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日本人の7割以上が「何かに不安」だが、心配するだけムダっぽい

遠藤司皇學館大学特別招聘教授 SPEC&Company パートナー
(写真:アフロ)

 11月19日、セコムは「日本人の不安に関する意識調査」の結果を発表した。

 20代以上の男女500人を対象に、「あなたは、最近、何か不安を感じていることはありますか」との質問を投げかけたところ、7割以上が「感じている」と回答した。不安はとくに若年層にみられ、20~30代の女性の場合、なんと9割近くが不安を感じているとのことだ。

 ウソのように思われるが、事実だ。少し古いが、2009年にアメリカの広告代理店J・ウォルター・トンプソンが行った調査でも、「何か心配ごとがあるか?」との質問に対し、日本人の9割もが「ある」と回答している。不安や心配ごとばかり抱えている人は、前向きに行動することができなくなる。身動きがとれなくなり、成長の機会を逃すことで、さらなる不安に陥るのである。

 セコムの調査によれば、最も不安なのは、老後の生活や年金である(33.3%)。次いで健康(20.4%)、台風・豪雨・洪水(15.6%)と続いた。老後の生活は、働けば何とかなる。健康も災害対策も、普段から気をつけていこう。それだけのことなのに、多くの人が不安を抱き続けてしまうのは、どうしたわけか。

 結論からいえば、多くの人が抱く不安は、とり越し苦労にすぎない。恐れの感情をとり除くためにも、いかなる考え方をすべきかを、ここで示すことにしたい。

不安と恐怖

 不安と恐怖は、いずれも「恐れ」の感情に含まれる点では同じだが、使われ方は区別される。

 不安は、対象がはっきりしないときに抱かれる。それに対して恐怖は、対象がはっきりしているときに抱かれる。よって、猛獣が不安だとは言わない。人間に危害を加える猛獣に対して抱くのは、恐怖である。同様に、将来が恐怖だとは言わない。曖昧で実体のない将来に対して抱くのは、不安である。

 だが、恐怖に関しても、必ずしも対象そのものに対して抱かれるのではない。例えば、猛獣が飼い慣らされていて、決して噛みつかれるようなことがない場合でも、恐怖を覚えることはあろう。また、暗闇には何も存在しないことが分かっていても、人によっては耐えがたいほどの恐怖となる。

 つまり、不安や恐怖は、その人の脳内でつくり出されるイメージに対して、抱かれるのである。厄介なのは、理性が危険ではないと認識しても、不安や恐怖の感情は、ただちに払拭できないことだ。脳にこびりついた不安や恐怖を克服するには、訓練が必要になる。適切なプロセスによって、徐々に対象に慣れることが必要となる。

 不安にせよ恐怖にせよ、人間に必要な感情であることは間違いない。健全な恐れは、人を目の前の危険から遠ざけ、あるいは将来危険に陥らないようにと、行動を促すからである。問題は、それらが行き過ぎたときに、人を誤った方向へと導いてしまうことだ。とるに足りないことでも、脅威とみたり、大騒ぎしたりすることで、さらなる混乱を招いてしまう。部下の失敗をことさら咎めたり、あれこれと禁止して人を統制したりするのも、恐れの感情を増大させてしまうからである。

 親であれ上司であれ、臆病な人が上に立つと、下の者は何もできなくなる。もっといえば、他者になんら影響を与えない人はいないのだから、たとえ少数でも臆病者がいると、集団全体が機能しなくなる。やる気のある人の足を引っ張り、動かないことを推奨する姿勢が生まれてしまうのだ。このような姿勢は、ビジネスにおいては害悪でしかない。

心配ごとの97%がムダ

 シンシナティ大学のロバート・リーヒは『不安な心の癒し方』のなかで、心配ごとのほとんどは杞憂に過ぎないことを明らかにしている。

 アメリカでは37%の人が、毎日のように不安を感じている。これらの心配性の人に対し、何が心配なのか、この先何が起こるのかについて、二週間記録してもらう。すると、心配ごとの85%において、実際には「よいこと」が起こった。さらには、悪いことが生じた残りの15%の場合でも、そのうち79%は、予想よりもよい結果につながった。

 計算すると、なんと97%もの心配ごとが、とり越し苦労だったことになる。それなのに心配性の人たちは、なにか事が起きたときにはネガティブなことばかり考え、マイナスの情報を集めてしまう。こうして、ますます不安に陥っていくのである。

 実際に問題が生じたときでも、他者の手を借りればどうにか解決できるはずだ。なぜなら、問題に直面した人の多くは、解決のために様々な人と連携して、致命的な事態にはならないよう調整するからである。だとすれば、大変なことが起きるかもしれないと気に病んでいても仕方ない。それよりも、もっと意味のあること、生産的なことについて考えるよう努め、成長することを目指したほうがよい。

 不安から逃れるには、実際に行動することだ。行動することで、徐々に事実関係が明らかになり、対処法もまたわかってくる。かくして、漠然とした不安にも、どうにか対応できるだろうと思うようになる。自信が生まれてくるのである。

 ビビっていても、なにも始まらない。まずは今日、いますぐに、小さな一歩をふみ出そう。行動し続けてさえいれば、この世の中、何とかなるものである。

皇學館大学特別招聘教授 SPEC&Company パートナー

1981年、山梨県生まれ。MITテクノロジーレビューのアンバサダー歴任。富士ゼロックス、ガートナー、皇學館大学准教授、経営コンサル会社の執行役員を経て、現在。複数の団体の理事や役員等を務めつつ、実践的な経営手法の開発に勤しむ。また、複数回に渡り政府機関等に政策提言を実施。主な専門は事業創造、経営思想。著書に『正統のドラッカー イノベーションと保守主義』『正統のドラッカー 古来の自由とマネジメント』『創造力はこうやって鍛える』『ビビリ改善ハンドブック』『「日本的経営」の誤解』など。同志社大学大学院法学研究科博士前期課程修了。

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