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テレビ局が不倫報道をやめれば、この国は変わると思う

境治コピーライター/メディアコンサルタント

タイトルは意識高い系のきれい事に見えるだろうが、テレビ局の今後のビジネスのために言っているつもりなのでじっくり読んでいただきたい。

小室哲哉の不倫スクープで週刊文春はブランドを著しく損なった

2016年1月のベッキー騒動以来2年間、築かれてきた”週刊文春”のブランドは、この一週間ですっかり崩れてしまった。小室哲哉の不倫をスクープしたはずの週刊文春だったが、1月19日(金)午後に行われた会見で、叩かれるはずの小室氏は日本中から気の毒がられる側になり、逆に週刊文春こそが叩かれる側になった。

TBS「サンデージャポン」に登場した週刊文春の記者は「本意ではない結果になった」と語ったそうだ。病身の妻をほったらかして看護師に入れ込んでる大御所音楽プロデューサーがしどろもどろで会見するはずが、見るからに疲れ果てすっかり老け込んだ男が引退を発表してしまった。妻の介護に日々神経をすり減らし引き際を考えていた男を、音楽制作の舞台から追いやってしまう立場になるなんて。文春側も予想だにしていなかったのだろう。その結果、追い込むつもりが追い込まれてしまったのだ。

不倫報道を盛り上げたのはストーリー

ベッキー騒動以来、週刊文春はピカレスク的メディアとして一目置かれる存在になった。類似のスキャンダルメディアの中でも、文春には理念とポリシー、もっと言うと独特の美学を感じさせるものがあったと思う。不倫を報じるにしてもストーリーがあったのだ。ただ著名人の不貞を暴くのではなく、「○○○なのに不倫していた!」という明らかなメッセージを込めていた。ベッキーも爽やかで健康的なイメージを売りにする、不倫からはほど遠いタレントなのに不倫していた。そのうえ、謝罪の裏で川谷絵音とまったく反省していないLINEのやりとりをしていた。これをも暴露した文春の「そこまでやるか!」と「よくぞここまで!」のギリギリの間を縫って駆け抜けていく様は見事と言うしかなかった。

私は昨年8月に「テレビの不倫報道の過剰」を訴える記事をこのYahoo!で書いた。その時見せたのがこのグラフだ。

データ提供:株式会社エム・データ
データ提供:株式会社エム・データ

テレビ放送のメタデータ(放送内容をテキストデータ化したもの)を作成するエム・データ社に、ここ数年でテレビ局が不倫報道に費やした時間を集計してもらったグラフだ。予想以上に、ベッキー騒動以降格段に不倫報道が増えていた。2014年、2015年の不倫報道は年間20〜30時間だったのに、2016年には170時間に急増したのだ。2017年も8月までで120時間を超えていた。どう考えても過剰だ。

グラフをあらためてよく見ると、2016年1月に火がついたが、2月にはさらに爆発的に増えている。中身を見ると、宮崎謙介元議員の不倫だった。イクメン政治家を宣言したのに妻の出産期間中に不倫をしていた、例の事件だ。ベッキー騒動で盛り上がった「不倫カーニバル」の火に油を注ぐ流れになった。

ここにも「イクメンなのに不倫」というストーリーがあった。男性議員のイクメン宣言に期待したのに、がっかりさせられた。同時に、とてつもなく面白かった。ベッキーのLINEのやりとりも、「謝っといて反省してない」というストーリーに世間は憤ったわけだが同時に、ものすごく面白かった。

タブーをものともしない潔さに世間が喝采した

文春の活躍は不倫騒動だけではない。あらゆるタブーに切り込もうかというその姿に世間は魅せられた。ジャニーズ事務所に突っ込んでいき、重鎮メリー喜多川氏のインタビューをものにした。ニュースキャスター着任直前のショーンKの経歴詐称を暴き立てた。常識感覚では触れない話題に平気な顔で切り込み、隠していたことを掘り起こして世間の目にさらしていく。強引なやり方に文句も言いたいが、あまりの鮮やかさに参ったと言うしかなかった。ショーンKの一件は、ベッキー騒動を遥かに超えて面白く、笑えた。

