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世界は前進しているのに元に戻ったと喜ぶ特異な国ニッポン

田中良紹ジャーナリスト

フーテン老人世直し録(739)

如月某日

 22日の東京株式市場は終値が3万9098円と、1989年12月29日の3万8915円以来34年ぶりに史上最高値をつけ、証券会社の中にはくす玉を割って祝うところもあった。

 史上最高値であるから祝いたくなる気持ちは分かるが、日本の株価が34年前の水準に戻っただけの話で、他国はこの34年間に軒並み株価を上げ、米国は14倍、ドイツも9倍であるのを見ると、「失われた時代」と呼ばれた34年間の日本がいかに駄目だったかを物語るニュースでもある。

 この34年間の日本の実質賃金は上昇するどころか下降しており、他国が軒並み上昇しているのと比較すると、日本は世界でも特異な国だという気になる。日本人は暮らしが良くならなくとも反乱を起こさずに耐え、34年間もひたすら我慢し続けてきたのだ。

 フーテンは敗戦の年の生まれだから、焼け野原で食料もなかった日本が復興する様をそのまま体験した世代である。高度経済成長を経て日本が世界一の債権国となり、米国との経済摩擦からバブル経済に至る時代は、日本政治の中枢を取材する立場にいた。

 そして34年前には日本の政治中枢と併せて米国議会の議論も取材した。その経験から何が日本にバブルをもたらし、その結果何が起き、その後なぜ「失われ時代」を迎えたのか、それを日本の上り坂と下り坂の両方を見てきた体験に基づいて振り返ってみたい。

 明治以来「欧米に追いつき追い越せ」を目標にしてきた日本の官僚たちが、「我々は坂の上の雲にたどり着いた」と言ったのをフーテンが聞いたのは1985年である。第二次大戦後、世界を主導してきた米国が「世界一の債務国」に転落し、代わって日本が「世界一の債権国」になったからだ。

 それをもたらしたのは貿易立国を国是とした日本の輸出攻勢である。特に自動車と家電製品は米国市場を席巻し、市場を奪われた米国メーカーは倒産に追い込まれた。米国は「日本は失業を輸出している」と猛反発し、日米の貿易戦争は激しさを増していった。

 85年は歴史の転機でもあった。2月に「闇将軍」として日本政治を操った田中角栄氏が病に倒れ、日本政治は構造変化の時を迎えた。3月にソ連共産党書記長にゴルバチョフ氏が就任し、冷戦構造も終焉の時を迎えた。4月には電電公社が株式会社NTTとなり、その株を買おうと日本に株式ブームが起きた。そして9月にプラザ合意で日本に対する米国の逆襲が始まった。

 プラザ合意は極秘に進められた。竹下大蔵大臣はゴルフに行くと言って家を出て、ゴルフ場からニューヨークのプラザホテルに直行した。この会談で米国はドル安を要求、1ドル235円だったレートが150円台に跳ね上がり、日本の輸出産業は壊滅的打撃を受けた。

 翌86年、日米半導体協定が結ばれた。日本は世界シェア7割だった半導体を米国に明け渡すことになり、そこに韓国や台湾が入り込んで日本の半導体は国際競争力を失った。

 87年、パリのルーブル宮殿でG5のルーブル合意が交わされた。ここで米国から低金利が要求され、ドイツは拒否したが日本は受け入れた。これが日本経済にバブルをもたらす結果を生む。

 88年、国際決済銀行(BIS)は国際業務を行う銀行の自己資本比率を8%以上にしなければならないと決めた。これは国際金融市場で急速に存在感を高めた日本の銀行の自己資本比率が低いことから、それを叩くための措置ではないかと噂された。

 85年に日本の銀行は時価総額で世界のベスト10に5行も入っていた。2位から5位までが日本興業銀行(現みずほ)、住友銀行(現三井住友)、富士銀行(現みずほ)、第一勧業銀行(現みずほ)で、7位に三菱銀行(現三菱UFJ)が入った。

 因みに1位と9位は日本のNTTと東京電力である。ベスト10に日本の企業が7社も入り、外国勢は6位IBM、8位エクソン、10位ロイヤル・ダッチ・シェルの3社のみだった。それが今や日本の企業は10位どころか50位以内にトヨタが1社入っているだけだ。それも台湾や韓国の企業より下位である。

 現在と比べれば89年の日本がどれだけ華々しかったかが分かる。しかし株価は最高値を付けた翌月から下落の一途をたどった。バブルは90年の初めには崩壊していたのだが、誰もバブルが終わったとは思っていなかった。

 バブルの代名詞でもあるディスコ「ジュリアナ東京」は91年に開業した。そして94年まで営業を続けたから、日本人は現実を見ることなくすでに崩壊したバブルの幻影の中で踊り狂っていたことになる。

 バブルはなぜ起きたか。フーテンの記憶では87年だったと思う。自民党の金丸副総裁が講演で「日本にはオフィスビルが足りない」と演説した。日本は巨額の貿易黒字で世界中からマネーが集まる。そのマネーを海外に投資してまた利息を稼ぐ。海外の投資家は日本の株式市場を注目している。だから海外の証券会社が日本に進出してくる。そのオフィスビルが足りないと言ったのだ。

 そこで東京のベイエリアにオフィスビルを建てる計画が作成された。狙いはインフレ対策だ。大量に流れ込むマネーを放置すればインフレが起きて国民生活を圧迫する。それを防ぐにはマネーを土地と株に吸収させる必要があると考えられた。

 ベイエリアに土地を持つ鉄鋼会社と造船会社の土地を買いオフィスを作れば、斜陽産業の鉄鋼業と造船業を救済することもできる。もう一方で民営化されたNTTの株価を上げて経営体力を強化し、情報化時代の世界との競争に備える必要もあった。

 そのため意図的に土地と株価を上げる政策が採られた。これがフーテンの知るバブルの始まりである。そしてルーブル合意によって日銀が低金利政策を採用したため、銀行は金利で商売をすることができなくなっていた。

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ジャーナリスト

1969年TBS入社。ドキュメンタリー・ディレクターや放送記者としてロッキード事件、田中角栄、日米摩擦などを取材。90年 米国の政治専門テレビC-SPANの配給権を取得。日本に米議会情報を紹介しながら国会の映像公開を提案。98年CS放送で「国会TV」を開局。07年退職し現在はブログ執筆と政治塾を主宰■オンライン「田中塾」の次回日時:11月24日(日)午後3時から4時半まで。パソコンかスマホでご覧いただけます。世界と日本の政治の動きを講義し、皆様からの質問を受け付けます。参加ご希望の方は https://bit.ly/2WUhRgg までお申し込みください。

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