで引き下げられることになる。また一種の減税措置である法人最低代替税(Corporate Alternative Minimum Tax)は廃止される。これも税収減につながる。キャピタル・ゲインの課税率は20%に引き下げられる。またヘッジファンドの運用者が得る成功報酬(carried interest)は現在キャピタル・ゲインとして課税されているが、これはクリントン候補と同様に通常の所得税として課税されることになる。寄付などに伴う税控除も10万ドル(夫婦で20万ドル)が上限とされている。連邦相続税・贈与税は廃止される。その結果、富裕層の福祉などへの寄付が減ると予想されている。また海外に現金で留保されている利益に10%の税金が課せられる。トランプ陣営は海外に留保されている利益の総額は数兆ドルになるとみている。この課税によって企業の投資が増えることを期待している。トランプ陣営は、経済政策で250万人の雇用が創出されるとしている。全体としての効果を測定することは難しい。カリフォルニア大学のピーター・ナヴァロ教授は「クリントンとトランプの貿易、規制問題、エネルギー政策は劇的に違う」とし、「私たちはトランプの通商政策、規制政策、エネルギー政策の改革で税収は2.4兆ドル増えるとみている。ただ、タックス・ファンデーションの推計では、税収は2.6兆ドル減ると予測している」と、効果測定の困難さを指摘している。

【通商政策と外交政策、軍事政策】

「通商政策」に関しては上記の演説に基本的な考え方が示されている。トランプ候補の通商政策に関する基本的な考え方は、貿易赤字は構造的なものであり、その要因は(1)為替相場操作が行われていること、(2)貿易相手国が補助金など重商主義的政策を取っていること、(3)通商交渉が稚拙であることが原因と考えている。それは上記の演説の中に明確に表れている。TPPに関連してトランプ陣営のサイトには「仮に大統領と議会が国民の意思に反して、レームダック議会(選挙後から1月初までの議会のこと)で成立させても認めない」と書かれている。またNAFTAに関しても、相手国が再交渉を認めなければ、協定から離脱する(will withdraw from the deal)」と書いている。また、繰り返し中国の為替市場操作と知的所有権の侵害について言及しているのが目立つが、これは中国を意識してのことである。といっても、円安政策を取る日本もターゲットにならないという保障はない。

「外交政策」では、2016年4月27日にCenter for National Interestで行った演説の中で次のように語っている(演説はトランプ選挙本部のサイトに掲載されている)。まず、トランプ候補は「私の外交政策はアメリカの利益、アメリカの安全を最優先することだ」と述べている。いわゆる「アメリカ・ファースト」政策である。そしてアメリカの外交政策には5つの弱点があると指摘している。(1)外交を広げすぎている(our resources are overextended)、(2)同盟国が公平な負担を負っていない、(3)友邦がアメリカに頼れないと考え始めている、(4)敵国もアメリカに敬意を払わなくなっている、(5)アメリカは明確な外交目的を持っていない、ことである。そうした状況の下で、トランプ候補は「すべての友邦、同盟国に向かって、アメリカは再び強くなる。アメリカは再び信頼できる国になる」ようにすると外交政策の目標を説明している。さらに「アメリカは国家建設という事業から離れ、世界の安定を作り出すことに照準を合わせる」と語っているが、これは共和党の外交政策をリードしてきたネオコンに対する批判と受け取るべきだろう。国家建設をするというのは、イラクに対するブッシュ政権とネオコンの政策である。