小室氏の不倫も、時代を作った男が妻の病気をいいことにうまいことやってる!そんなストーリーを片手に切り込んだはずだったのだろう。だが、小室氏が見せたのはまったくちがうストーリーだった。しかも引退を発表するとは。文春が犯した計算違いは、大きなしっぺ返しをもたらした。小室氏に向けたはずの矛先が、自分に向かって切りかかってきたのだ。自ら研ぎ澄ましてきた切っ先だけに、自分に振り降ろされると大きな痛手になった。2年間のブランドがあえなく切り刻まれようとしている。

面白いことに、文春は今週もまたスクープを切り出してきている。NHKからフジテレビに転身すると報じられていたキャスターが、過去にセクハラをしていたという内容だ。だがもはや崩れた文春ブランドに、世の中の反応は薄い。それどころか、むしろ冷めた目の文春へのネガティブな言葉がtwitterを飛び交っている。

不倫への感覚がメディアにねじ曲げられていた

さて私がこの稿で言いたいのは、切り刻まれようとする文春にレクイエムを送ることではない。「メディアにもブランドがある」ということだ。そしてこの機に問いたいのがテレビ局の不倫報道への姿勢だ。

文春が2年間脚光を浴びた背景には、彼らが文春オンラインも立ち上げてネットを巧みに使いこなしたからだが、それによってテレビ局が文春になびいてしまったことのほうが大きい。文春の手のひらの上でまんまと転がされ、自分たちで取材する意志を放り投げたかのように、スクープの甘い汁を吸うようになった。テレビ局が文春のスクープにあそこまで乗らなければ、これほど異様な「不倫熱」の病が二年間も続かなかっただろう。つまり私たちはこの二年間、思い返せば奇妙なくらい不倫した人物を叩いてきた。感覚が麻痺していたと言っていい。その麻痺はまずテレビ局が侵され、そのメディアパワーによって日本中に伝染された。

私たちはベッキー騒動以前、ここまで不倫を叩いてはなかった。不倫を叩くことにこれほど時間とエネルギーを費やしていなかった。そのことをすっかり忘れてしまうくらいこの二年間の「不倫熱」の病は異常だったのだ。さっきのグラフが何よりの証明だ。我々はついこないだまで、ここまで他人の不倫に興味を持っていなかった。

おかしかったのは文春ではない。文春が描いたストーリーを必要以上に真に受け、本来はベッキーが「謝ったのに裏で反省してなかった」ことに怒っていたはずなのに不倫そのものを絶対的な悪ととらえるようになったことがおかしかった。宮崎元議員が「イクメン宣言したのに不倫していた」から叩かれたはずなのに、不倫することそのものを社会として許さない感覚に陥った、そこが変だったのだ。文春の「○○○なのに不倫した」ストーリーを大きく曲解してしまった。その根源がテレビの扱い方だった。

今週になって日本テレビの朝8時枠のワイドショーで司会の加藤浩次氏が「自分たちは不倫に反応しすぎていたのでは?」と問題提議した。きっと、ずっと感じていたのではないか。やっと疑問を投げかけていいタイミングが来た。そう思っての発言ではないかと受けとめた。

次に叩かれるのはテレビである可能性

いま文春叩きがネットで一部の人々によって行われている。今週どんどんふくらんでいるようだ。そのうちテレビにも飛び火しておかしくない。だって上に書いたようなことは、みんなわかっているはずだ。不倫報道は、文春が火をつけたら即、テレビが拡大させてきたのだ。この2年間ずっとそうだった。

画像

この画像は、ある不倫スクープについてテレビ番組が伝えた画面の一部だ。ここでは週刊文春が撮影した映像が使用されている。「週刊文春デジタル」とはニコニコ動画内で開設しているチャンネルで有料。文春は自ら撮影した動画を、テレビ局に売っているのだがその際に、このようなバナー的な画像を貼り付ける条件になっているのだろう。

このバナーはクレジットの域を超えている。宣伝と言っていい。もちろん売る側からすると、映像の利用条件にバナーの表示を義務とするのも交渉としてありだろう。だがそれを受けるのか?これを見た時、私はがく然とした。あきれ返った。いくら貴重なスクープ映像だからと言って、事実上「有料サービスの宣伝」を目的としたバナー表示の条件を呑んだのかと。意地はないのか?「スクープがスマホで!」と高笑いするようなコピーまでついたこの画像を条件とされたなら断るべきではないか?それくらいの矜持をテレビ局はもはや持つ気はないと言うのか?報道メディアとして誇りはなくしたのか?ワイドショーだから報道ではない、などと言うのだろうか?だがいまは、ワイドショーで政治や社会問題も扱うではないか。

