イラク:危機が起きるには訳がある
結果が確定したわけじゃないよ
2018年5月12日、イラクで国会議員選挙の投票が行われた。この選挙は、イラクで現在の政治体制がとられるようになってから2006年、2010年、2014年に次ぐものだったが、従来6割を超えていた投票率は、今回の選挙では約45%に終わった。
選挙結果は、当初見込み、或いは投開票直後の報道に反し、サドル派が第一党となった。しかし、第一党の獲得議席も総定数(328)の2割に満たない小党乱立状態である。さらに、「結果」への異議申し立てが相次いで手作業による再集計を行うことが決定した。ところが、その票の保管場所が放火されるなどして事態が混乱し、本稿執筆時で疑念がもたれている票の再集計は始まっていない。さらに、2014年に選出された議会が6月30日に任期切れを迎え、イラクは旧議会の任期切れ、新議会が未発足という憲政上の空白状態に突入した。
にもかかわらず、未確定の「結果」に基づく各政治勢力間の合従連衡は着々と進み、それに基づく政治的役職や権益の配分についても様々な情報が聴かれるようになった。つまり、選挙に参加した諸般の政治勢力にとって、重要なのは諸派の間の権益配分であり、有権者に何か判断を示してもらったり、選択したりしてもらうという意味では、イラクの国会議員選挙の意義や重要性は乏しいものであった。
「民主的な」選挙をやったんで大ヒット間違いなし
結果を巡る迷走はともかく、今般の選挙の競争性や透明性などについて、「国際社会」や報道機関などから特段の論評はない。つまり、選挙そのものは民主的でまっとうなものと認知されているようだ。その一方で、選挙やイラクの政治過程の実質面はというと、有権者が「何も選択しない/できない」選挙と言っても過言でないほどの状態に陥っている。なぜこのような事態になっているかというと、選挙そのものだけでなく、議会や内閣の運営にもかかわる根深い事情がある。
2010年3月の選挙後、最高裁は首班指名を受ける「最大会派」が選挙での獲得議席第一位の党派ではなく、「選挙後の交渉によって作られた会派」でも構わないとの判断を示した。これにより、各政党はわざわざ時間・お金・手間をかけて選挙で第1位をとるような全国的な選挙連合を作ったり、全国的に有権者の支持を得るような政策を作ったりする必要が一切なくなった。各政党がやるべきことは、自らの固定票を固めたり、選挙区ごとに最も有利な同盟に参加したりして、「選挙後の会派づくり」交渉で自派の発言力を確保できる数の議席を確保することだけになった。これでは、有権者が選んだはずの選挙連合は、選挙後の交渉によっていかようにでも組み替えられるので、有権者にとって、選挙は政権や政策を選ぶ機会ではなく、地縁・血縁や党派的な縁故を通じて提供される様々な便宜への返礼か、地域のボスへの忠誠の表明として投票するだけの場となった。
こうした「儀式」は、制度の上では民主的で競争的で、しかも女性や「少数派」への議席配分にも配慮した制度の中で行われる。イラクのような多くの宗教・宗派、民族集団を包含する社会においては適切な制度が導入されたのかもしれない。しかし、有権者、つまりイラク人民はどんな選挙をいくらやろうと、その結果が政治や社会に反映されにくいものとなっており、そうした選挙に「自発的に」参加することの意義を見出し難くなっている。投票率の低下は政治不信を反映したものと論評されているが、不信の矛先は個々の政治家や政治勢力だけでなく、有権者の意向が反映されにくい制度そのものにも向いているだろう。
今の政治制度なんて、ばかげてると言ったろ
とはいうものの、既成の制度の中でその参加者が自身の利得を最大化しようと振る舞うことは当然のことであり、その意味ではイラクのいかなる政治勢力も、そして有権者も責めることはできない。問題は、現行の政治過程や選挙制度が、「何かを決める」上で本来の機能を果たさず、有権者からの信頼を失っていることだ。現行の政治過程・制度自体に対する信頼が失われることにより、不満や要求事項を持つ人々は制度外の手法でしか自分たちの望みをかなえられなくなりがちである。制度外の手法には、法的規制の枠を超えたストライキや抗議行動などがあろうが、暴力の行使やその脅しによって政治的主張を流布させたり実現したりしようとするテロリズムもそうした環境で採用されうる選択肢の一つだ。