さらに具体的な課題として、次の項目を掲げている。(1)イスラム教の拡大を阻止するために長期戦略が必要である、(2)軍事力と経済力を再構築する必要がある(その背景にロシアと中国の軍事力強化に後れを取っていること、究極の抑止力であるアメリカの核兵器を近代化する絶対的な必要がある。オバマ大統領は2011年に比べ軍事予算を25%削減した)、(3)アメリカの中核的な利害に基づいた外交政策を立案することである。さらに「アメリカの友邦であることを証明した国に対してのみアメリカは“寛容”にならなければならない」とも述べている。また「ロシアとの緊張を緩和し、関係改善は可能である」、「中国との関係修復も将来の繁栄のために重要な課題である」と露中関係について語っている。過剰に敵対的な姿勢を見せていない。さらに「大統領に就任したらNATOの同盟国との首脳会談とアジアの同盟国の首脳会談の開催を呼びかける。私たちの共通な課題に取り組むためにどのように新しい戦略を構築できるか新鮮な目で検討する」と、積極的な安全保障外交を展開すると語っている。具体的には時代遅れの冷戦時代のNATOの使命と構造を再構築すると具体的な目標を設定している。軍事的な展開に関しては、「他に代わる政策がないとき以外は軍事力を展開することには躊躇する」とし、「軍事力を行使する場合は勝利しなければならない」とも語っている。この演説の中では、日本に関する言及はひとつもない。繰り返せば、基本は「アメリカの利益を最優先する」ということである。国際的なコミットメントは続けるが、従来のような国際主義に基づく政策ではないということであろう。

【移民政策】

トランプ候補の政策で注目されているのが移民政策である。不法移民が雇用を奪い、犯罪を増やしていること、不法移民の強制送還を行うなど議論を呼んだ政策を繰り返し発言している。以下、8月31日にアリゾナ州フェニックスで行った演説から移民政策のポイントを整理する。まず「アメリカの移民制度は人々が考えている以上に悪い」とし、1100万人の不法移民の存在で一般のアメリカ人がいかに被害を被っているかを説明して、改革の必要性を説いている。そして10項目の提案を行っている。

10項目は以下のものである。(1)メキシコとの国境に壁を建設する、(2)“キャッチ・アンド・リリース(catch-and-release”政策を止める。すなわち、不法移民は送還するまえ収容し、途中で入国させるようなことはしない、(3)不法移民の犯罪には容赦しない、(4)不法移民を受け入れるサンクチアリー・シティ(sanctuary city)が連邦政府に協力しない場合、資金援助を中断する、(5)憲法違反の大統領令を破棄し、全ての移民法を強制的に執行する(オバマ大統領は2つの不法移民に恩赦を与える大統領令を出している)、(6)十分にスクリーニングが行えない国からの入国者に対するビザ発給を中止する、(7)アメリカが送還した不法移民を他の国が確実に受け入れるようにする(現在23カ国がアメリカから送還された人の受け入れを拒否している)、(8)指紋を使ったビザの出入国管理システムを構築する、(9)移民を引き付けるような雇用、福祉を中止する(要するに仕事だけでなく、アメリカの福祉プログラムを当てに不法入国する者を阻止すること)、(10)アメリカとアメリカの労働者の利益に最も叶うように移民法を改正する。1965年から2015年の間にアメリカは5900万人の移民を受け入れている。移民法の具体的な改正内容は、以下の通りである。移民の人口比率の水準を維持する、アメリカ社会に適応し、成功できるかどうか評価したうえで移民を認める、技術などの能力に基づいて移民を選別する、アメリカの労働者の雇用をまず確保し、賃金を引き上げるように移民管理を行う。最後にトランプ候補は「この選挙は国境を確保し、不法移民を阻止し、国民の生活をより良いものにする改革を行う最後のチャンスである」と訴えている。

【インフラ投資】

共和党は政府の公共投資やインフラ投資に批判的だが、トランプ候補は積極的なインフラ投資の必要性を説いている。これはクリントン候補と同じである。ここでも「アメリカのインフラ・ファースト政策」「トランプ・インフラストラクチャー・プラン」という言葉を使っている。具体的には交通、上水道の浄化施設、電力の送信網、テレコミュニケーション整備、安全のためのインフラ整備、空港設備の近代化など国内で必要とされるインフラ整備への投資が含まれる。ただし各州に最大限の弾力性を与えると州政府主導を柱と、公共部門と民間部門のパートナーシップの必要性にも言及している。インフラ投資で雇用を創出し、新しい税収を生み出す。建設資材はアメリカ製を使うという“バイ・アメリカン政策”にも言及している。トランプ候補は6万以上の橋梁で構造的な欠陥があり、交通渋滞で年間500億ドルの経済的損失が発生していると、インフラ整備の必要性を強調している。交通網の整備をしないと2025年までに250万人の雇用が失われ、必要なインフラを整備するために10年間で1兆ドルが必要だという研究機関の数字を援用している。

