【名古屋市】信長と秀吉の文書を比べると、性格の違いがくっきり。酒井家文書が秀吉清正記念館で公開中
織田信長や豊臣秀吉に仕えた坂井利貞(文助)を祖とする坂井(酒井)家に伝わる文書(酒井家文書)が、中村区にある秀吉清正記念館で公開中だ。特別展示されている酒井家文書は3点。織田信長による文書が2点、豊臣秀吉によるものが1点。両者の文書の違いを見比べてみることで、性格の違いまでが伝わってくる興味深い展示となっている。
「織田信長朱印状」とされる天正2(1574)年11月25日付の文書は、尾張国内の道を1年に3度修復し、橋や用水の管理も厳重に行うように坂井文助に指示したもの。
指示の内容の後に「おろそかにする地元民がいたら、よく取り調べをして罰を下すこと」と書かれている。任務について管理主義を徹底し、怠れば事情聴取したうえで罰に処す厳格な組織運営を信長が行っていた様子が伝わってくる。
次に「豊臣秀吉朱印状」と呼ばれる文禄5(1596)年9月15日付の文書は、尾張国内を秀吉の鷹場とし、鷹のエサとする鳥を網などで捕って寄越すように坂井文助に命じている。その後で「油断なく進上すること」とある。
信長と違って処罰を前提に命令を下す厳格な態度ではなく、秀吉の文書からは、手中にした権威を背景に命令に服従させようとする姿勢がうかがえる。「やることさえやっておけば、悪いようにしないよ。私に従っておいた方が得じゃないの?」と楽観的な態度が感じられる。文書の筆跡は太く濃く大きな文字でしっかりとつづられている。
今回の特別展示のように、織田信長と豊臣秀吉の文書が並んで、見比べられることができる機会など今後も多くはないだろう。一見の価値はある。
※5月6日(月祝)まで公開中。観覧無料。
名称:名古屋市秀吉清正記念館
住所:中村区中村町茶ノ木25 中村公園文化プラザ2階
◎開館時間や休館日などの詳細は、公式サイトhttps://www.museum.city.nagoya.jp/hideyoshi/でご確認を。