宣伝したい企業にCM枠を売るのがテレビ局なのに、お金を払った映像素材に宣伝を載せてあげている。営業上もおかしなことになっていないか。ちなみにこの画像は、先週小室哲哉氏の不倫を報じる際にも貼り付いていた。

テレビ局は、自らのブランドへの意識が薄すぎだ。そしていま、さらにブランドを問われる事態が起こりかけている。文春がこうなっても、まだ不倫を今まで通り扱い続けるか。これを機に「不倫報道は今後やめます」と宣言するか。そこをはっきりさせずにズルズル「不倫熱」の病に侵されたまま今まで通り週刊誌の不倫報道に乗っかると、テレビブランドはどんどん下がり、テレビ離れが加速してしまうだろう。若者だけでなく上の世代にも見られないメディアになりかねない。

どんな枠でどんなことを扱うか、もう一度線引きを

これは、必ずしも下世話なネタをテレビは一切扱うなと言っているのではない。どの番組でどんな題材を扱うかの線引きがいま必要だということだ。

これについては、ITジャーナリスト佐々木俊尚氏がこんなツイートをしている。

(2)とある通り、これは連投ツイートの2つ目で(8)まであるので追いかけて読んでもらうといいと思う。ここで思い切り要約すると、ゴシップを扱っていたワイドショーが90年代以降、政治も扱うようになりニュースとの境界が曖昧になった、ということだ。その分ゴシップが表舞台で扱われるようになった。

私なりに付け加えると、いまはこの「ニュースみたいなワイドショー」がどんどん広がっている。朝も午前中も昼時も午後イチも昼間も夕方も、ほとんどが情報番組で、そのどれもが政治もゴシップも(そして相撲界も!)扱うのだ。そしてとくに連携もなくそれぞれが視聴率の取れそうなネタに飛びつく。かくて文春の不倫報道を朝からゴールデンタイム直前まで扱うのだ。政治家の不倫だと夜のニュースも文春で染まる。そんな時は「スクープがスマホで!週刊文春デジタル」のバナー表示付きのスクープ映像が朝から晩まで全民放局で流れるのだ。山尾志桜里議員の不倫疑惑の時は、本当にそういう状態になった。どうして局内で異常だと声が上がらないのか不思議だ。

いま、中学生でも「フェイクニュース」という言葉を知っている。メディアの信頼性を多くの人が気にしながら情報接触しているのだ。どのメディアは信頼できて、どのメディアは見ないほうがいいか。読者視聴者は慎重に峻別している。「テレビでこんなことやってたけど、週刊誌の受け売りなんでしょ?」とか「テレビでやってたからってそのまま信じちゃダメだよ」とか、そもそも「テレビなんか見てちゃダメだよ」などとすでに人びとは言い出している。不倫報道に対してどんな姿勢で今後臨むか、テレビは実はメディアブランド上、大きな岐路に立たされている。

テレビが襟を正せば、この国の空気は変わる

「我が局は今後一切、不倫報道はやめます」そう宣言したらみんなが見直すと思う。もしすべてのテレビ局が宣言したら、そのことによって、何かあると叩きたがるギスギスしたこの国の空気は一気に変わる気がする。まだまだ、テレビにはそれくらいの大きなパワーがある。パワーがあるうちに、パワーを失わないための決断をしてくれればいいと思う。

コピーライター/メディアコンサルタント

1962年福岡市生まれ。東京大学卒業後、広告会社I&Sに入社しコピーライターになり、93年からフリーランスとして活動。その後、映像制作会社ロボット、ビデオプロモーションに勤務したのち、2013年から再びフリーランスとなり、メディアコンサルタントとして活動中。有料マガジン「テレビとネットの横断業界誌 MediaBorder」発行。著書「拡張するテレビ-広告と動画とコンテンツビジネスの未来」宣伝会議社刊 「爆発的ヒットは”想い”から生まれる」大和書房刊 新著「嫌われモノの広告は再生するか」イーストプレス刊 TVメタデータを作成する株式会社エム・データ顧問研究員

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