3.共和党の「供給サイドの経済学」とトランプ候補の政策理論

以上、トランプ候補の政策を列挙したが、それだけでは全体像がつかめない。そこで以下で、アメリカのメデフィアの分析などを援用しながら、トランプ候補の政策を評価してみることにする。

現在の共和党の政策の基本は、1981年に成立したロナルド・レーガン政権の下で構築されたと言っていい。レーガン大統領の経済政策は「レーガノミクス」と呼ばれる。現在、日本の安倍政権の経済政策を「アベノミクス」と呼ぶが、もともとレーガノミクスの亜流の呼び方である。またレーガノミクスは「ネオリベラリズムの政策」「供給サイドの経済学」とも言われる。戦後の共和党の政策の基本は、フランクリン・ルーズベルト大統領に始まるニューディール・リベラリズムの政策、すなわち「福祉国家」、「大きな政府」、「市場規制」、「労働組合保護」という政策に反対し、市場主義をベースに経済を組み替えるものであった。言い換えれば、リベラリズムに対する保守主義らの反抗である。レーガン政権の樹立は「保守革命」とも言われる(筆者は2004年に『アメリカ保守革命』と題する本を中公新書で出版。アメリカの保守主義の詳細に関しては同書を参考)。レーガノミクスの政策の柱は「富裕層に対する大幅減税」、「財政均衡」、「市場(特に金融市場)の規制緩和」、「自由競争」、「自己責任」、「国際化の推進」「軍事力強化」などである。

レーガノミクスの成果に関していえば、大幅減税の結果、財政赤字は膨れ上がり、同時に景気回復とドル高によって貿易赤字が拡大し、「双子の赤字」という状況を作り出した。ただ、競争促進政策で企業はリストラ(英語はrestructuringで、本来の意味は「事業再編」で、日本で使われているような雇用調整という意味合いはない)とリエンジニアリング(reengineering)を進め、企業の復活に貢献した。と同時にレーガノミクスの重要な政策に労働組合潰しがある。レーガンが大統領就任直後に準公務員である航空管制官のストがあり、レーガン大統領はデモ参加者全員を解雇した。これを契機に、ニューディール・リベラリズムのもとで大きな権力を握っていた労働組合の衰退が始まった。

トランプ候補は共和党主流派に対する反抗として登場してきた。そこで素朴な疑問が出てくる。まずトランプ候補の政策は伝統的な共和党の政策と同じものなのか、次にトランプ候補の政策は効果があるのかどうかである。以下で、アメリカのメデフィアの分析を踏まえて検証することにする。

『ニューヨーク・タイムズ』紙の社説(”Mr. Trump’s Losing Economic Game Plan”、2016年8月8日)は、8月8日に行われた演説で明らかになったトランプ候補の経済政策について、「破綻した供給サイドの経済学の借り物である」と断じている。まず、同紙の論旨を敷衍するところから分析を始めよう。共和党のレーガン大統領候補は選挙公約に30%の所得税減税を掲げていた。それ以降、共和党は富裕層に対する所得税減税、企業減税、相続税の減税などを政策の柱としてきた。今回もトランプ候補は“減税”を政策の柱に据えている。同紙の社説は、トランプ減税を「ロナルド・レーガン以降、見られなかった規模の減税」と評している。さらに「供給サイドの経済学を支持する人は、減税は人々の働く意欲を高め、企業の投資を促進するものだと主張している」と説明している。

