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令和時代の皇室について考えたいこと:少数派の自覚をもち、国際社会と移民=新日本人に対して説明責任を

今井佐緒里欧州/EU・国際関係の研究者、ジャーナリスト、編集者
5月1日、東京中央郵便局にて。(写真:長田洋平/アフロ)

新しい時代「令和」の到来である。

この稿では、世界の観点から、皇室の位置づけを考えてみたい。

まず何よりも大事なのは、世界では王室・皇室がある国は、圧倒的に少数派であることを自覚することだと思う。

現在、国連加盟国は193カ国あるが、このうち王室がある国は27カ国しかない。これで計算するなら、世界でたったの14%弱である。

この他、カナダやオーストラリアなど、遠方に住む英国王(エリザベス2世)を国家元首にしている「英連邦王国」に属する国が、15カ国ある。これを足しても42カ国で、約22%、世界の4分の1にも満たないのである。

ちなみに、英連邦王国に属する国は大半が島で、人口が100万人を越えているのは、オーストラリア、カナダ、ニュージーランド、ジャマイカ、パプアニューギニアの5カ国だけである。

下にリストを掲載したので、見てみて頂きたい。こんなにも少ないことや、なじみのない国の列挙に驚くのではないか。

日本には皇室があるので、外国を見る時に「この国は王室がない」という目で見る。誰だって自分を基準に他者を見るので、そのこと自体はごく普通だと思う。

でも、その視線は世界においては少数派であること、世界では「この国には王室がある」という視線のほうが圧倒的に多数を占めることを、心に留めておくべきだと思う。

このような議論を今まで見かけなかったのは、「自分を基準に他者を見る」「自分が当たり前と思っている」という「自分の世界」から飛び出すことがほとんどなかったからかもしれない。

なぜ自覚が必要なのかというと、私達が国際社会において、自分の国を理解してもらうための言葉をもつため、そして、自分の国のあり方や皇室のあり方を考えるためである。

これは、一人ひとりの問題でもあるし、皇室の人たちの問題にもつながりうる。

例えば、よく「雅子さまは外国語が達者だから、それを活かして活躍して頂きたい」という。それはそうなのだけど、何を話すのか、どう活躍するのか、それが一番の問題ではないだろうか。

皇室外交では、世界の王族との交流も多いとはいえ、ほとんどの要人は王室のない国から来ているだろう。国民にある程度の合意がなければ、皇室の人たちは何をどこまで話していいのかすら迷うのではないだろうか。憲法や法律に、「象徴」としてこういう話はしてもいいとかダメとか、そういう規定はないのだから。

位置づけがあいまいな天皇

もう一つ、例を挙げてみたい。

「日本では天皇誕生日が、国の一番大事な祝日なんでしょう?」と聞かれることがあるのだけど、本当に返事に困る。

筆者はフランスの政府機関で不定期で働いていて、その際に様々な国の人々と出会い話す機会があるので、そのような時にこの質問を受ける。

とてもありがたいことに、日本を知らないという人には会ったことがなく、日本という国の説明から始める必要はない(世の中には、自分の出身国名を言っても「知らない」という反応をされる人たちもいるのだ)。

私達が考える以上に日本のことは知られて興味をもたれており、たくさんの質問をされるが、休日はその一つである。

ほとんどの国で「最も大事な国の祝日」は、革命記念日(またはそれに準ずる日)か、独立記念日である。どちらも日本にはない。

要するに、現在の国家体制を形づくった記念の日が、一番重要な祝日ということになるのだ。

世界のほとんどは、一昔前まで植民地だった。そんな国にとっては独立記念日が最重要である。そして、これらの国々の大半は、独立して「共和国」を建設しており、王室はない(実際は、大統領などによる独裁国家も多い。それでも「王」は名乗らない。地域的には中東は例外と言えるのではないか)。

ヨーロッパは植民地になったことがない国ばかりであるが、革命が起きて王室が廃止された国が過半数を占める。欧州連合(EU)27カ国(離脱を正式に表明した英国除く)のうち、王室があるのは6カ国にすぎない。たったの約2割である。

このような世界にあって、「そんなに王室を大切に保存している(?)国なのだから、当然王様(天皇)の誕生日が一番大事なのだろう」と、大抵の人は思っている感じがする。

しかし、日本では、天皇を国家元首と位置づけることすら明確にしていない。英語やフランス語の「世界の国の一覧解説」のような資料には、国家元首の欄に「天皇」と書いてあるのをよく見かけるのだけど。

筆者がどう答えるかと言うと。

「うーん・・・ノーというわけじゃないけど、別にパレードや花火があるわけじゃないし、店先とかで人々がお祝いの気持ちを示す何かを飾るわけでもないし・・・一番誰もが祝うのはお正月かしら」などと答えてしまう。

すると「ふーん、そうなんですか??」という不思議そうな反応をされることが多い。そりゃそうだろう・・・そもそも、お正月やクリスマスと、国家を記念するお祝いとは別物だ。我ながらマヌケな答えなのだけど、他に答えが思いつかなくて、本当に困ってしまう。

