音楽が持つ価値とは? ロックンロールの至宝、麗蘭(仲井戸麗市、土屋公平)の今
音楽が持つ価値について考えてみた。
MP3誕生以降、音楽は楽曲データ容量が“軽い”がゆえに、音楽を生み出すミュージシャンは時代に振り回されたと思う。インターネットの浸透、音楽流通の変化が理由だ。
MP3の発明、ナップスターの登場、iPod&iTunesの台頭、YouTubeの躍進、Spotifyの誕生など、目まぐるしく“送り手である”音楽流通の“主役”が入れ替わっていく。レコード時代に生まれたアルバムやシングルという概念にも変化が訪れた。誤解を恐れずにいえば、記号のように楽曲データを“コンテンツ”として扱われ、果ては聴き放題型モデルという、レストランでいうところのビッフェ形式で、月額1,000円で作品を消費しやすくなったのが昨今のポップミュージックの現状だ。
いや、聴き放題型モデルを否定したいわけではない。筆者もリスナーして聴き放題型モデルを日々活用している。棚からCDを引っ張り出してくる機会も減った。友人にSNSを通じてオススメとしてシェアするのも便利だ。それこそ、中学生の頃にこんな試聴環境が自宅でモバイルであったら、夢のようなミュージック・ライフだったと思う。
が、しかし、音楽を創造するミュージシャンの気持ちはどうだろう?
命をかけて生み出した作品が、たった月額1,000円で開放され、玉石混合に一緒くたに扱われていいのだろうか? もちろん、知ってもらえる機会は増えるかもしれない。どのみちイノベーションの進化は止まらない? う〜ん、答えは難しい。願わくば、聴き放題型モデルにもっと文化的意義を求めたくなるのはないものねだりか。
違法配信の撲滅を目的に立ち上がったSpotifyにはそういった考えが強くあるはずだが、まだまだ日本では伝わり切れていない現状が歯がゆいのだ。いったい、ミュージシャンはどう思っているのだろうか?
インターネット浸透以前、1991年に、RCサクセションの仲井戸“CHABO”麗市と、ストリートスライダースの土屋公平というブルースを愛するギタリスト2人が、麗蘭(れいらん)を結成した。
2016年、結成25周年を祝して12年振りのニューアルバム『25』を、発売日タイミングではCDのみでリリースしたことは記憶に新しい。振り返れば12年間、オリジナル・アルバム作品のリリースこそ無かったが、毎年、京都のライブハウス礫礫で年末にライブをやり続け、2005年以降、毎年のようにライブ・アルバムという形で存在を刻みつづけてきた彼ら。“コンテンツ”としての消費を避けるように、距離感の近い“体験”へとこだわりつづけてきた生き様を感じられたのだ。
音楽シーンでは2016年、90年代リバイバルがやってきたという。1991年結成の麗蘭は、25年の活動でオリジナル・アルバムは3枚ながらも、ライブ・アルバムを12枚リリースしている。継続は力なり。時代や流行、ムーヴメントを超えてやり続けてきたのだ。
麗蘭新作アルバム『25』。1曲目に収録されたリード曲「マニフェスト」は、まさに麗蘭のテーマソングとでもいうべき骨太なナンバーに仕上がっている。タイトなビートで繰り広げられるロックンロールにのせて“楽しむつもりさ でも 遊びってわけではないぜ 本気のゲームさ これは 本気のゲームさ”と言い切る様がクールに熱い。
先日、10月9日(日)に、即完した赤坂ブリッツ公演『Lay-Run 25th Anniversary Year「愛があれば歳の差なんて」』で行われた25周年ライブも印象深かった。土屋公平による作詞曲ナンバー「太陽のシェリー」のリフでは、それこそ1996年にリリースしたCHARA with The 99 1/2の「チャラのブギー・シューズ」のセンスを彷彿とさせるポップなメロディに胸が高まった。共に現状(※10月25日現在)ではAppleMUSICにもSpotifyにもアップされていない名曲だ。もちろん、今後配信される、されないかは定かではない。
