バブルと自治体間競争、財政ギャンブルを生んだ菅首相の「ふるさと納税」は日本の未来を暗示している
菅首相「地方から東京に来た人はふるさとに貢献したい」
[ロンドン発]菅義偉首相は「官僚の大反対」を押し切って立ち上げた政治実績の一つ、「ふるさと納税」制度について就任会見で「あれだけ反対がありましたけれども今、多くの国民の皆さんにご利用を頂いております」と誇ってみせました。
「地方から東京に来た人たちは自分を育ててくれたふるさとに何らかの形で貢献をしたい、何らかの形で絆を持ち続けていたいと思っているに違いない。そうした私の考え方からふるさと納税というものを発案して実現に移したわけであります」
そしてビザを緩和して外国人観光客を呼び込んだインバウンド政策が地方の地価を押し上げたと胸を張りました。
「官房長官として地方の活性化に取り組んできました。何よりうれしかったのは26年間下がりっ放しだった、もう二度と上昇しないと言われていた地方の地価が昨年、27年ぶりに上昇に転じたことであります。地方創生の切り札である外国人観光客が効果を見ました。第2次安倍政権発足当時836万人だった外国人観光客は昨年3200万人にまで増えました」
秋田県のいちご農家出身の菅首相は地方思いで、かなりのアイデアマンであることは間違いありません。
これに対してふるさと納税を巡り菅官房長官(当時)に異を唱え、左遷されたと言われる元総務省自治税務局長の平嶋彰英・立教大学特任教授は朝日新聞のインタビューで次のような見方を示しています。
「菅さんがこだわる政策の根底には、新自由主義的な発想があると感じます。ふるさと納税は、菅さんの当初の『ふるさとへの恩返し』という説明と異なり、結果的に各自治体が返礼品の魅力を競い合うという、いびつな競争を招きました。総務省にハッパをかける携帯電話料金値下げも、地銀の統合再編も、事業者間の競争を促します」
行政に競争と経営の概念を持ち込んだ「ふるさと納税」
ふるさと納税の特徴は、税の徴収と配分に競争(市場)メカニズムを導入することで都市から地方への税移転を加速させ、地方を活性化させる機能を持たせたことにあります。行政に市場原理を持ち込むと一部で行政サービスが向上する一方で、地域によって格差がさらに広がるという功罪があります。
サッチャー革命以降、新自由主義の先頭を走ってきたイギリスでは義務教育や公的医療サービスに市場原理や経営の概念を持ち込んだため、本来は全国一律であるべき公共サービスに地域格差が生じました。良いマネージャーや校長がいるところのサービスはどんどん向上するのに、悪いところは「負け組」に転落していくのです。
民間なら「負け組」は市場から即刻退場させられ、再編して市場に戻ることも可能です。しかし義務教育や公的医療サービスは業績が悪いからと言って「倒産」させるわけにはいきません。地方自治体に市場原理を導入すると、立ち行かなくなる自治体も出てくるはずです。
菅首相の看板政策である「ふるさと納税」の光と影は日本のこれからを暗示しているように思います。ひょっとしたら安倍晋三前首相に比べ随分、地味に見える菅首相の方が、ドル安・円高や対米関係で躓かなければ、日本の規制緩和と構造改革は大胆に進むかもしれません。
ふるさと納税の受入額は約4875億円に急増
ふるさと納税については読者のみなさんにはすでにご存知の方も多いと思いますが、かいつまんで説明しておきましょう。
納税者が都道府県や市区町村に寄付すると、2000円を超える部分について一定の上限内で原則、所得税・個人住民税から全額が控除される制度です。自治体が寄付のお礼として送り返す返礼品が2000円を超えると「お得感」が出てくるため、ブームを巻き起こし、自治体間の返礼品競争を過熱させてしまいました。
地場産品ではなく、他の地域から仕入れた農産品や海産物、家電製品やiPadを返礼品にして寄付金集めに走る自治体が現れたのです。高額所得者の税額控除が大きくなるため、都市部の自治体で「お金持ちの冷蔵庫は地方の特産品であふれ返っているのに低所得世帯の子供は公園で錆びたブランコに乗っている」という貧富の格差を広げる負のイメージも強調されました。
総務省が今年8月に発表したふるさと納税の調査結果によると、昨年度のふるさと納税の受入件数は約2334万件、受入額は約4875億円と頭打ちになっています。過当競争を冷ます規制が導入され、アマゾンギフト券や旅行券で寄付金を集めていた自治体の受入額が激減する一方で、健全な競争によってふるさと納税の裾野は広がりました。
返礼品の調達費用の受入額に占める割合は28.2%、送料やPRを含めた全費用では46.7%に収まりました。受入額の半分強が自治体の懐に入る計算です。
なぜ、ふるさと納税がブームになったかと言えば、2015年度の税制改正で控除上限額が個人住民税所得割額の1割から2割に引き上げられたことで市場規模が2倍に膨らんだからです。個人住民税の総額が約12兆円なので、2兆4000億円が市場の天井として設定された形です。
ふるさと納税が創設されてからの経緯は次の通りです。
【ふるさと納税の年表】
・2008年度税制改正でふるさと納税を創設。07年、第1次安倍政権で菅総務相(当時)が創設を表明し、報告書をまとめる
