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かつて世界最大の製鉄会社だったUSスチールが日本製鉄へ身売りした理由、凋落するアメリカの製鉄業界

中岡望ジャーナリスト
売却が決まったUS Steelのイリノイ州の高炉(写真:ロイター/アフロ)

【目次】

■USスチールの日本製鉄への売却に伴う合意事項 ■なぜUSスチールは身売りしなければならないのか ■失敗したCleveland-Cliffsの買収計画 ■自動車メーカーから合併反対の声がでた ■USWは日本製鉄による買収に反対 ■ブレイナード国家経済会議長US スチール買収に関する反対声明 ■多くの政治家も日本製鉄の買収に反対を表明 ■日本製鉄の買収を擁護する論調も

USスチールの日本製鉄への売却に伴う合意事項

 USスチールは12月18日、日本製鉄に141億ドルで売却すると発表した。日本製鉄が示した買収金額も業界の想像をはるかに超える額であった。なぜUSスチールは、売却先に日本製鉄を選んだのであろうか。

 USスチールと日本製鉄は「両社が一体化(combined)することで“世界をリードする最善の製鉄企業”になる」と題する共同声明を発表した。その中で「日本製鉄はUSスチールの一株を55ドルで取得し、取引はすべて現金で行われる。これは株価の40%のプレミア付きに相当する。USスチールの株主に間違いなく価値をもたらすものである。優れた製品とサービスを提供し、社会の発展に寄与してきた豊かな歴史を持つ2社を一体化することになる」と取引の狙いを説明している。

 さらに「2つの世界的な製鉄産業の創造的企業が協力して投資することで、顧客に恩恵をもたらすことができる。日本製鉄は強力なステークホールダー関係を維持すると約束した。その中にUSスチールが締結したUSW(United Steel Workers:全米鉄鋼労組)との団体交渉での合意事項の尊重も含まれている。世界の鉄鋼産業を脱炭素化と持続的な世界に導くことになる。USスチールは象徴的な社名とピッツバーグの本社を維持する。取引はUSスチールの様々な戦略的な代替案の検討を経た結果である。USスチールと日本製鉄両社の株主にとって大きな価値をもたらすことになる」と、取引のもたらす利点を説明している。

 特にUSスチールはUSWとの関係を重視しており、声明の添付資料でさらに詳細な説明を行っている。「日本製鉄は現場における安全性と組合との協力関係で優れた記録を持っている。USスチールが従業員と締結した約束の全て(その中には労働組合との団体交渉でのすべての合意も含まれる)は尊重され、日本製鉄は労組との関係を維持することを約束している」と説明。

 さらに「両社の労働力の一体化はアメリカと世界における操業にとって極めて重要である。売却が終結した後も、USスチールは象徴的な社名、ブランド、ピッツバーグの本社を維持し続ける。日本製鉄は、USスチールの供給会社、顧客、工場周辺のコミュニティ、USスチールの操業を支援してきた人々との強力な関係を継続し、こうしたコミュニティの生産的なメンバーになると約束している」と、日本製鉄に売却しても様々なステークホールダーとの関係は変わらないと指摘している。

 日本製鉄の株主に関連して、「取引によって日本製鉄の成長は加速し、世界的な指導的能力を持つ最高の企業になり、より高い成長を遂げ、収益力を高め、日本製鉄の株主に長期的な価値をもたらすことになる。全額現金による買収提案は、USスチールの株主にも大きな価値をもたらすことは間違いない。この取引はUSスチールと同社の取締役会が行った総合的かつ説得的な戦略的検討の結果である。1株55ドルの買収は、USスチールの2023年12月15日の株価の終値より40%高いものである」と、USスチールと日本製鉄の株主にとっても利益をもたらすものであると、取引の妥当性を主張している。

 今後の取引の手順に関して、「取引はUSスチールの株主の承認と規制当局の承認など取引承認条件をクリアして、2024年の第2四半期か第3四半期に終結すると予想されている。日本製鉄は買収資金を主に日本の銀行からの借り入れで調達する計画であり、銀行から融資の約束を得ている。取引にはいかなる融資条件もついていない」と説明している。