麗蘭の2人それぞれが名を馳せたバンド、RCサクセション、ザ・ストリート・スライダーズは今は存在しない。しかし、麗蘭は今もなお継続して活動を続けている。日本ロックンロールの至宝、麗蘭による奇跡の音楽作品『25』を手間はかかるかもしれないが、CDを“手に取って”体感して欲しいと願う。作品から受けた感動を、熱量高い言葉の力で語り継いでいきたい1枚だ。
仲井戸“CHABO”麗市と土屋公平による『25』全曲解説
「4人の進化が自分達なりに表現できたんじゃないかな」(仲井戸麗市)
「今僕らがやれる、出したいサウンドを全て詰め込めた」(土屋公平)
1. マニフェスト(we are the Lay-Run)
仲井戸:この詞の片鱗は、3Gっていう俺がポンタと吉田建とやっていたバンドの時に書いたもの。3Gっていうのは、楽しいセッションをやりたいねっていって始まったんだけど、俺の気持ちとしては、“だけどこれは遊びじゃねぇよな”っていうことを二人やお客さんへの宣言として書いたんだ。3Gはお互いの時間が取れなくてそんなに出来なくなったけど、この言葉は残したいと思った。ただ、曲はちょっと変えたくて、公平に相談したら、英語の歌詞やコーラスを付け加えたりして、イメージを変えてくれたんだ。そういうことでライブで演りだしたら、これはもう麗蘭の曲だって思うようになった。“楽しいひとときだけど、公平、これは遊びじゃねぇよな”っていうメッセージ。もっと言えば、リズム・セクションの二人、早川とJAH-RAHへもね。君達二人も麗蘭なんだぜ、俺達4人だぜっていう。もちろん、リスナーに対してもね。ここ2〜3年の麗蘭のステージでの代表曲になったね。
土屋:曲順は1曲目か最後か、どっちかなぁって思ったけど、CHABOさんが最初にドンっと持ってきましたね。 “大麗蘭宣言”(笑)、そんな感じのサウンドにできたと思うね。
仲井戸:バンドのマニフェストかな。政治家とは違って、俺達のマニフェストは誠実だぜ、と(笑)。
2. 何はなくてもR&R
土屋:“アルバムの中で公平も何曲か歌いなよ”ってCHABOさんが言ってくれたので、“じゃあ僕と一緒に歌う曲を作りませんか?”って言ったら、しゅっしゅっと書いてきてくれた(笑)。
仲井戸:今は長いステージだったら3曲ぐらい公平が歌うことがあるんだよ。ボーカリストの公平っていうのにも俺は興味が出てきているから。それで、アルバムとしてはいろんなバランスで、2曲どう?って公平に相談して。1曲は「太陽のシェリー」で、“もう1曲、ロックンロールを歌ってよ”ってリクエストをしていたんだよね。ソロの「クレイジー・ホース」とか、あそこらの公平の軽やかでストレートなロックンロールが俺、すごい好きだから。それを公平に言ったら、“CHABOさん、何か書いてください”ってなって、えぇっ!と思ったんだけど、それも面白いなと思って。チャック・ベリーをヒントにして、“公平、こんなのできちゃったんだけど”って言ったら、それを公平が自分風のタッチで歌ってくれてね。
土屋:CHABOさんがコーラスをしてくれているのは貴重ですね。こういうCHABOさんの立ち位置はね。
仲井戸:これは公平が提案してくれたんだよ。楽しかったなぁ。歌詞に “ラブ&ピース”や”フラワーレボリューション”って出てくるけど、これって公平の匂いがするよね? モンタレー・ポップ・フェスティバルとかさ、フラワーな、公平のピースフルなタッチだよね。あそこらはもう公平のイメージで書いたね。サウンドとしては、チャック・ベリーでロックンロールを始めたストーンズさんやビートルズさん達がいて、それを聴いた俺達がいて……初期のストーンズとか、俺と公平は大好きだから、そのへんの、俺達の身体や頭に入りまくっているエッセンスが出てるよね。
3. しり切れトンボのブルース