その理屈を少し説明しておく必要がある。供給サイドの経済学は経済の供給面を重視する考え方である。これに対してリベラル派の経済思想となっているケインズ経済学は需要サイドを重視する理論である。すなわち、景気が悪くなり、失業が増えるのは需要がたりないからである。だから政府は公共事業や金融緩和政策を通して需要を喚起すべきだと主張する。これに対して古典派的な理論に基づく供給サイドの経済学は、需要ではなく、供給を増やすような投資を重視する。減税を主張するのは、減税によって貯蓄を増やし、貯蓄が投資に向かい、生産能力の拡大や生産性向上に結び付く。その結果、経済成長は高まるというロジックである。

では、なぜ富裕層の減税なのか。その理屈は次のようなものだ。減税で追加的な所得が増えた富裕層はその大半を貯蓄に回すはずである。なぜならすでに十分なお金を持っているので、増えた所得を消費ではなく、貯蓄に回すと考えられる。経済学では、これを「限界貯蓄性向が高い(あるいは限界消費性向が低い)」と表現する。逆に貧困層は減税で増えた所得を全額消費に回すだろう。極論すれば、限界消費性向が100%かもしれない。需要サイドの経済学では、それは消費を高めるのでプラスに評価される。だが、供給サイドの経済学の立場は異なる。富裕層の増えた貯蓄は、株式市場に投資されるか、社債を買うか、銀行に預ければ、銀行を通して企業に貸し出される。いずれのルートも企業の投資を促進する効果がある。投資が増えれば、生産力が増大し、雇用も増え、経済成長率が高まり、最終的に税収が増えて、減税分を埋め合わせると考える。さらに経済的な理由ではないが、アメリカの富裕層の税負担は重い。共和党の重要な政治資金源であり、支持層である富裕層は、共和党に対して所得税率の引き上げを求めている。こうして供給サイドの経済学と富裕層の減税政策が結び付いていく。富裕層の減税はやがて社会全体に恩恵をもたらす。ちょうどコップが一杯になれば、水が溢れるように経済効果は国民全体に及ぶというわけである。これを「トリクルダウン(trickle-down)の理論」という。「Trickle-down」は「滴り落ちる」という意味である。

この限りにおいて、トランプ候補の租税政策は供給サイドの経済学の処方箋に従った政策といえる(具体的な政策は後述する)。これに対して『ニューヨーク・タイムズ』紙の社説は「恩恵は供給サイドの理論の支持者が主張するほど大きくはない。なぜなら、製品に対する需要が増えない限り企業は設備投資をしないからだ。また多くの人々は税金が安くなったからと言ってもっと働こうという気にはならない」と、供給サイドの経済政策に基づく減税を批判している。また、大幅減税は財政赤字を拡大させることになるとも指摘している。そうなれば、「トランプは歳出削減か借り入れを大幅に増やさざるを得なくなるだろう」とし、2001年のブッシュ大統領の大幅減税を引き合いに出し、減税したにもかかわらず、力強い経済成長は実現することはなかったと結論付けている。

また同紙は「トランプは既存の連邦規制を廃止し、新しい規則を導入しないと約束している」と指摘し、トランプ候補が規制緩和の対象としているのは電力料金の引き上げにつながっている石炭産業の規制緩和と二酸化炭素の排出量規制の緩和であると、トランプ候補の規制緩和論の本質を明らかにする。トランプ候補は「エネルギー規制は製造業の雇用を殺している」と主張しているが、敵は本能寺で「企業のための環境規制の緩和」が本当の狙いであると謎解きをしている。もともと共和党支持者には気候変動はリベラル派の人々が陰謀的に作り出した虚構であると主張している。同紙は「トランプは気候変動をまやかしだと否定している」と指摘している。トランプ候補は発効したばかりの「パリ協定」も破棄すると公約している。

同紙はTPPに関して、「トランプはTPPを廃案にするという自分の誓約を繰り返した」と指摘し、さらに「トランプは中国が為替操作を行い、輸出企業に不法な補助金を与え、アメリカ企業から知的所有権を盗んでいることにたいして報復的な関税を課すことで、中国から数百万の雇用を取り戻すと主張している」ことに関して、「それは確実に貿易戦争を引き起こし、中国に輸出しているアメリカ企業に害をもたらすだろう」と批判している。ちなみにトランプ候補は中国からの輸入品に対して45%の課徴金を課すことを求めている。同紙は最後に「トランプの方向性を誤った危険な提案は経済成長を低める一方で、富裕層に減税の恩恵を与えるものである」と批判的なコメントを行っている。