・11年度税制改正で寄付金控除の適用下限額が5000円から2000円に引き下げられる
・15年度税制改正(第2次安倍政権)でふるさと納税制度の拡充や手続き簡素化が実施される。控除上限額が個人住民税所得割額の1割から2割に引き上げられ、ワンストップ特例制度も創設される
・16年度税制改正で企業版ふるさと納税が創設
・17年4月と18年4月、返礼率を3割以下にすることを求める総務相通達(法的拘束力なし)。17年度の返礼率は全自治体で38.5%
・19年4月、地方税改正。返礼率が3割以上の自治体をふるさと納税制度の対象から除外。返礼品の費用総額は寄付金額の5割以下に抑えられ、返礼品も地場産品に限られる
・19年5月、総務省が、アマゾンギフト券や旅行券を返礼品にして寄付金を集めた大阪府泉佐野市(18年度の受入額408億円)、静岡県小山町(同250億円)、和歌山県高野町(同196億円)、佐賀県みやき町(同168億円)の4市町をふるさと納税制度から除外すると発表。
北海道森町や福岡県行橋市、大阪府熊取町など43市町村には4カ月の「仮免許」を与える
・20年3月、高知県奈半利町でふるさと納税の担当者が返礼品を取り扱う水産加工会社から賄賂を受け取っていたとして逮捕される。
ふるさと納税制度が始まった08年度の寄附金額は35万5000円だったが、豪華返礼品で人気を集め、17年度には全国9位の39億1000万円を集める。贈賄の立件額は約9377万円に
・20年6月、ふるさと納税制度で多額の寄付金を集めたことを理由に特別交付税を減額したのは違法と、泉佐野市が国を相手に減額の取り消しを求めて大阪地裁に訴え。
ふるさと納税制度の対象自治体から除外したのは違法と泉佐野市が国を訴えた訴訟で最高裁が除外決定を取り消す
都市から地方へヒト・モノ・カネが移動
ふるさと納税総合サイト「ふるさとチョイス」の企画・運営会社トラストバンクが今年2月、契約する自治体に対してインターネット調査を行った結果、783自治体から次のような回答が寄せられたそうです。
(1)ふるさと納税制度は地域の活性化につながるか
・そう思う 41%
・やや思う 43%
(2)地方税法におけるふるさと納税制度の見直しについてどう思うか
・満足 15.1%
・やや満足 55%
(3)2019年の寄附金額が前年より増えた
・増えた 62.7%
・減った 34.5%
(4)法改正後の19年6~12月の寄附金額が前年同期より増えた
・増えた 63.2%
・減った 32.6%
ふるさと納税に市場原理が持ち込まれたことで地方は創意工夫を凝らせるようになり、総務省という中央支配の軛(くびき)から逃れることができました。自治体の歳入増加だけでなく、地元産業、観光・環境対策(コトづくり)の活性化につながるなど都市から地方へヒト・モノ・カネの移動が起きたことが自治体の満足度が高い理由です。
ふるさと納税は「財政ギャンブル」か
ふるさと納税は実際のところ、ふるさとに恩返しがしたいという「善意」より、まだまだブランド米・高級肉・カニなど返礼品の「経済的インセンティブ」に大きく左右されています。
自治体が返礼率を上げるほど寄付金が増えるという「租税競争」を引き起こしてしまうため、返礼率3割、費用総額は5割という歯止めを設けなければ「底辺への競争」の引き金になるという負の側面がありました。
財務省財務総合政策研究所の末松智之客員研究員は今年3月「ふるさと納税の返礼率競争の分析」という研究報告書で次のように指摘しています。
(1)返礼率競争は租税競争の性質を有している。返礼率競争は住民税収の奪い合いという負の財政的外部効果を有しており、競争が激化すると、税源侵食や返礼品送付のための歳出増加を通じて公共財の過少供給につながりかねない。
(2)財政的・経済的に脆弱な自治体ほど、返礼率を高めて寄附を集める傾向が強い。財政的に脆弱な自治体が返礼率を高めてふるさと納税の寄附に財源を依存することは返礼品の過剰在庫を抱えるなどのリスクを高めることであり、「財政ギャンブル」の一種である。
(3)返礼率は「農家1人当たり農業産出額」と正に相関している。返礼率競争は、高額な地場産品を生産する自治体とそうではない自治体の間で自治体間格差を増幅させる恐れがある。
(4)災害の被害を受けた自治体に対しては、返礼品目当てではない、利他的な寄附が一定程度存在する。ふるさと納税がもたらした正の側面と言える。
格差を是正する行政サービスに競争原理を持ち込む是非は当然、あると思います。菅首相の意向に反する官僚はとばされるとの指摘に関して言えば、「政」と「官」の対立はどこの国にもあり、権力闘争に敗れた者は退場させられるのが世の常です。
そして菅首相も自民党も有権者の支持を失えば容赦なく退場を迫られるのです。それが民主主義です。
菅首相の経済財政政策スガノミクスは基本的に規制緩和と市場原理の導入なので初期段階でバブルを発生させる恐れがかなり大きいかもしれません。
その反面、適切な規制(ふるさと納税の場合は返礼率の上限設定)でバブルを崩壊させずに健全な競争を促すことができれば安倍前首相の経済政策アベノミクスで不発に終わった成長戦略の起爆剤となる可能性もあるのではないでしょうか。
(おわり)