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韓国はなぜ北朝鮮が嫌がる拡声器放送を再開しないのか? その3つの理由

辺真一ジャーナリスト・コリア・レポート編集長
対北放送用拡声器を点検している韓国軍(韓国国防部配信)

 北朝鮮が韓国に向けて6月24日、25日と2日連続で「ゴミ風船」を飛ばした。

 昨晩(25日夜)に散布された「ゴミ風船」はおよそ250個で、そのうち100個以上が京畿道北部及びソウルに落下したようだ。

 北朝鮮の「汚物風船」と「ゴミ風船」散布は5月28日に始まってからすでに6回に上る。一方、韓国の脱北団体はこの間、北朝鮮に向けて「ビラ風船」やビラの入ったペットボトルを流したのは6月6日、7日、20日、22日の4回しかない。

 「我々に散布するごみ量の数十倍で対応する」と、韓国を威嚇した金与正(キム・ヨジョン)党副部長の談話(5月29日)から2日後の31日に韓国統一部は「(北朝鮮にとって)耐えられないようなあらゆる措置を取る」と北朝鮮に警告を発したが、北朝鮮は意に介さず、翌日も「ゴミ風船」を飛ばしていた。

 その後も、北朝鮮が脱北団体のビラ散布(6月6~7日)に対抗し、8日から9日に掛けて再度「汚物風船」を飛ばしたため韓国軍はしびれを切らし、9日に拡声器を持ち出し、北朝鮮向け宣伝放送を開始した。ところが、放送時間は午後5時から7時までの僅か2時間に過ぎなかった。拡声器放送は後にも先にもこの1回限りである。

 韓国合同参謀本部は「放送を追加するかどうかは、北朝鮮の対応次第だ」と、北朝鮮の様子をうかがう姿勢を示したが、北朝鮮は放送終了から2時間後の夜9時には韓国軍をあざ笑うかのごとく再度「汚物風船」を飛ばしていた。

 韓国合同参謀本部は放送が2時間で中断したことについても、放送後に北朝鮮が「ゴミ風船」を飛ばししたのに拡声器放送を再開しなかったことについても直接には答えず、「戦略的、作戦的状況に従い流通性を持って放送を行っている」と意味不明の言葉を連呼していた。

 「大山鳴動して鼠一匹」ではないが、拡声器放送が再開されないのが不思議でならない。

 韓国の北朝鮮問題専門家の中には拡声器放送を再開しない理由の一つとして「韓国がこれ以上の対決危機を招く危険な行為を直ちに中止して、自粛することを厳重に警告する」との6月9日の「金与正談話」が予想していたよりも抑制的で、挑発的な内容でなかったことから韓国もそれに応え、放送を自制したのではないかと見る向きがある。

 確かに「金与正談話」は「我々が散布したのは韓国の政治宣伝ビラとは異なり単なる白紙のくずで、我々の対応は極めて低い段階の反射的な反応にすぎない」とか「我々の対応行動は9日中に終了する計画だったが、韓国が拡声器放送を開始したことで状況が変わった」と、攻撃的な内容ではなく、自己弁明に近いものだった。

 談話の中に「新たな対応を取る」との表現があったことから警戒したが、拡声器に向けた射撃など軍事的対抗措置を取らなかったことや次回は「(ゴミ風船を)百倍にする」と公言していたものの実際には前回よりも半減していたことなども勘案されたようだ。

もう一つは、一度ならず、二度三度も「ゴミ風船」を散布したわけだから本来ならば「耐えられない措置」が取られてしかるべきだが、国連軍司令部が制止しているとの見方がある。

 国連軍司令部(駐韓米軍司令部)は昨年12月に「過去70年間、1953年に締結された休戦協定を管理、強化する国連司令部の任務に変わりはない」との資料を配布し、「軍事境界線での平和と安全を守るのが我々の任務である」との見解を表明していた。

 北朝鮮が2022年12月に5年ぶりに韓国に無人機を飛ばしたことを「領空侵犯した」と非難した韓国が対抗措置として無人機2機を北朝鮮に向け飛ばし、北朝鮮の軍事基地を撮影したことがあったが、国連軍司令部は「先に違反したのは北で、お返しをしたまで」と主張する韓国の「自衛権の行使」を認めず、「南北共に休戦協定を違反した」との立場を堅持していた。

三つ目の理由は、拡声器放送をきっかけに銃撃戦となった2015年8月の悪夢の再現を避けたいのであろう。

 当時、北朝鮮の人民軍前線司令部は「拡声器を撤去しなければ、すべての拡声器を焦土化させるための正義の軍事行動を全面的に開始する」と韓国を威嚇し、2度にわたって計7発の砲弾を韓国に向け打ち込み、これに韓国軍も29発で反撃するなど朝鮮半島は一時は開戦寸前まで緊張が走ったことがあった。

 「共に民主党」など韓国の野党は「朝鮮半島を一触即発の状況に置いている」として北朝鮮への対決姿勢を鮮明にしている尹錫悦(ユン・ソクヨル)政権を批判しているが、「盤石、万全な安保体制を敷いているので軍事衝突は起きない、戦争にはならない」と言い続けている尹政権としてもこれ以上、事態が悪化して、紛争に繋がるのは得策ではないとの判断が働いて、拡声器放送を自制している可能性も考えられる。

 しかし、北朝鮮が「金与正談話」で予告したとおり、行動に移しているのに対して、韓国が有言不実行だと、北朝鮮に足元を見られ、「韓国は口先だけ」と舐められる恐れもある。

 韓国が問題にしている北朝鮮の「挑発」は「ビラ風船」以外にも全地球測位システム(GPS)利用妨害や6月9日、18日、20日と、三度にわたる北朝鮮兵士による軍事境界線侵犯もあった。また、今朝は5月30日以来、約1カ月ぶりの弾道ミサイルの発射もあった。

 韓国大統領室は国家安保室第2次長が主催し、安保状況の点検会議を開いているが、「北朝鮮の挑発には即時、強力な断固たる対応を取る」と言っている以上、拡声器放送が再開されても不思議ではない。

 しかし、どうやら今回も「北朝鮮のビラの被害が少なかった」とか「ミサイルは失敗に終わった」などの理由で見送られる公算が大きいが、尹大統領がどのような決断を下すのか、実に興味深い。

ジャーナリスト・コリア・レポート編集長

東京生まれ。明治学院大学英文科卒、新聞記者を経て1982年朝鮮問題専門誌「コリア・レポート」創刊。86年 評論家活動。98年ラジオ「アジアニュース」キャスター。03年 沖縄大学客員教授、海上保安庁政策アドバイザー(~15年3月)を歴任。外国人特派員協会、日本ペンクラブ会員。「もしも南北統一したら」(最新著)をはじめ「表裏の朝鮮半島」「韓国人と上手につきあう法」「韓国経済ハンドブック」「北朝鮮100の新常識」「金正恩の北朝鮮と日本」「世界が一目置く日本人」「大統領を殺す国 韓国」「在日の涙」「北朝鮮と日本人」(アントニオ猪木との共著)「真赤な韓国」(武藤正敏元駐韓日本大使との共著)など著書25冊

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