高校野球から中学野球に舞い戻った名将・鍛治舎巧監督 「根性論ではない育成術」「従属は要らない」
鍛治舎巧監督が10月1日から中学硬式野球の名門・枚方ボーイズ(大阪)の監督に復帰。その第一報となった前回の記事は大きな反響があった。後編の今回は、枚方ボーイズでの12回の日本一に加え、熊本の秀岳館高では4季連続で甲子園出場(3季連続4強入り)、県岐阜商では低迷していた母校を再建し4回の甲子園出場に導いた名将の育成術に迫った。
高校野球への転身秘話
――今回、中学野球の監督に戻られましたが、その前に2014年4月から高校野球の監督に転身した理由を教えてください。
鍛治舎 枚方ボーイズの監督として2002年に初優勝してから2014年の3月までの12年で12回日本一になったんです。でもね「枚方ボーイズの選手は早熟で高校じゃ通用しない」とネットで叩かれましてね。「そんなことはない。自分の育成は間違っていない」という自信があったので、証明しようと思ったんです。それで秀岳館の監督になりました。
――それまではNHKの甲子園中継の解説者としても人気を博していました。その影響もあったのでしょうか?
鍛治舎 ありますね。とりわけ、夏の甲子園で感じていたことなのですが、試合が終わった後の校歌斉唱で、ベンチの前に負けた高校の監督、責任教師、記録員が並んで、相手校の校歌を聞いています。その時にだいたいどの監督も涼やかな眼をして、空を見上げているんですよ。それを見て「あぁ・・・1年間やってきたことを思い出しているのかなぁ」とか「選手の3年間の成長を振り返っているのかなぁ」とか思ってね。それを解説席から見ていて何とも言えず、哀愁を感じて「いいなあ。いつかあの場に立ちたいな」と思っていたんです。
――熊本県や秀岳館とは、それまでの鍛治舎さんの野球歴を見ると縁が無さそうですが、どんなきっかけがあったのですか?
鍛治舎 秀岳館が初の甲子園出場を果たした際(2001年夏)の初戦の解説を私が担当したことがきっかけです。相手はセンバツ甲子園優勝の常総学院。僕は解説者として、いつも心がけていたことがあって、試合前のノックや投球練習場を見て「これは厳しそうだな」と感じた高校を、5回までは中心にして話すようにしているんです。6回以降は、点差も開くので勝っている方が中心になる。そうすると比較的両校バランス良く取り上げることが出来ます。だからその日も劣勢かなと思う秀岳館の話を序盤からしていたら、先制、中押し、ダメ押ししてそのまま勝ってしまった。
ーー終始、秀岳館寄りの放送になってしまったんですね(笑)
鍛治舎 はい、解説者としては大反省、大失敗です(笑)でも、秀岳館の理事長に「みんなは大敗を予想していたのに、この解説者は最初から“やってみなきゃ分からない”とか試合中も好意的なコメントばかりしてくれた」と喜んでいただいた。そこから交流が始まって、感じの良いチームだとも思ったので枚方ボーイズの主に控え選手を送っていました。代表格は今年、球団新記録の24試合連続無失点記録を達成した国吉佑樹(ロッテ)ですね。控え選手でも気持ち良く採って大事にしていただいてきた恩があったので、高校野球の監督に転身する際にいろんなオファーがありましたが、秀岳館を選びました。
「野球は根性じゃないサイエンスだ」
――秀岳館では枚方ボーイズからともに進んだ九鬼隆平(DeNA)、松尾大河(元DeNA)らが中心となって甲子園に出場した2016年春から4季連続甲子園出場、3季連続4強入りを果たしました。
鍛治舎 このことについては申し上げたいことがあります。「前年の中学5冠の主力を熊本へごっそり連れて行った」なんて書かれましたけど、そうではないですよ(笑)ほぼすべての選手やその親族が熊本や九州に縁のある選手でした。九鬼は中学3年の夏にようやく正捕手になれた遅咲きの選手ですし、エースの有村大誠(Honda)は中学3年間で1度もベンチに入れなかった。秀岳館に進んだのは地域に縁のある選手か、成績がいまひとつで甲子園常連校に行けなかった選手たちです(笑)高校入学時はそうでも、彼らは前向きに真剣に高校野球と向き合ってくれました。当時は何も言いませんでしたけど、真実はそういうことです。
――選手たちの強化方法はどのようなものだったのですか?
鍛治舎 枚方ボーイズで(活動日の)土日にしかやれなかった練習を高校では毎日やりました。だから選手は大変だったと思いますよ。でも、だからこそ一気にレベルが上がったんです。県岐阜商は公立高校で、岐阜県を代表する文武両道モデル校。学校の規則等で長時間の練習はできないので、短い時間で詰め込みました。私は投手育成に多少自信があります。独自メソッドを策定し、それに応じて進めていました。
――どんなメソッドでしょうか?
