「ホラクラシー」も「ティール」も、経営の「あり方」であって「やり方」ではない
ホラクラシーとは何か
「ホラクラシー」(holacracy)とは、「階層や身分といった経営者が意図的につくったものを徹底的に排除して、意思決定や行動を個人に委ね、自律的な個人が自らの意志で動きながらも、一つのまとまった活動をしていくこと目指した経営スタイルの一つ」(三城の定義)です。
米国では、ザッポス(Zappos)社が目指していることで、よく知られるようになりました。
ホラクラシーは、統一ルールや階層構造を作らないのが特徴なので、「ヒエラルキー」(hierarchie:ドイツ語)とホラクラシーはよく比較されます。しかし、ホラクラシーの反対がヒエラルキーだというのは、少し乱暴な説明であり、そのような説明をしている限り、本当のホラクラシーを理解できないと私は考えています。
部分でありながら全体でもあるという概念
ホラクラシーの語源は、「部分でありながら全体でもある」という物理学や哲学で使われる「ホロン」(holon)だとされています。
一人ひとりが「部分」でありながら「全体」でもあると感じることができていることが重要だと思います。
これは論理的には説明しづらいのですが、全員が自然体で意思決定ができていることであり、全体も自然体で成り立っているということです。
私が16年間、組織人事の世界にて試行錯誤し、さらに経営者としてたくさんの失敗をしてきた経験からいうと、ホラクラシーを実現するためには、経営者の意識変容と人材採用がもっとも大切だと思います。
徹底的に社員を信頼した経営の中で、相互信頼して、素直に自然に、内なる動機に基づく行動を取ることができる人材がいることが、とても重要だと思います。
ティールとは何か
「ティール」とは、マッキンゼーで10年間組織変革プロジェクトに携わってきたフレデリック・ラルー氏が提唱した「進化型」組織のことで、英治出版により『ティール組織ーマネジメントの常識を覆す次世代型組織の出現』が出版されてから、日本でも話題を呼び、議論がされてきつつある組織のあり方です。
フレデリック・ラルーは組織の進化を色の波長で表現し、「衝撃型(レッド)」「順応型(アンバー)」「達成型(オレンジ)」「多元型(グリーン)」「進化型(ティール)」と発達段階として、それぞれを説明しています。
そして、著書によると、ティール組織では、上下関係も、売上目標も、予算もないといいます。
同書において、ホラクラシーに関する説明もなされていますが、ティールもホラクラシーも、理想として目指している方向性は同じだと私は思います。
そして、これらの「概念」は、今になって表現され、流行するようになったのですが、ティールやホラクラシーで説明される「現象」は、この概念が定義される以前からずっと、存在していたものです。
「やり方」を「真似する」のではなく「あり方」を「感じ取る」
私は、組織人事のコンサルタントとして8年。その後、経営者として8年。ちょうど半分ずつ、違う立場から「組織」や「人事」について、考えてきました。
その中で、成果主義もコンピテンシーもキャリアディベロップメントプログラムも、組織人事の分野で流行が起きるときは、次のようなことをいつも意識しています。
表面的な理解でやり方を真似ると失敗する
世の中には、色々な「やり方(HOW)」が存在しますが、やり方を真似したり、参考にしたりするだけでは、どうもうまく行かないようです。
むしろ、あらゆる策を実施するために、やることが増えて、結果的に皆が疲弊して逆効果、ということが多くあります。
あるいは、何の効果も見られなかったという結果に終わることも多いです。
ホラクラシーやティールはTo doではなくTo be
ホラクラシーやティールにおいて大事なのは、予算を作らないとか、目標を立てないとか、上下関係を作らないといった「やり方」や「進め方」ではなく、そこに存在する人、特に経営者の「あり方」や「感じ方」がもっとも重要です。
簡単に言うと、経営者や人事部門が「頭(=大脳新皮質)」だけで考えた方策は、「心(=古い脳)」が入っていないのでうまく行かないのです。そこには、皆を変えたいとか、業績をあげたいといった「私心」「エゴ」、つまりは、経営者の意図がはいってしまっていて、それが組織や人に、悪く伝わっていってしまうようです。
答えは「目に見えないところ」「意識されていないところ」にある
甲子園常勝校と同じ練習メニューで練習しても、甲子園にいけないのはなぜか?
リッツカールトンと同じ「クレド」を作っても、リッツカールトンと同じサービス品質になれないのはなぜか?
トヨタ自動車の真似をして、改善箱を工場に設置したが、改善提案が集まらないのはなぜか?
上記のようなことを考えると良いと思います。
答えは「見えないところ」にあります。
経営者や人事の「やって欲しい」「変わって欲しい」「業績をあげて欲しい」「モチベーションをあげて欲しい」というエゴが存在する限り、どんなに「やり方」を真似てもうまくいかないのです。
甲子園の常勝校のやり方を真似しても、それが監督やコーチの強い意図に基づくものであれば、選手はやらされ感で実施します。一方で、常勝校の選手たちは、自然にそれができています。この自然にできているという点が重要なのです。かたや「やらされ感」でやっているのに対して、常勝校は「無意識」にそれを実行できているのです。
人は「無意識」に影響を受けます。
この無意識の部分の重要性が、これからの人材マネジメントでは議論され始めると思います。
ホラクラシーもティールも無意識レベルも含めた共感で成り立っています。そこまで至れるかどうかが勝負です。
そして、無意識レベルも含めた共感組織を実現するためには、経営(者)自体が、内面から(見えない部分も含めて)変化しないといけないのです。
これは、全体が自分でもあり、自分も全体でもあるという感覚です。
ホラクラシーやティールについては、表面的な手法を「頭」で理解して真似るのではなく、自組織や自分自身のあり方について「心」を使って観察することから、はじめていただくことをお勧めします。
最後に大好きな絵本からの引用を・・・