仲井戸:これは楽曲として前から持っていたんだ。ブルース・タイプの曲だからいろんなセッションで演り良いので、いろんなやつとセッションしたりしてて。年末の(京都・磔磔での)麗蘭のライブでもここ2、3年演っていたんだ。ニューオリンズ的というかな、リトル・フィートあたりのイメージから始まったんだけど。俺のスライドは稚拙なんだけど、リトル・フィートが大好きだからね、あんなふうにはできないけど、少しそんな匂いもいいかなって思って入れたんだ。kyOnの転がしピアノも入れてもらった。ニューオリンズ・ムードだね、イメージは。
土屋:でも歌詞的には強烈なんで、そこにファンキーなタッチが合うんですよ。“ファンキーに演っちゃうのが一番いい”っていう感じがする曲だよね。
4. Mr.Blues Man(B.B.KINGに捧ぐ)
土屋:去年B.B.キングが亡くなったニュースを聞いたとき、それがなんか信じられなくて。ずっと居るようなイメージだったから。田舎に帰ると必ず居るおじいちゃんみたいな。それからB.B.の音を聴き直したり、自分でももっとブルースのほうに寄ってかなきゃだめだなと思い返したりとかしたよね。僕は最初ロックから入ったんだけど…ギターっていうことに関してはクリームからだしね。でもB.B.というのは、“それを聴かないとそういうロックも出来ないんだよ”っていうことを感じさせてくれた。マディ・ウォーターズもアルバート・キングも大好きで聴いてきたけど、僕のブルーズへの目醒めっていうことで言えば、やっぱりB.B.キングさんだったんじゃないかなと思っている。
仲井戸:プランテーションで育って、貧しかったB.B.が音楽を求めてメンフィスに渡って、ギターを練習して自分の夢を実現して…そういうB.B.の物語を頭の中で想像すると、すごいなと思うよね。ブルースを広めたということでも、それはB.B.がダントツだし。ブルース大使というわけじゃないけど、マディの偉大さとはまた違う…もちろんマディもそういうところがあるけど、B.B.ほど決定的な人は後にも先にもいないわけだよね。そういうブルースの歴史上の人が亡くなったっていうことに対して、残念だなというのと、ありがとうっていう思いがある。だからこの曲では、それを一つの物語にして、B.B.さんをリスペクトした麗蘭から、“B.B.さんありがとう”ってことを捧げたかったんだ。
5. 清掃の唄
仲井戸:簡単に言うと、俺の部屋汚ねぇから、ゴミ捨てなきゃ、掃除をしましょうって歌(笑)。まぁ、誰にでも共通するテーマだよね、野郎どもには特に。女の子でも部屋汚いやついるけどね、最近(笑)。もともと、“ポイッ、ポイッ”っていうふうに響く歌が向こうの曲にあって、 “ポイポイ、ゴミ捨てよう”なんて歌詞を付けてカバーしてたんだけど、自分の曲にしたいなと思って、それで生まれた曲なんだ。麗蘭のライブ盤に何年か前に入ってるけど、そのときはもっとスローなんだよな。ゆったりしたレゲエのリズムで。今回、公平がもっとアッパーにしましょうって言って、俺もテンポ上げたいと思ってたんで、こういうアレンジになって大正解だった。
土屋:テンポ上げて良かったよね。曲にすごく合っている。
6. SONG for J.J.cale
仲井戸: J.J.ケイルは70年代に本当に聴きまくった。歌詞にも出てくるけど、俺の友達も本当にJ.J.ケイルにハマっていて。多分エリック(・クラプトン)さんと同じだと思うけど、俺は子供の頃にブルースに取り憑かれているから、自分はなんでこんな重たい青春なんだろう、ブルースの人たちってやっぱりなんか背負っちゃってんだなぁっていう発想だった。かなり後年になって、そうじゃなくて、それを飛び越える、ジャンプするものがブルースの魅力だって俺も気が付くけど。でも、J.J.ケイルは、 “Take it easy”だからね、基本が。彼の人生観、詞とか読むと。あとサウンドの潔さ、曲の短さとかも。エリックはそういうことにものすごく惹かれたんだと思う。自分にない世界観、人生観。本当のJ.J.は何を背負っていたのか分からないけど、歌としてのJ.J.の魅力だよね。俺も同じような思いで、“あなたの歌で本当に救われました”っていう…これはそういう歌だな。
