弱者を大切にしない強者のコンビニの経営陣は背広からSDGs(エスディージーズ)バッジをはずして下さい
現在、海外に滞在し、現地の食品ロス事情を取材している。日本を離れ、客観的に日本を見てみると、世界の潮流とずれた方向に進んでいる日本の組織がよくわかる。
「弱者」に対し、愛情のある対応をしない企業は、世間の共感を得られず、消費者の心が離れていく。
ここでいう「弱者」とは、次の3つだ。
1つめは、その組織で働く人たち。
どのような契約内容であっても、その組織のブランドの傘下で働くことに変わりはない。組織の規則は経営陣が決定し、変えることもできる。働き続けることができるかどうかは、ひとえに経営者側が握っており、その意味で、経営陣以外は「弱者」と言えるだろう。
2つめは、扱っているサービスや商品。
企業は、扱っているサービスや商品を「終売(しゅうばい)」にすることができる。食品関連企業であれば、食べ物がそれにあたる。人は、食べ物を、どうにでも扱うことができる。敬意を抱いて大切にすることもできるし、粗末に扱い捨てることもできる。人にとって、食べ物は「弱者」だ。
3つめは、地球。
見方を変えれば人間の方が地球より弱い立場にある。地球が引き起こす自然災害は、人の命を一気に奪う。
でも、人間が好き放題に地球の資源を扱うこともできる。その意味で、地球は「弱者」とも言える。
SDGsバッジをつけるなら「誰一人取り残さない」を実践すべし
経営陣でSDGs(エスディージーズ)バッジをつけている人をよく見るようになった。虹色のドーナツのような形をしたロゴマークのバッジだ。
SDGsは、2015年9月に国連サミットで採択された、2030年までに世界で達成すべき17の目標を掲げている。
SDGsの精神とは「誰一人取り残さない」世界の実現だ。
「グリーンウォッシュ」は、環境配慮をしているかのごとく、うわべだけを装う姿勢を言う。カナダのジャーナリストのナオミ・クラインは、著書『ブランドなんか、いらない』を出版し、企業の「グリーンウォッシュ」を、20年以上、調べてきた。
「SDGsウォッシュ」とは、SDGsの理念を実現してもいないのに、あたかもしているかのごとく装うこと。
その組織で働く人が取り残されている状況なら、経営陣が背広の胸にSDGsバッジをつけていることは、「わたし(の会社)はSDGsウォッシュです」とわざわざ宣伝していることになる。
SDGsの「12.3」(じゅうにいてんさん:12番目のゴールの3つめのターゲット)には、「2030年までに、世界の小売・消費者レベルで食料廃棄を半減する」という数値目標が掲げられている。
いまこの瞬間から食べ物を捨てない努力をしていることこそ、SDGsの実践者の証拠だ。
仕事は人が幸せを感じられるためのもの
広島の「捨てないパン屋」、ブーランジェリー・ドリアンの田村夫妻は、ヨーロッパへパンづくりの修行へ行き、パンを1個も捨てない姿勢を学んだ。働く人が充分休むことができる働き方を学び、日本に戻ってから、いいところを取り入れた。年商を保ちながら、8人で働いていたのを2人に減らし、休みは増やすことができた。2015年秋からパンを1個も捨てていない。
仕事は、人が不幸になるためのものではない。人が幸せになるためのものだ。それが実現できない組織は、人を働かせる権利はない。
「強者」であることを誇っても、仕事の本質を理解している人から見れば、その裸の王様ぶりが滑稽で、気の毒にすらなる。出店数や販売数をいくらアピールしても、そんな物差しだけで評価される時代はとうの昔に過ぎている。だからこそ、国連サミットでSDGsが採択され、先進諸国はそうでない物差しを使い始めているのだ。崖っぷちにいることに早く気づいて、ベクトルを方向転換してほしい。人間からみて「弱者」にあたる食べ物に対して、ひどい仕打ちをしないでほしい。人を粗末にし、食べ物を捨てた呪いや祟りは、きっと間違いなく恐ろしい。もう、その兆候は現れてきているのではないだろうか。