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メキシカンリーグ、エクスパンションへ舵を切る。来季から18球団制へ

阿佐智ベースボールジャーナリスト

 日本シリーズでの巨人の2年連続4連敗によって「セ・パ格差」の議論が喧しくなっている。この「格差」を打開するため、「1リーグ制」やさらにはサッカーのような「2部制」を採用すべきだとする論調まで現れている。現在のセ・パの両リーグを1リーグにまとめれば、パのスピードとパワーあふれる野球にもまれるため、リーグ内の他チームから主力を引き抜き「内弁慶」状態の巨人を含めたセの球団が刺激を受け、レベルアップにつながり、さらには、そこで淘汰された弱いチームを2部に落とすことでリーグ全体が活性化するというのがその論旨のようだが、私自身は、ことはそう単純なものではないと思うし、野球界がその歴史の中で築き上げてきた2大リーグ制を崩すことが本当に球界の活性化につながるのかについても、疑問を感じている。

 ただ、現在のポストシーズンを含めた球界の枠組みに関しては、再考の時期に来ているようには感じる。6チーム中の上位3チームがポストシーズンに進んだ上、リーグチャンピオンではなく、「クライマックス・シリーズ」という大会を制したチームが、日本シリーズというチャンピオンシップに出場することには違和感を禁じ得ない。ここ数年は、いったいどのチームがリーグ優勝したのか振り返っても即座には思い浮かばないのは多くの野球ファンに共通する認識ではないだろうか。

 この問題を解決するには、両リーグが2球団ずつ、4球団を新たに迎え、両リーグ16球団、2地区制を採用し、各々のリーグの地区チャンピオンがリーグ優勝を争い、各リーグの優勝チームが「日本一」を争うフォーマットにすればいいというのはよく言われることである。しかし、選手年俸が高騰した現在のプロ野球・NPBの持続的運営を考えると、今以上にフランチャイズを増やすことは現実的ではないという球界関係者の意見もある(「球団数拡張論」にモノ申す:球界の御意見番、江本孟紀が語る球界の現実, 2018.12.17)

 私自身、16球団制を理想とはしながらも、その厳しい現実を前に、実現はまだまだ先のことだなと考えていたが、そこに海の向こうから大きなニュースが飛び込んできた。新型コロナ禍にあって今シーズンをキャンセルしたメキシカンリーグが2球団増設のエクスパンションを実施するというのだ。

長らく16球団制を基本としていたメキシカンリーグ

 昨年春にナショナルチームが来日するなど近年、日本の野球ファンにも知られるところとなったメキシカンリーグは、れっきとした「メキシコのプロ野球リーグ」である。MLB傘下のマイナーリーグの3A級リーグに位置付けられているため、そのファームリーグと誤解されていることが多いが、これは歴史的経緯からリーグそのものが、MLB傘下のマイナーリーグ組織であるナショナルアソシエーションに加盟しているためで、メキシカンリーグ各球団は、MLB球団と「提携」を結ぶことはあっても、そのファームチームではない。

 歴史も古く、創設は1925年。1936年にその前身である日本職業野球連盟が発足したNPBよりも11年古い。もっとも発足当初は首都メキシコシティ周辺のローカルリーグで、現在統計が残っている1937年にようやく全国規模の「ナショナルリーグ」になったようだ。この時の球団数は10。交通事情もあって、南北2地区制が採用された。しかし、翌年には8チームに縮小の上、地区制は廃止。純粋な1リーグ制でペナントレースを行ったが、前年2勝20敗で北地区最下位に終わったリオブランコというチームは49戦全敗という「世界記録」を残してこのシーズン終了後に姿を消している。

 その後、新たな参加球団がなかったメキシカンリーグは7球団制となり、1941年には6球団にまで縮小し、第2次世界大戦終了を迎える。この頃のメキシカンリーグは、国内での野球人気の高さ、球団数の少なさ、それにカラーバリアによってMLBから締め出された有色人種の選手がアメリカから渡ってきたこともあってMLBに比するレベルを誇っていたという。そして、1946年には8球団制に拡大した上、MLBから選手を引き抜く「野球戦争」を仕掛けたものの、これに敗れ、再び6球団制に縮小してしまう。1949年には8球団制に復帰し、その後も国内の野球人気の低下もあってか、頻繁なフランチャイズの変更、球団の撤退などがあり、球団数は6から8の間で増減を繰り返す。