鍛治舎 体幹から鍛えてバランス良くフォームを作って、次は経験です。「ストライクから入るようにしよう」「3球で1ボール2ストライクにしよう」「1イニング10球以内に収めよう」とね。あとはゲーム感覚です。「初球は相手が打ってこない球でストライクを取ろう。相手が見逃したらボーナスポイントだぞ」と言ったりして(笑)そうやって“攻めの投球”を覚えていくんです。今申し上げた「打ってこない球を投げる」ことがセカンドステップで、言い換えればそれは「相手打者を見ること」です。このように徐々に段階を踏ませていきます。パナソニック(当時松下電器)を指導していた際に西武ライオンズにドラフト1位で入団し活躍した潮崎哲也も、そういう体験をさせ、飛躍的に成長してくれました。
――県岐阜商監督時代に取材させていただいた際、数値もかなり細かく取っていたことが印象的でした。
鍛治舎 野手も含めて数値も大事にしていて、様々な測定をしたり、プロテインの量とか食事も調整したり。「野球は根性じゃないサイエンスだ」というのが私の基本的な考え方です。
「はい!」ではなく「OK!」「なるほど」
――枚方ボーイズに戻られましたが、そこでの展望や野望はどのようなものでしょうか?
鍛治舎 日本国内の急速な人口減の中で、なんとか野球人口を増やしたいですし、もう一度私は、おこがましいですが、枚方ボーイズを「少年野球のフラッグシップ」となるようなチームにしたいんです。富士山のように頂が高ければ裾野も広い。日本一になり続けるチームを創り上げ、日本野球界の底辺となる裾野を拡げたいと強く思います。
――鍛治舎監督が退任されて以降、なぜ枚方ボーイズだけでなく関西のボーイズリーグまで勢いが衰えているのでしょうか?(※かつてボーイズリーグの全国大会では近畿勢が強さを誇っていたが、関東勢の躍進が近年は目立っている)
鍛治舎 それはやっぱり身近に目標とするチームが無いからだと思います。だから「もう一回フラッグシップチームを」ということなんです。
――例えば高校野球で言えば、青森県は「光星学院や青森山田のおかげで他の高校も強くなった」という話は聞きますよね。
鍛治舎 そうなんです。私が秀岳館へ行った時の熊本は「球速が130キロを超えたら良い投手」という風潮だったようですが、「(好投手と言うには)140キロを超えなきゃいけない」みたいな風潮にわずか3年で変わりました。あとは秀岳館が甲子園に継投を持ち込みましたよね。他校も継投が一気に増えました。追い込まれた後のノーステップバッティングもそうですね。甲子園で勝ちたいチームは、甲子園で勝つチームを研究するんです。そうやってレベルは上がっていくんです。
――県岐阜商でも勢力図を変えた印象です。
鍛治舎 決して自慢話をするつもりはありませんが、私が岐阜に行った時もそうです。当時の岐阜県の高校野球界は、中京と大垣日大の私学2強が絶対的存在でした。コロナ禍の中で制約がたくさんありながらも、母校が勝つことにより「打倒県岐商・打倒鍛治舎」に徐々に変わって行きました。中学野球の世界でも、私が同じようなお役立ちが出来れば、それが自分を育てていただいた野球界に対する恩返しになると思います。
――高校野球も経ての中学野球復帰ということで、知見や視野はさらに広がっているのではないでしょうか?
鍛治舎 高校野球は10年やりましたから、そこで常勝チームとなるには、「どういう人材を育てる必要があるか?」ということも、精神面含めてある程度分かりました。中学野球でその前段をしっかり構築していきたいと考えています。
――枚方ボーイズの現状は、どのように見てらっしゃいますか?
鍛治舎 就任前に観に行きましたが、練習でやっていることは私がかつて指揮していた時とほぼ一緒なんです。でも「本当に本気でやっているのかな?」と。例えば土日の全体練習以外の自主トレ。これを選手たちに、いかに真剣に取り組むように仕向けるか。自主性や主体性を育むために大事なのは、分かりやすい言葉です。指導者は「こうしたら、こうなるよ」ということが結果論でなく、理路整然と言えないと、選手たちには響きません。
――「スケールの大きい選手を育てたい」ということもよくおっしゃっていますね。
鍛治舎 そうでなきゃ彼らの時代には、世界で勝てないですからね。スモールベースボールでWBCが勝てますか?それだけじゃ世界一になれません。投手力で日本は世界の先陣を切っていると感じます。その前提で、打ち勝つチーム、攻め切るチームを作り上げることが世界を制することに直結します。そういう意味で日本が、日本人が、世界で勝つための選手育成をしていくことは当然です。スクイズもいるけど、スクイズだけしていても勝てないでしょう。スピードとパワーを科学的に、スパイラルに、高めていく必要があります。
――今の子供たちの気質はどのように感じていますか?
鍛治舎 素直ですね。だから「はい!」なんて要らないよと言っています。監督に従属するような言葉は要らない。返事は「OK」でいいと伝えています。叱られても、誉められても、納得したら、理解できたら「なるほど」と言うように伝えています。「練習を見ても笑顔が無いよ。笑顔で前向きにのびのびと、野球を楽しくやろうよ」とも伝えました。野球は監督のサインから始まりますが、プレー中は選手が何をするかを決めて動かないといけないので、選手が普段から主体性を持って取り組むことが重要です。
――「従属は要らない」という言葉は、とても印象的です。
鍛治舎 大事なことは自主、自立、自治です。チームが日本一を成し遂げた時、選手が「監督のおかげで勝ちました」ではなく「僕たちは、僕たちだけの力で日本一になりました」と言ってくれれば、監督冥利に尽きるというものです。そんなチームが創りたいなと思います。それが出来れば感動に打ち震えますよ!それが、チームづくりの理想郷。主役は選手ですからね。