なぜUSスチールは身売りしなければならないのか

 USスチールは1901年に設立された122年の歴史を誇るアメリカを代表する企業のひとつである。同社は、発足当初からアメリカの鉄鋼生産の3分の2を占める大企業であった。20世紀のアメリカ資本主義の繁栄を支えてきた企業である。当時の同社の企業価値は10億ドルを超え、アメリカの国家予算の倍以上であった。同社は世界最大の企業で、アメリカをグローバルな超大国に押し上げる役割を果たした。同社の圧倒的な市場支配力を規制するために独禁法が制定されたほどである。

 だがUSスチールは圧倒的な地位を維持することはできなかった。1970年代以降、同社の地位は低下し始める。同社の従業員は第2次世界大戦中の1943年は34万人であったが、現在は1万5000人にまで減っている。生産量がピークに達したのは1953年で、3580万トンであった。だが2022年の出荷量はわずか1120万トンにまで減っている。同社の衰退の原因は、日本と西ドイツの製鉄企業との競争に負けたことである。日独は最新の技術を使い、競争力のある製品を生産した。だがUSスチールの生産拠点は内陸のピッツバーグにあり、高い輸送コストがかかった。日独が最新の設備を導入したのに対して、USスチールは旧態依然とした設備を使い続けた。最近になって競争企業として中国、インド、韓国の企業が台頭し、アメリカの製鉄企業の衰退が加速した。

 “総合製鉄企業”は、国内市場では小さな設備で操業するミニ・ミル(mini-mill)や非労組の製鉄企業との競争でも敗北していった。代表的なミニ・ミルはNucor Steelで、最近時点の株式時価総額は425億ドルに達している。USスチールの時価総額は140億ドルに過ぎない。Nucor Steelは、生産高で全米1位の企業に成長している。総合製鉄企業は、海外企業との競争と国内でのミニ・ミルとの競争を過小評価し、十分に対応できなかったことが、衰退の原因である。さらに追い打ちをかけるように、脱炭素化の要請が強まり、単独での技術開発が困難な状況に置かれていた。

【資料:世界の製鉄企業の生産量順位】

 世界の鉄鋼市場は中国企業に席捲されている。生産高で見ると、世界第1位は中国のChina Baowu Group、2位はルクセンブルクのArcelorMittal。3位が中国のAnsteel Group、4位が日本製鉄、5位が中国のShagang Group、6位が中国のHBIS Group、7位が韓国のPOSCO Holdings、8位が中国のJianlong Group、9位が中国のShougang Group、10位がインドのTata Steelである。トップ10に中国企業が5社はいっている。

 アメリカの製鉄企業では16位にNucor Corporation、22位にCleveland-Cliffs、27位にUSスチールが入っている。日本製鉄とUSスチールが一体化すると、3位に浮上することになる。

失敗したCleveland-Cliffsの買収計画

 日本製鉄が買収申し込みをする前に、Cleaeland-CliffsがUSスチールの買収を試みた。7月28日、同社は秘密裡にUSスチールの取締役会に一方的な買収計画を提示している。提案内容は、発行済み株のすべてを1株17.5ドルの現金と同社の株1.023株と交換する形で買い取るというものであった。この提案は、7月28日の株価で評価するとUSスチールの1株を35ドルで買うことに相当し、USスチールの株主に取って42%のプレミアムが付く計算になる。

 だが、USスチールの取締役会は、この提案を「妥当ではない(unreasonable)」と拒否した。そのためCleveland-Cliffsは8月11日に2度目の提案を行い、同時に買収計画の公表に踏み切った。公表によってUSスチールの株主を説得しようとしたのである。Cleveland-CliffsのC・ロウレンソ・ゴンサルベス会長は「アメリカを代表する両社の一体化によって得られる潜在的な価値と競争力は類をみないものだ」と、買収の正当性を説明した。さらに「この取引によって、世界トップ10の製鉄会社に加わることができる。中国以外のヨーロッパの1社、日本の1社、韓国の1社の選ばれた大手3社のメンバーに加わることができる」と、買収の効果を語っている。