 このフォーマットが大きく変わったのは1970年のことである。8球団制から2球団を加えたメキシカンリーグは、2地区制を採用。メキシコでは地区をまたいだ「交流戦」は、すべての他地区チームと必ず行うわけではなく、その数も少ないため、事実上の2リーグ制と言える。この年以降、メキシカンリーグは基本的にこのフォーマットで現在に至っている。

メキシカンリーグの歴史を見守ってきた今はなきパルケ・セグロ・ソシアル(メキシコシティ)
メキシカンリーグの歴史を見守ってきた今はなきパルケ・セグロ・ソシアル(メキシコシティ)

 その後、メキシカンリーグの球団数は毎年2球団ずつ増加し、1973年には16球団にまで増加。南北両地区をさらに東西に分け、4地区制を採用する。そして、1960年以降併存していたA級に位置付けられていたマイナーリーグ、メキシカンセントラルリーグが1978年限りで廃絶すると、このリーグの加盟球団の一部がメキシカンリーグに合流し、1979年には球団数は史上最高値の20にまで拡大した。

 しかし、急速な拡大策は、リーグ運営の破綻を招き、1980年にリーグの規模は大幅に縮小。1981年以降は再び16球団制に戻り、一時的に3地区15球団制や14球団制となった年もありながらも、このかたちで現在に至っている。

縮小案の出る中、拡大路線に舵を切ったメキシカンリーグ

 しかし、今やサッカーが国民的スポーツになる中、メキシカンリーグの経営は苦しい。プロリーグとしては、太平洋岸の地方リーグである10球団制のウィンターリーグのメキシカンパシフィックリーグがこの国には存在する。このリーグが、メジャーリーガーやマイナーの有力選手を集め、高いレベルを誇り、毎試合1万人近くをスタジアムに集める、MLB、NPB、そして韓国のKBOに次ぐ世界第4位のパワーハウスに成長する一方、国内選手やマイナーのロースターから漏れた外国人選手で構成される16球団制の全国リーグであるメキシカンリーグは、平均すると1試合5000人ほどの集客力しかない。ここ数年は、球団の身売り、移転、消滅の話が毎年のように持ち上がっている。その中でのコロナ禍によるリーグ戦休止はリーグの存続そのものにも影響を及ぼすものであったことは想像に難くない。

 そのような中、メディアではリーグの縮小案や2部制への移行案なども取り沙汰されていた。これまで2地区制ではなく、集客力のあるメキシコシティ、モンテレイ、ユカタンなどの人気球団で構成される1部リーグと、2000人も入れば御の字の弱小球団が集う2部リーグにリーグ全体を分けようという考えが出てくるのもある意味必然というのがメキシカンリーグの現状だったのだ。

かつてメキシコシティでディアブロスロッホスと覇を争っていた名門ティグレス・デ・キンタナローも毎年のように移転、身売りが取り沙汰されている。
かつてメキシコシティでディアブロスロッホスと覇を争っていた名門ティグレス・デ・キンタナローも毎年のように移転、身売りが取り沙汰されている。

 しかし、リーグ当局は、攻めの姿勢を選択した。現状の16球団を維持した上で、来季から新たに2球団を増設して18球団制に移行すると発表したのだ。

 今回のエクスパンションで新加入するのは、メキシコ湾岸の港町、ベラクルスを本拠にするエル・アギラと西部ハリスコ州の州都グアダラハラを本拠とするマリアッチスの2チーム。ともに過去にメキシカンリーグのホームとなっていた町だ。