説明責任が問われる

誤解しないでいただきたいのだが、多数派が偉い、多数派というスタンダードにならえと言っているのではない。

変な例えで恐縮だが、もし日本以外の世界中のすべての国でパン食になろうとも、日本人がご飯を食べたければ、食べれば良い。自分の国のことは自分で決めればいい。

でも、世界において少数派になるのには、理由があるはずだ。そして少数派は何かと大変であると、学校や職場の一部署から国際社会まで、そういうものなのだ。

すべての国の人は、国際社会において自国を説明する言葉をもったほうがいいけれど、少数派はいっそう説明責任が重くのしかかる。日本は先進国で注目が集まるし、国際社会における責任も重いので、よけいに大変だ。自らを冷静に分析して位置づける必要が、より高い。理論武装と言ってもいい。だからこそ、自覚をして説明する能力を磨く必要があるのだ。

よく日本の皇室を説明するのに、「日本の皇室は万世一系」という表現が使われる(これが歴史学究の観点において正確かどうかの議論は置いておく)。しかし、これは歴史を踏まえた状況説明にすぎない。分析して位置づけされた説明になっていない、つまり、人を説得できる「論理」になっていない。「なぜ万世一系なのか」というところを説明しなければ、外国人にはわからない。「日本は特殊だから」というのは、思考停止である。

ちなみに筆者はどう説明しているかというと。

「まず、日本の天皇家は、権威はあるが、権力がない時代のほうがはるかに長かった。絶対的権力者である時代はとても短かったので、延々と続いた」

「『すべての権力は腐敗する』という。逆説的な言い方だけど、延々と続いたということは、権力がなかったことの証である」

「第2次世界大戦における天皇のイメージは、日本の長い歴史から見ると、むしろ例外に入る」

「次に、島国で、特に東側には広大な海しかなく、外国が攻めてくることが数回しかなかった。海が日本を何千年も守ってくれた。今は大変だけど」

「島とは巨大な村社会になりがちで、日本人は、ある意味、島の穏やかな性質をもつ人々である。絶えず異民族が攻めてくる大陸の人とは感覚が異なる。でもこれも変わらざるをえなくなっていると思う」

のように答えている。

とても十分とは言えないとは思うのだけど、経験的に言えば、この説明で外国人は一応は納得してくれているようだ。

(余談ですが、それにしても、日本人はすべてにおいて、状況説明と論理の区別が大変苦手である。この区別や論理を求める学校教育は、皆無に等しい。そのかわり求められるのは、空気を読むことだ。外国人にそれを求めても無駄である。思えば筆者のフランス語&英語研究生活は、やってもやっても区別が下手で、かつ論理が弱い、自分の無能ぶりとの戦いだと思っている)。

移民が変える「日本人」の定義と、皇室のあり方

今から思えば、日本人はお題目のように「天皇は日本国民の象徴」と唱えてきた。

でも「では一体象徴とは何か。具体的に何をすればいいのか」というのは、憲法や法律には何も書かれていない。

それを一つひとつの行動や発言を通して具現化してきた平成の天皇皇后両陛下は、本当に偉大だったのだと、退位を通じて気付かされた。自然と尊敬の念がわきおこる。これからはのんびりとお過ごしになり、お二人でいつまでも仲睦まじく長生きなさって頂きたいと願っている。

それなら、新しい「令和」の時代の「象徴」のあり方とは何か。

おそらく今後日本を劇的に変えてゆくのは、移民の受け入れだろう。

政府や役所は「移民」という言葉を使いたがらない。現実を歪めるほどの言葉のひどいまやかしは、原発の例に見られるように、日本人のお家芸である。

そういうごまかしをして逃げているということは、しかるべき対策を取っていないということである。

欧州やアメリカへの移民流入を、他人事だと思っているのだろう。愚かなことだ。世界の移民ビジネスを甘く見過ぎなのではないか。筆者は、このようなまやかしの状態で移民の受け入れを始めることが、たまらなく不安である。

とにかく、どんな形であれ、移民を一度受け入れたら、彼らが母国に帰るなどと、ゆめゆめ思わないほうがよい。

そして、移民の出身国を見たら、王室がない国から来た人達のほうが多数派になるだろう。彼らにとっては、王室がないという価値観がスタンダードなのだ。それが世界の多数派なのだから当然である。

例えば、先日、英国のヘンリー王子夫妻にお子さんが生まれた。おめでたいニュースであるが、フランスにいると、全体を見た場合の反応はあっさりというか薄い。

実際には、興味のある人は結構いるのだが、扱いが主要メディアのニュースでは「隣国の主要ニュース」という感じだし、他では有名俳優や歌手などのスターと同じような感じである。日本人なら不敬と言う人が出そうな感じだ。王室に敬意をもつ日本のメディアとも、愛憎ないまぜでゴシップ悪口何でもありの英国のメディアとも全然違う。