 さらに同会長は「最も重要なことは、わが社の提案はUSWを全面的に支援するものである」と語っている。これを受け、USWはCleveland-Cliffの提案を支持する書簡を同社に送っている。同社の提案はUSWのお墨付きを得たのである。

 だが、USスチールはCleveland-Cliffsの提案を拒否し続けた。8月13日、同社のデビッド・フリット最高経責任者はCleveland-Cliffsに提案を拒否する書簡を送っている。書簡には次のようなことが書かれている。

 「最初の提案を受け取って以来、当社の取締役会は、当社の財務顧問であるバークレーズ社とゴールドマン・サックス社、および法律顧問のミルバンク法律事務所とワクテル法律事務所の支援を受け、提案のメリットとリスクを評価するために複数回会合を重ねた」

 「私と取締役会の指示により、当社にアドバイザーは8月7日に御社とNDA(秘密保持契約)を締結する意思を示した。それによって、具体的に提案で示された株価の評価、規制上のリスク、タイミング、さらに買収で一体化した会社の見通しなど重要な問題をさらに明確化することができるはずだった」

 「NDAの条件について何度も話し合い、わが社のチームは誠実に交渉を行ったが、8月17日に貴社から提案の経済的条件に事前に合意しない限り、NDAに署名しないという書簡を受け取り、ショックを受けた」

 「当取締役会は、NDAに基づき、統合後の事業の価値に対するUSスチールの貢献について適切な議論をすることなく、貴社の提案する『ヘッドライン価格(企業価値)』に同意できない」

 「現時点で、貴社の一方的な提案が当社の完全かつ公正な価値を適切に反映しているかどうか判断できない。以上の理由で、取締役会は、貴社の不合理な提案を却下せざるをえない」

 要するにUSスチールは、Cleveland-Cliffが「NDAの締結」に前向きではないこと、言い換えればCleveland-Cliffsは誠実な交渉相手としては信用できないこと、提案されたUSスチールの株価の評価が妥当ではないという理由からCleveland-Cliffsの買収提案を拒否したのである。

自動車メーカーから合併反対の声がでた

 さらに鉄鋼業界の最大の自動車業界からCleaveland-Cliffsの買収に反対する声も出てきた(『ロイター通信』10月31日、「Automakers oppose Cleveland-Cliffs push to buy U.S. Steel」)。GM、トヨタ自動車、フォルクス・ワーゲン、現代自動車など大手自動車メーカーが加盟するThe Alliance for Automotive Innovationが、Cleveland-Cliffsの買収によってできる新会社は市場を独占することになるので独禁法違反の恐れがあると買収に反対する意向を示し、その旨を伝える書簡を議会に送った。

 書簡には、「合併は自動車部品と完成自動車の業界でコストの上昇を招く。新会社はE-steelとして知られる電気自動車用のメタル市場の100%を独占することになる。アメリカ市場でE-steelの競争がなくなれば、自動車メーカーは資材価格の上昇に直面し、最終的に電気自動車の価格上昇に結びつく」と指摘している。USスチールがCleaveland-Cliffsに送った書簡の中にも、Cleveland-Cliffsによる買収は独禁法に抵触する懸念があるとことに言及し、両社で協議する必要があると指摘している。だが、Cleveland-Cliffsは、USスチールの質問に回答することはなかった。

 同様の書簡は、連邦取引委員会と司法省にも送付されている。その中で「政府は自動車製造業が使用する資材価格が非競争的な形で決定される可能性について精査すべきである」と、規制当局が買収の是非を検討するよう訴えている。

 Cleveland-Cliffsの買収提案が頓挫する中で、急浮上してきたのが、日本製鉄の数倍の提案である。最終的にUSスチールが選んだのは日本製鉄であった。USスチールは声明文の中で「日本製鉄と一体化することで、発展する顧客のニーズに対応できる能力とイノベーション力を持った本当に世界的な鉄鋼会社を創出することになる」と、売却の狙いを述べている。

