小川泰弘、石川柊太ら育成し通算679勝。退任する創価大・岸雅司監督の「37年間一番欲しかったもの」
創価大学硬式野球部は2020年12月12日、オンラインでOB会である光球会を開催。その席で同部を全国的強豪へと押し上げた岸雅司監督の65歳の定年による退任が発表された。在任37年間でリーグ通算679勝を挙げるなど輝かしい実績を残したが、それ以上に欲しいものが岸監督にはあった。
東京都八王子市の創価大学のキャンパス内にあるワールドグラウンドや光球寮に行くと、その清潔さに驚く。ともに決して新しい施設では無いが、丁寧に掃除や管理が行き届いているのがよく分かり、これだけでも強豪の風格を感じさせる。
東京新大学リーグ優勝47回、全国大会4強進出10回。小川泰弘(ヤクルト)、石川柊太(ソフトバンク)らを筆頭にプロ野球界で活躍する選手も多く輩出。いまや全国的強豪となった創価大だが、1984年の岸監督就任時は「寮や練習する場所も無い。環境作りに最初は一番苦労した」と苦笑いする。そのため寮やグラウンドの整備、スポーツ推薦制度の創設、移動の際のバス、あらゆるものを学校と掛け合い、その都度実績や信頼を積み上げて、良い人材が育つ土壌を作ってきた。
その人材とはプロ野球や社会人野球で活躍する選手たちのことのみを指すのではない。「“本物”を作りたい」と岸監督は常々口にし「人間野球」を掲げた。
象徴的な存在が1986年の入学組だ。入学前年秋から続く9季連続2位に終わり優勝を一度も味わうことも無く卒業した。だが、その代の部員たちの卒業後の活躍は目覚ましい。会社や学校の要職に就く者や、プリンスホテルで活躍しバルセロナ五輪日本代表に選出、指導者としても創価大の投手コーチとして多くの好投手を育成している佐藤康弘氏もその代のOBにあたる。
だからこそ「野球の勝ち負けっていうのはね、その子の人生にはまったくまったく関係ない。この4年間だけが勝負じゃないから」と言い切り「日本一を目指して、どう戦ったかが大事」と話す。
来年4月には、もともとは一般学生用の寮で築50年以上が経過した現在の光球寮から、新しい光球寮に移る予定だ。それは7階建て、エレベーター付きで92人収容。食堂や大浴場なども岸監督や学校と業者が綿密にミーティングを重ねて生まれる自慢の寮だ。岸監督は「これが俺の最後の贈り物であって、俺への最高のプレンゼントかな。俺が37年間一番欲しかったもの」と感慨深く話す。
「俺はその時に去って行く。次の監督に住んでもらう。これ以上の引き際はない。悔いも未練も無い。これからが楽しみ。ずっと理想に描いていた“思う存分野球できる環境”ができるんだから」
新監督には30年間、岸監督のもとでコーチを務めてきた堀内尊法(たかのり)氏が就任する。長らく監督を務めていると全権監督のような存在になる者も多いが、岸監督は、技術指導は佐藤(投手)、堀内(野手)両氏に任せ、自身はマネジメントや心理面についての指導が中心で、近年は攻撃のサインも堀内氏が出していた。それだけに移行も円滑に進みそうで「人間野球を受け継いでくれるはず」と教え子でもある後継者たちに期待を託す。
多くの勝利や実績のみならず、人を残し、野球に打ち込める環境を残し、岸監督は37年の重責を終えた。