土屋:僕自身はJ.J.ケイルは通ってなかったんですけど、CHABOさんにJ.J.ケイルを紹介してもらったというか。“公平、こんなのあんだよ、聴いてみな”っていう、そんな感じでね。CHABOさんがずっと聴いてきた大好きなミュージシャンを紹介してもらったというような感じです。それで僕も研究して、今度誰かに紹介するっていう。
仲井戸:磔磔で最初にこの曲を演った時、「J.J.ケイルが亡くなったんで…」って紹介したんだけど、俺は客が「うわぁ〜」ってなると思ったら、“シ〜ン”(笑)。一般的にはそういう程度の認知度の人。だったら余計アルバムに入れたいと思ったね。そういうことが、俺みたいな立ち位置にいるやつが、やるべきことの一つかなとね。
7. 太陽のシェリー
土屋:50歳になったときに、記念で何か新しいことが出来ないかと思って、歌をやってみようと思った。それで、人のためにじゃなくて自分が歌うために曲を作ったんだけど、その中で最初にできた何曲かのうちの1曲がこれです。大好きなリズム&ブルースの雰囲気で。自分で歌ったらどんな感じになるのかなぁ?と思って、あれこれやって作った曲です。2010年のライブ盤にも入ってますね。これをスタジオ盤でもみんなで演ってみたいなと思って。今回、KyOnがシャレた感じで、かっこいいオルガンを付けてくれました。
仲井戸:今、50歳から歌い出したって言ってたけど、もともと公平のボーカルってサイケデリック・ボイスで、スライダーズ時代から一つ二つ混ざっている公平のボーカルっていうのは、とても意味があると思っていたんだ。やっぱり公平のイメージは“日射し”とかだしね。それはやっぱり俺と裏腹なところにいるから、俺は日陰に行くから(笑)、そのバランスだよね。しかもその日射しには陰りがないっていうか。もちろん、ブルースがあるから陰りはあるんだけど、公平の質感として、“青空”があるというか。だから、俺一人だと潜っちゃうようなところを、公平の日射しとかカラフルさで、なんか麗蘭が外に向かうようになる。そのバランスの象徴的な楽曲の一つだと思うね。
8. Go Johnny Go(J.Winterに捧ぐ)
土屋:ジョニー・ウィンターを最初に聴いたのは『Second Winter』っていうアルバムで、従兄弟のお兄さんの部屋で聴いた。ヘぇ、こんなスペシャルな感じの人がいるんだなぁって思いましたね。でも、一番聴いたのはリック・デリンジャーと組んだジョニー・ウィンター・アンドのライブ盤ですね。ジョニー・ウインター・ヴァージョンの「Jumpin' Jack Flash」にも当時やられましたね。ストーンズと違ってまた。
仲井戸:ジョニーは全アルバム持っているくらい好きで。今回、トリビュートを書いたのは、ジョニーが来日した時、その前にジョニーがびっくりするくらい老けたのを写真や映像で見てて…。あれはちょっと衝撃だった。あのぶっ飛んでいたジョニーが…という哀感というか。でも、来てくれたことは本当に嬉しかったし、日本公演も本当に頑張ってくれて。あのぶっ飛びまくっていたジョニーが椅子に座って、本当におじいちゃんみたいなタッチになっても、その哀感をにじませながらも、ブルースでぶっ飛ぶ姿に触れて…。だからこの曲は、ぜひ歌としてジョニーさんに捧げさせてもらいたいなっていう思いかな。
9. 夜風
仲井戸:俺達はメンフィス系のR&Bが好きで。(スタックス・レコードの)オーティスやMG'sだよね。…なんだけど、たまたま俺、去年ハイ・サウンドをすごく聴いてたんだけど、その背景って、石田長生が亡くなって、石やんとの交流の中で、ハイ・サウンドの話をとてもしたことを思い出して…ティーニー・ホッジスとかホッジス兄弟とかアル・グリーンとかね。そういうことが背景にあって、その時期本当によく聴いていて、“うわぁ〜、やっぱりすげぇな、ハイ・サウンド”って。公平ももちろん、そのへんものすごく詳しいから、そんなことで、そういうタッチの俺なりの曲を書きたいなぁって。そういうところから生まれた曲だね。