 さらにUSスチールは声明の中で「私たちは、日本製鉄による買収は全ての関係者に最善の恩恵をもたらすと信じている。アメリカにも恩恵をもたらし、国内製鉄産業の競争を促進する一方で、当社の世界的なプレゼンスを強化することになる」と、日本製鉄との取引のメリットを強調している。

USWは日本製鉄による買収に反対

 日本製鉄のUSスチール買収が成功するかどうかは、産業別組合であるUSWの出方に掛かっている。USWの反応は、日本製鉄にとって厳しいものであった。USWは、即座にUSスチールの日本製鉄への売却に反対する声明を発表し、USスチールはCleveland-Cliffsの提案を受け入れるべきだと主張した。Cleveland-Cliffsの労働組合もUSWに加盟している。USWは2022年12月にUSスチールと4年間の労働協定を締結したばかりである。その労働協定の中に、売却計画が実現する前に買収企業は新たに締結された労働協約の条件を受け入れなければならないと書かれている。

 またUSWは声明の中で、「USスチールの決定は長い間、経営の指針となってきた貪欲で、短期的な姿勢を示した」と、USスチールの経営陣を批判している。「我々が今回の売却交渉を通して一貫していたのは、USスチールがアメリカ企業によって所有され、国内で生産活動をし続けるなら、会社と交渉の余地はあるという立場であった。だが同社は献身的な労働者の懸念を無視して、外国企業に売却することを選んだ」と、決定を受け入れがたいと指摘している。

 さらに「我々は政府や規制機関に対して、この売却が国家安全保障に寄与するものであるかどうか精査することを求める」と、政府の介入を促している。労働協約に関して、日本製鉄はUSスチールと労働組合の間で締結された新しい条件を尊重すると発表している。

ブレイナード国家経済会議の日本製鉄の買収に反対声明文

 バイデン政権も、USスチールの日本製鉄への売却に反対の意向をしめした。12月21日、ラエル・ブレイナード国家経済会議議長は、日本製鉄によるUSスチールの買収に関する短い声明を発表した。長い間、日米間に経済問題は存在しなかったが、日本企業によるアメリカ企業買収問題は、再び日米間の火種になる可能性も出てきた。ブレイナード議長の声明は、以下の通りである。

 「大統領は、USスチールは第2次世界大戦で民主主義の武器庫の不可欠な部分を担い、現在も国家安全保障にとって重要な国内の鉄鋼生産の中核的な構成要素であると信じている。大統領は、世界中の製造業者がアメリカ国内でアメリカの雇用と労働者と共にアメリカの未来を築くことを歓迎することを明確にしている。しかし、アメリカを象徴する会社が外国企業、それが緊密な同盟国の企業による買収であっても、国家安全保障とサプライチェーンの信頼性に潜在的な影響を及ぼす可能性があることから、買収を真剣に精査する必要があると考えている。この買収は、議会が権限を与え、バイデン政権が強化した外国投資に関する省庁間委員会(外国投資委員会)が注意深く調査する種類の取引であると思われる。バイデン政権は調査によって事実を精査し、適切であるなら、行動を取る用意がある」

 「鉄鋼は、インフラから自動車、クリーンエネルギーの未来まで、あらゆるものにおけるアメリカの製造業のバックボーンである。バイデン大統領が就任して以来、80万人の製造業の雇用が創出された。バイデン大統領の政策のおかげで、工場は故郷に戻り、雇用と企業は再びアメリカに戻り、アメリカ企業は再びアメリカで生産している。「超党派インフラ法」、「インフレ抑制法」、「チップ・アンド・サイエンス法」は、メイド・イン・アメリカの回復に拍車をかけている。バイデン大統領は、中国やその他の国々における不公正で市場を歪める貿易慣行からアメリカの鉄鋼会社を守るために行動を起こしている」

 「USWはこれらすべての取り組みでリーダー役を果たしている。経済をミドルアウトとボトムアップで構築する上で組合のリーダーシップが極めて重要である理由の一例である。バイデン大統領は、USWの労働者は世界最高の労働者であると信じている。だからこそ、バイデン政権は、不公正な貿易慣行と闘い、強力なアメリカ国内の鉄鋼産業が経済と国家安全保障に不可欠であることを認識する政策を通じて、鉄鋼労働者が公平な場で競争できるようにするためにできる限りのことをすると約束している」