ただ、ここではトランプ候補と伝統的な共和党の政策は対立する。トランプ候補はクリントン候補と同様に自由貿易協定に否定的である。トランプ候補はTPP反対だけでなく、NAFTA(北米自由貿易協定)の見直しを主張している。共和党の通商政策は自由貿易にある。クリントン政権の時、民主党の反対を押し切ってNAFTAを批准したのは共和党である。またTPPの交渉権限をオバマ政権に与えたのも他でもない共和党である。共和党の自由貿易の発想はネオリベラリズム思想から出てきている。アメリカは1980年代以降、IMF(国際通貨基金)と世界銀行、米財務省が一体化し、「ワシントン・コンセンサス」を作り上げ、ネオリベラリズムに基づく規制緩和、自由貿易を主張してきた。トランプ候補は規制緩和、法人税引き下げで産業界の立場に立つが、通商政策では明確に対立する立場を取っている。もしトランプ候補が大統領になったら、共和党とどう調整するのだろうか。

4.破綻が明白なトランプ候補の供給サイドの経済学

もう少し、他の保守系のメディアの論調も見ておこう。『ウォール・ストリート・ジャーナル』紙(”Donald Trump’s Economic Plan, Up Close, Don’t Add Up”、2016年10月18日)は、トランプ候補の租税政策で10年間に6兆ドルの歳入が減るという研究報告を紹介している。そしてトランプ候補の経済アドバイザーの「トランプ候補の政策は通商政策、規制緩和政策、エネルギー政策も含む全体的な政策で、高い成長率をもたらし、財政赤字はほとんど増えない」という反論も紹介している。そして、トランプ候補の供給サイドの経済学は幾つかの誤った前提に立っていると指摘している。第1に減税に伴う財政赤字拡大で金利上昇が起こらない、第2に規制緩和は直接的に国内生産の増加に結びつく、第3に、エネルギー価格の動向に関わりなく、連邦政府の所有地を開放すれば石油・ガス会社が一斉に採掘を始める、第4に保護主義はアメリカの企業や労働者が既にフル稼働にあっても経済を拡大させる、という前提である。この4つの前提が成り立たない限り、トランプ候補の経済政策は効果を発揮しないということになる。

同紙の前提条件の判断は次のようなものだ。減税に伴う歳入不足を財務省証券の発行で賄えば、海外からの大量の資本流入がない限り長期金利は上昇する。長期金利上昇によって民間企業は資本市場での資金調達コストが上昇し、設備投資のための資金調達できなくなる。これを経済学では“クラウディング・アウト”という。事実、議会予算局の調査結果では、2003年に実施された大幅なブッシュ減税の経済成長促進効果は金利上昇で相殺されている。したがって、トランプ候補の主張する減税は最終的には財政赤字拡大に結び付く可能性が強いといえる。規制緩和の経済効果も疑わしい。トランプ候補の提案では、規制緩和でGDPは2000億ドル、税収は400億ドル増えると想定されている。トランプ候補は、電力会社は規制によって旧式な装置を検査するために年間100万ドルを使っているが、規制を緩和すれば、その分が電力会社の利益になり、それに伴って税収が増えると想定している。だが、ある研究所は、装置の販売額や検査要員の減少で全体として同額の100万ドルの収入が減少するため、マクロ的には規制緩和の効果はないと指摘している。筆者が記者時代、慶応大学の著名な経済学の教授と話をしているとき、教授は「規制緩和で成長率が高まるという経済学なんってあるのでしょうかね」と語っていたのを思い出した。同紙の記事も、「規制が緩和されれば投資は促進されるかもしれないが、その効果は緩やかに出てくるし、その効果は規制で守られてきた生活の質の低下を比較しながら判断すべきだ」という著名な経済学者の発言を引用している。