「赤い鷲」が14年ぶりに復活する。
「赤い鷲」が14年ぶりに復活する。

 ベラクルスはメキシコ野球発祥の地のひとつで、アギラスロッホス(レッドイーグルス)が長らく本拠を置いていた町だ。アギラスロッホスはリーグ発足前の1903年に誕生した名門チームだったが、1999年にメキシカンリーグに戻ってきたチームは2007年限りでアメリカ国境のヌエボラレドに移転。その後、アギラスの名は地元ウィンターリーグの名として復活するが、このリーグも一昨年シーズンを最後に廃絶してしまった。その間も地元財界が中心になって球団復活の働きかけが続き、今回それが叶ったかたちだ。

 メキシコでは、オーナー資本の系譜に関係なく、地元プロチームのニックネームは固定されていることが多い。今回の「エル・アギラ」の発足も、それまでの「アギラスロッホス」を受け継ぐものとして、地元では「球団復活」とみなされている。

 一方のグアダラハラは近年急速に存在感を増しているベースボールシティだ。メキシコの「野球処」である太平洋岸にほど近いハリスコ州に最初のプロチームができたのは1946年のことである。メキシカンセントラルリーグのポゾレロスがグアダラハラをホームとした。このチームがリーグの変更などを経て1949年にチャロスを名乗ると、以後この町の野球チームの名としてこれが定着していく。1995年までに通算21シーズンを戦ったチャロス・デ・ハリスコは2度リーグを制した一方、1950年代にはメキシカンパシフィックリーグの前身であるメキシカンパシフィックコーストリーグで冬のシーズンを送った。しかし、1996年以降は、この町からプロ野球の灯は消えてしまう。

1992年にはあのフェルナンド・バレンズエラもグアダラハラでプレーした。
1992年にはあのフェルナンド・バレンズエラもグアダラハラでプレーした。

 この町にプロ野球チームが返ってきたのは2014年のことである。メキシカンパシフィックリーグのグアサーベ・アルゴドネロスはこの町に移転すると、チャロスに改名。郊外の町・サポパンにあった国際大会仕様の陸上競技場を野球場に改築した上で、チーム強化を図った。その結果、2018-19年シーズンを制した。この間、本拠・エスタディオ・チャロスでは、WBC(2017)、カリビアンシリーズ(2018)などの国際大会も催され、昨年のプレミア12でもメキシコラウンドの会場となり、野球人気が高まっていた。それが今回の球団誘致につながったのだろうが、夏のメキシカンリーグのチーム名は新たに「マリアッチス」を採用した。

今やMLB公式戦も行われたモンテレイ、新球場ができた首都メキシコシティに次ぐこの国第3のベースボールシティとなったグアダラハラ郊外にあるエスタディオ・チャロス
今やMLB公式戦も行われたモンテレイ、新球場ができた首都メキシコシティに次ぐこの国第3のベースボールシティとなったグアダラハラ郊外にあるエスタディオ・チャロス

 来シーズン、メキシカンリーグは南北9チームずつで行うレギュラーシーズンの後、その上位6チームが進出する3段階のプレーオフで地区優勝を決め、両地区チャンピオンによる「セリエ・デル・レイ(王者決定シリーズ)」を行うというフォーマットを採用する。

 スポーツビジネスにおいて何が正解かはわからない。結果としての成功のみが「正解」とされるだけだ。時流に応じて、可変的に対応するメキシカンリーグは日本の野球界にある種の示唆を与えてくれるのではなかろうか。

(写真はすべて筆者撮影)

ベースボールジャーナリスト

これまで、190か国を訪ね歩き、23か国で野球を取材した経験をもつ。各国リーグともパイプをもち、これまで、多数の媒体に執筆のほか、NPB侍ジャパンのウェブサイト記事も担当した。プロからメジャーリーグ、独立リーグ、社会人野球まで広くカバー。数多くの雑誌に寄稿の他、NTT東日本の20周年記念誌作成に際しては野球について担当するなどしている。2011、2012アジアシリーズ、2018アジア大会、2019侍ジャパンシリーズ、2020、24カリビアンシリーズなど国際大会取材経験も豊富。2024年春の侍ジャパンシリーズではヨーロッパ代表のリエゾンスタッフとして帯同した。

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