「来世は日本人になりたい」と私につぶやいた、ある中国人青年の話
私にとって、その言葉はまさに「耳を疑う」という表現がぴったりだった。中国の若者の中にはアニメなどの影響で「日本大好き」と公言する人が多いことは以前から知っており、私はこんな記事も書いていた。しかし、まさか、このような言葉まで飛び出すとは夢にも思わなかったからだ。
その言葉を聞いたのは上海のおしゃれなバーの一角に腰を下ろしたときだ。その中国人青年(19歳)とは、数日前に日本人の友人を介して出会ったばかりだった。その際、少しだけ会話をしたが、この日は私が上海を離れる前日だったので、その日本人の友人も含めて3人でお酒を飲もうということになった。彼にいろいろな話を聞いていたとき、冒頭の「来世は日本人になりたい」という、衝撃的な言葉を聞いたのだ。
いくら日本好きとはいえ、仕事も順調で、一見幸せそうに見えるこの青年がそこまで断言するのはなぜなのか? あまりにびっくりしている私に、彼は静かに語り出した。
日本人は幸せそうに見える
「中国人は明日のことはわからないんですよ。今、豊かになって、多少のお金を持てるようになったとはいっても、みんな心の中では明日のことをとても心配しているんです。中国のような国では、これから先も順調に生きていけるかどうかわからない。口に出さなくても、そんな不安を抱えています。でも、日本人は違う。裕福な人もいれば、そうでない人もいるだろうけど、中国に比べれば日本は社会が安定していて、みんな幸せそうに見える。少なくとも、僕の目にはそう見えますよ…」
茫然としている私に向かって、彼は続けた。
「この国は残念な国です。日本は中国からたくさんのことを学んでよい国になりましたが、先輩であるはずの中国は、儒教の教えなど、日本に教えたすばらしいものを忘れてしまった。日本人の生き方を表すものとして、私はいつも桜を思い浮かべるんですが、日本人は毎年桜が咲くのを心待ちにして、桜が咲いたらみんなで愛でて、散ったあとの花びらまで大切にするでしょ? でも、中国人は道端に咲く野の花には目もくれないですよ。花の名前も知らないし、興味もない。ひたすら金儲けだけに邁進しています。この落差はあまりにも大きいと思います」
この青年はまだ一度も日本に行ったことはないという。日本語もごくわずかの単語しか知らない。それなのに、そこまできっぱりと言えるのはなぜなのか。聞いていくと、彼は幼い頃からテレビや書物で日本のことを学び、ずっと憧れの気持ちを抱いてきたと語ってくれた。
心を慰めてくれたのは、いつも日本のアニメだった
彼は19年間の人生を振り返った。
中学卒業後、田舎から上海に出てきた。15歳でコック見習いとなり、1日13時間以上、働きづめに働いた。汚い狭い寮で農民工たちと共同生活を送り、自分のスペースはごくわずか。毎日ただ疲れ果てて眠るだけの生活だった。布団に入っても寂しさと辛さで寝つけなかったとき、心を慰めてくれたのはいつも日本のアニメだった。
「その頃、よく布団にくるまって見ていたのは『 Angel Beats! 』というアニメでした。布団がゴソゴソするな、と思ったらネズミが這い回っているんですよ。そんな劣悪な環境下でも、好きなアニメを見ている時間はとても幸せで、一瞬だけ嫌なことを忘れられました。日本のアニメには、日本人の人間性が凝縮されていると思いました。いつか、好きなアニメを山ほど見て、コスプレもたくさんして、日本旅行に行きたいと思って、今日まで歯を食いしばってがんばってきたんです」
実は彼の両親は金持ちだという。親族の多くは海外に住んでいる。しかし、両親の方針で彼は都会にひとりだけ放り出された。「富二代」(金持ちの二代目のボンボン。悪い意味に使われる場合もある)でダメな人間にならないように、という両親の厳しい考え方によるものだと聞いて、また驚いた。
現在は上海の高層ビルが集積する浦東地区にある100平方メートル以上のマンションにひとりで住み、とあるビジネスで成功している。若くして大人たちに囲まれて苦労したせいだろうか、かわいらしく中性的な顔立ちとは裏腹に、語り口調はどこか達観しているように感じられるが、そんな彼に私はあえて、こんな質問を投げかけてみた。
どの国にも、いろいろな人がいるが
「日本人にだっていい人もいれば、悪い人もいる。必ずしもいい人ばかりではないよ。それほど日本を大好きでいてくれるのはうれしいけれど、将来あなたが日本に行ったとき、あまりに期待が大きすぎて、幻滅してしまわないか、私はとても心配だよ」
すると、彼からはこんな返事が返ってきた。
「どの国にも、いろいろな人がいることはよくわかっています。このバーにもよく日本人が来ますが、彼らとは友だちになれないな、と思っていましたから。でも、彼(そのバーで私たちと同席していた20代の日本人男性)と出会って、同じ価値観を持つ、初めての日本人の友だちができた。彼からは日本人らしい“礼節”を感じることができました。表面的ではなく、中身で付き合っていける友だちができて、心底うれしいと思いました」
彼は5歳年上のその日本人のことを、日本語で親しみを込めて「おにいちゃん」「おにいちゃん」と呼んでいた。その言葉は、その中国人青年が初めて学んだ「生きた日本語」であり、出会った青年もまた、尊敬できる日本人だったに違いない。