またトランプ候補の政策では、資源が埋蔵されている政府用地を払い下げることで石油や石炭の採掘が促進され、毎年GDPが950億ドル、税収が140億ドル増えると想定されている。だが、それは石油などの資源価格が維持されることが前提で、現在、資源価格の下落で資源会社は設備投資を大幅に削減している。2010年までに世界全体で資源開発投資は1兆ドル削減されると推定され、そのうちの3分の1がアメリカ企業による削減である。

自由貿易に関しても、トランプ候補の計画では、通商協定を見直すことで、輸入を減らし、輸出を増やすことで、5000億ドルの貿易赤字を削減できるとしている。貿易赤字の解消と同時に、税収は10年間で7670億ドル増えると想定されている。だが、アメリカが一方的に輸入品に課徴金を課せば、貿易戦争の勃発は不可避である。また、貿易赤字が解消しても、国内雇用が増える確証はない。輸入品が減った分、国内生産は増えるが、同時に輸出が減ることになり、結局、新規の雇用増はなく、就業構造が変わるだけで、ネットベースでの雇用増は期待できない。さらに保護主義は生産性を損ない、経済成長にとって好ましくないというのが、同紙の論調である。同記事は専門的な経済学者のコメントをベースに書かれているものだが、全体としてのトランプ候補の経済政策に関する評価は厳しいものであった。

同じく『ウォール・ストリート・ジャーナル』紙の社説(”The Gamble of Trump”、2016年11月4日)は、「トランプ氏はロナルド・レーガンとは違う。レーガンは州知事として何十年にもわたる読書と経験に裏打ちされた確固たる、一貫した世界観をもって大統領に就任した。トランプ氏が勉強したかどうか定かではない。トランプ氏は会話やテレビ番組を通して知識を吸収している。彼には一貫した哲学はない」「彼の政治は個人的なものであって、イデオロギー的なものではない」と厳しい論調でトランプ候補の資質を問うている。また「同氏の確固たる政治的確信は貿易はゼロサム・ゲームであり、アメリカは貿易で損失を被っているというものだ。もし自由貿易協定から撤退し、輸入品に関税を課し、海外投資をする企業を罰するなら、彼はリセッションを引き起こすだろう」と、トランプ候補の政策を批判している。

さらに「トランプの最大のギャンブルは外交・安全保障政策である」とし、トランプ候補がアメリカの防衛力の再構築を主張しているのは良いとしながらも、「トランプ氏はアメリカが世界のリーダーの役割から撤退しようとするオバマ大統領と同じ考えを持っているのは皮肉なことだ」と指摘する。同社説は「わが社は1928年以来、どの大統領候補も支援してこなかった。ロナルド・レーガンも支援しなかった。クリントン候補とトランプ候補に関しても同様である。しかし、二人のうち一人が次期大統領になる。クリントン政府の野蛮な進歩主義と、トランプの政治的な未知数に対する博打の間の選択である。そのコストは非常に大きなものになるだろう」と、将来に対する不安を語っている。

最後に筆者が気が付いたのは、アメリカ社会の最大の問題となっている格差拡大問題と中産階級空洞化に関して、トランプ候補はまったく言及していないことだ。トランプ候補の政策はアメリカを繁栄に導くのか、あるいは破滅に導くのだろうか。

ジャーナリスト

1971年国際基督教大学卒業、東京銀行(現三菱東京UFJ銀行)、東洋経済新報社編集委員を経て、フリー・ジャーナリスト。アメリカの政治、経済、文化問題について執筆。80~81年のフルブライト・ジャーナリスト。ハーバード大学ケネディ政治大学院研究員、ハワイの東西センター・ジェファーソン・フェロー、ワシントン大学(セントルイス)客員教授。東洋英和女学院大教授、同副学長を経て現職。国際基督教大、日本女子大、武蔵大、成蹊大非常勤講師。アメリカ政治思想、日米経済論、マクロ経済、金融論を担当。著書に『アメリカ保守革命』(中央公論新社)など。contact:nakaoka@pep.ne.jp

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