土屋:サウンド的には、ハイはちょっと敷居が高い感じがする、僕からすると。コテコテじゃないし、やっぱり技術やセンスが問われる感じじゃないですか。ファンキー体質だけじゃやれない。でも、そこに憧れがある。
仲井戸:この曲は、言葉としては言い切らない、ソングライターとしての自分の挑戦というかね。ただ夜風が吹いているという、そこに人生観みたいなことは、表立ってあんまり入れない。“それだけの歌、夜風が吹いている…ぴゅーぴゅー”っていうふうにしたかった。だけど、何かの余韻が残るというタッチにしたかった。
10. 今 Yes We Can
仲井戸:これはライブでかなり演っているよね。オバマが大統領になったときからだから。オバマの演説だもんね、「Yes We Can」は。“おっ、アラン・トゥーサンだ、あいつ”みたいな(笑)。そこから生まれた楽曲だね。年末の磔磔のライブで必ず演っていて、その年を締めるのに、“今年の漢字一字は○なんだけど、なんだかピンと来ねえなぁ”って毎年(笑)。それをスタジオ盤にするときにどうしようか?ってなったけど、まぁ、こんなふうになった。今回、公平がキーボードを入れてるんだよ。これがいいよね。
土屋:歌の感じはタイミングありきで自由じゃないですか。だから、どんなのを付けようかなと思ったときに、マイナー・ナインスというコードが最初に浮かんで。ああ、もうこれ絶対、カーティス・メイフィールドとか、ああいうちょっと鋭い内容のファンクをやっている連中の感じを盛り込めたら良くなるんじゃないかなぁと思って。そんなとこが出発点でアレンジをしました。
11. 紅く・れ・な・い
仲井戸:これこそ出どころはすごいよ。めちゃ意外だよ、ウィッシュボーン・アッシュ(笑)。できたら全然違うけど(笑)。なんだかたまたま聴いて、“あっ、面白い”って。なんか二つのギターが絡んでいくのが。彼らはもっと流暢だけど、俺と公平がそういうタッチに行ったらどうなのかな?という、無邪気なギター小僧としての発想があって、こういうふうになった。
土屋:言葉の色彩感が強いので、わりといろんな音色のギターで演ったりもしたんだけど、結局、最終的にはナチュラルな、ストレートなギターの音が一番いいんだろうなぁと思って。
仲井戸:歌詞は、ふっとベランダに蟻んこが動いているのを見て、“蟻んこより俺ってエライのかな?”みたいな発想だよね。誰がいつ決めたんだよって。蟻もピュっと潰しちゃえば終わりだし、熊が出てきたら退治しろってなる。それは当然だけどね、熊は人間を襲っちゃうから。でも、それは全部人間の基準なわけじゃん? 熊の基準だったら逆なわけじゃない。どうして人間がいつ一番エラくなったのかな?って、無邪気な稚拙な発想だけど、それは本当に問いかけというかね。自分だけに対してじゃなく。宇宙に行くこともいいけど、美しい海は空はどうなるんだろうとかね。
12 .サフラン
土屋:これは最後の最後にCHABOさんが持ってきてくれた曲で、それまではギター・インストを入れたらどうかなぁなんて思っていたけど、二人でプリプロの日にパッと演ったら、パッと決まった。
仲井戸:そのプリプロのときの公平のギターがそのまま採用されたんだ。もう、あれを超えられない。(1991年の)麗蘭の最初のセッションのときと同じだったよね。俺が歌を出して、公平は考えるまでもなくそこにギター付けるっていう…。この曲は、ちょっとドラッギーな感じもすごく気に入ってる。生々しいブルースとか、「紅く・れ・な・い」とは裏腹なこんなタッチの楽曲も、ソングライターとしてはまた書いていきたいって思ってるね。
※資料提供:Mastard Records
麗蘭公式サイト