政治行動としてテロリズムが有力な選択肢に浮上すると、政治的行動様式として専らテロリズムを採用するイスラーム過激派のプロパガンダや勧誘も説得力を増す可能性が出てくる。つまり、「イスラーム国」なりイスラーム過激派が現在の退潮状態から脱する上で恐れるべきなのは、彼らの「メッセージが残っているから」とか「経験者がたくさん潜伏しているから」ではなく、まっとうな政治活動によって要求事項を実現させる、不満を表明する、世の中を変える、といったことが実現しないという諦観である。現在のイラクの政治過程とそのもとでの諸制度、そして制度内で利得を最大化させようとする諸当事者の行動様式は、こうした諦観を広める上ではとても効果的だ。
何度も同じことを繰り返すなんて、もううんざり
注意すべき点は、今般の選挙での投票率の低下に代表される政治や制度への不信は、2018年に突如生じたものではなく、これまでほとんど顔触れが変わらないイラクの政界の諸当事者たちの行動の積み重ねによって生じたものである点だ。2006年の選挙は、1月20日に選挙結果が発表されたが、5月20日にマーリキー内閣発足するまでに4カ月を要した。しかも、当時のイラクにとっての重要課題である治安面を担う国防・内務は空席だった(『中東研究』495号)。2010年の選挙の際も、3月7日に投票日、3月26日に「最終」結果が発表されたが、選挙結果を受けたマーリキー内閣が発足したのは12月下旬である。ちなみに、国防・内務・国家安全保障の職はマーリキー首相が兼務した。また、この選挙の際に、最高裁が首班指名を受ける「最大会派」は選挙後の交渉を経て形成されたものでも構わないとの判断を示すという、現在のイラクの政治過程の命運を決する判断をした(『別冊 中東研究2010年』)。
2014年の選挙は、5月19日結果が発表された。それでも、この選挙の際の投票率は60%を超えていた。ところが、選挙結果判明から組閣終了までに長期間要するというこれまでの「慣例」を突く形で、6月10日に「イラクとシャームのイスラーム国」がモスルを占拠し、イラクだけでなく世界的な大問題となった。そんな大問題にさらされながらもイラクの政界はマヒ状態で、アバーディー内閣が承認されたのは9月8日だった。しかも、国防・内務の両閣僚は空席だった(『別冊 中東研究2014年』)。つまり、組閣という重要事項が選挙結果ではなく選挙後の諸派の談合によって決まる、その上、国防・内務などの重要閣僚が選任されず、兼務や代行という責任があいまいな状態でその任務が果たされるという状態が恒常化しているのである。2014年の「イスラーム国」の攻勢は、「選挙でものが決まらない」というイラクの政治過程の特質を踏まえたものだったとも言えよう。
そうなると、2014年の時点とほぼ同じ顔ぶれのイラクの政界の人々は、「イスラーム国」なりイスラーム過激派なりの復活を阻む上で何か教訓を得ているのだろうか?メッセージが残っている、経験者や隠れ活動家が潜伏している、として危険視されている主義主張・信条や、社会運動・犯罪集団は、中東に限らず世界中にたくさんある。しかし、それらの多くは一般の人々からの共感・関心を失ったり、社会に抜きがたい悪印象を残したりした。その結果、彼らはメッセージを再び流行させたり、構成員や支持者を増やしたりする機会をつかめないでいる。そんな中、イラクの政情を見る限り、過去の数々の失敗から一向に学ばない政治過程の当事者たちが、自ら政治過程の信頼性・有効性を貶め、暴力によって政治目標を達成しようとするテロリズムが流行する機会を招き寄せているようにすら見える。