なぜこうまで違うのか。根本的にフランスには王室がないからだと思う。王室は、民主主義と人間の平等を実現するうえで葬ったものだからなのだろう。

その他にも、もともとフランス人は、王室であれスターであれ、他人のゴシップにあまり興味がないせいもあるだろう。他方で、一部のフランス人には王室に対する抜き難い憧れが存在し(女性に多い)、モナコが代わりをしているという説もある。

でもきっと王室がない世界の過半数では、このようにあっさり薄くて、興味のある人にはスターと同列にするような反応が、普通なのではないかと思う。

実際、欧州を見ていると、配偶者が元ニュースキャスターだとか元女優だとか元オリンピック選手とか、どんどん庶民化しており、王室カップルが人気商売になっている感すらある。

日本がお手本にしてきた英国も、貴族の配偶者はダイアナ元妃まで、チャールズ皇太子もウイリアム王子も、配偶者は一般人である。

人は生まれながらにして法の元に平等である、だから身分制を廃止し、人間に貴賤はない民主主義という政治体制を人間はつくってきた。これに対して、王室の特別扱いと権威ーーこの二つの両立は極めて難しいからこそ、世界の4分の3以上の国に王室がないのではないだろうか。

世界の趨勢から見たら、今後王室のある国は減ることはあっても、増えることはないだろう。実際、21世紀に入ってネパールとサモアで、世襲制による国家元首の王の地位が廃止されている。

日本にはこれから、「外国人のお客様・観光客」ではなく、日本に住んで働く人たちがやってくる。彼らに日本語を話せ、日本の風習に馴染めということは、日本に根をおろせといっているのと同じである。

令和の時代は、日本人そのものの定義を考える時代になるだろう。国籍法を改正するのか、二重国籍を認めるのかーー移民を受け入れるのなら、当然考えることになるのである。日本人の定義が変わる、新しい日本人が登場する、新しい日本になるのである。それは明治維新につぐ、大きな国家の変革になるに違いない。

日本国籍ではなくとも、永住権の改革ということもある。これによって一生涯日本に住む外国籍の人が増えることになる。

多数派という意味で王室のない国々という、世界のスタンダードの国々から日本にやってくる人たち、そして新しい日本人となった人たちに、どうやって日本の皇室を理解して受けいれてもらうのか。私達の説明責任と、説得する論理が問われるのだ。

王室がない国出身の人は、皇室を心の底から受け入れることはできないかもしれない。でも人とは、100%同意はしなくとも、本心では疑問に思っていようとも、説明に納得すれば、受け入れて従うことができる生き物だ。論理だった説明と説得は、私達の責任であり義務であり、必要なこととなるだろう。

20年後を見据えたとき。国際社会においては、いっそう少数派として皇室を説明する能力が求められる。そして、国内においては○○系日本人が増えてゆく時代を迎えている。今まで経験したことのないまったく新しい日本において、皇室の「象徴」のあり方を考えなくてはいけなくなる時代ーーちょっと先走りすぎかもしれないが、それが「令和」という時代になるのではないか。筆者はそんなふうに思っている。

*  *  *  *  *  *

●世界で王室がある国

◎アジア

カンボジア、タイ、ブータン、ブルネイ、マレーシア、日本

◎欧州

英国、オランダ、スウェーデン、スペイン、デンマーク、ノルウェー、ベルギー、モナコ、リヒテンシュタイン、ルクセンブルク

◎中東

アラブ首長国連邦、オマーン、カタール、クウェート、サウジアラビア、バーレーン、モロッコ、ヨルダン

◎アフリカ

エスワティニ(旧スワジランド)、レソト

◎オセアニア

トンガ

●英連邦王国に属する国

◎北米

カナダ

◎中南米

アンティグア・バーブーダ

グレナダ

ジャマイカ

セントキッツ・ネビス

セントビンセント・グレナディーン

セントルシア

バハマ

バルバドス

ベリーズ

◎オセアニア

オーストラリア

ソロモン諸島

ツバル

ニュージーランド

パプアニューギニア

●王室ではないが、君主制国家という意味では他に、バチカン市国、アンドラ公国がある。

欧州/EU・国際関係の研究者、ジャーナリスト、編集者

フランス・パリ在住。追求するテーマは異文明の出会い、平等と自由。EU、国際社会や地政学、文化、各国社会等をテーマに執筆。ソルボンヌ(Paris 3)大学院国際関係・欧州研究学院修士号取得。駐日EU代表部公式ウェブマガジン「EU MAG」執筆。元大使のインタビュー記事も担当(〜18年)。編著「ニッポンの評判 世界17カ国レポート」新潮社、欧州の章編著「世界で広がる脱原発」宝島社、他。Association de Presse France-Japon会員。仏の某省機関の仕事を行う(2015年〜)。出版社の編集者出身。 早稲田大学卒。ご連絡 saorit2010あっとhotmail.fr

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