 この声明のポイントは三つある。一つは、バイデン政権は日本がいかに重要な同盟国であっても、産業政策上、また安全保障上の観点から、日本製鉄による買収は簡単には認めないことを明らかにしたこと。二つは、ジャネット・イエレン財務長官が議長を務める外国投資委員会で、この問題が精査されること。三つは、USWの利益を守るということである。

 連邦議会の議員も反応した。12月19日、JDヴァンス上院議員、マルコ・ルビオ上院議員、ジョッス・ホーリー上院議員が外国投資委員会の委員長を務めるジャネット・イエレン財務長官に取引に反対する主旨の書簡を送った。書簡の内容は以下の通りである。

 「USスチールは、売却を決めた理由は、株主価値を最大化することであったと認めている。取引は株主価値に関する慎重な配慮の結果ではなく、株主のリターンを最大化するために行ったオークションの結果である」と、売却は単に買収価格を引き上げるためで、戦略的な代替策を検討した結果ではないとUSスチールの決定を批判している。

 さらに「USスチールは安全保障に焦点を当てた検討を行っていないが、国内での鉄鋼生産はアメリカの安全保障にとって極めて重要である。貿易を保護することで、国内生産を拡大し、アメリカの雇用を増やす海外企業の投資を促進することができるし、そうすべきである。だが本件の企業買収は、こうした目標から逸脱している。外国企業にアメリカ企業の買収を認めることは、貿易保護政策の目標を覆すことである」と、外国企業の買収そのものに対しても否定的な見解を示している。

 「この取引の問題はさらに深い。日本製鉄はUSスチールのアメリカとの結びつきを共有していないし、同社の経済的利益は日本の経済的利益と結びついている。今年の初め、日本製鉄は経済産業省から30億ドルの補助金を得ている。日本製鉄はアメリカの法律を軽視している。日本製鉄は2021年8月にアメリカに鋼フラット・ロール製品をダンピングしたとして有罪判決を受けている」、「外国投資委員会は、日本製鉄によるUSスチールの買収を阻止することができるし、阻止すべきである。日本製鉄の忠誠は明らかに外国にあり、同社のアメリカにおける記録は瑕疵に満ちている。私たちは、委員会に本取引に関して、同じようなリスクがないアメリカ企業による競争的な買収提案に照らして、本取引に関する検討を始めることを求める」と指摘している。

 USWのデビッド・マッコール委員長も、ブレイナード国家経済会議議長の声明を歓迎する声明を発表している。声明の中で「USWは今日、ホワイトハウスの声明で指摘された懸念を共有している。特にこの取引がアメリカ国内の鉄鋼生産に与える影響を懸念している。私たちは、アメリカの国家安全保障が最も重要であるということに賛成である。USスチールは、労働者やコミュニティや製造業のニーズ、継続的な生産能力の維持を犠牲にしても、同社の最優先事項は株主の短期的な利益であることを明らかにしている。USWは、ホワイトハウスがより大きな視点に立ち、大統領の労働者と産業に対する揺るぎなき約束を示したことを評価している」と、USWの立場を語っている。USWは、既に述べたように最初からCleaveland-CliffsがUSスチールを買収することを支持していた。そうした立場からすれば、こうした声明を出すのは不思議ではない。

多くの政治家も日本製鉄の買収に反対を表明

 USWだけでなく、連邦議員も反対の意向を表明した。オハイオ選出の共和党のJDヴァンス上院議員は声明を発表し、「今日、アメリカの防衛産業の基盤の極めて重要な企業が外国企業に売りに出された。私は数カ月前にこうした結果になることを警告した。今後、私はUSスチールの外国企業への売却に反対する」と、安全保障を理由に反対の声を上げている。

 USスチールが本社を置くペンシルバニア州選出で、自らが住んでいる地域にUSスチールの工場がある民主党のジョン・フェッターマン上位議員も声明を発表し、「USスチールが外国企業に身売りすることに合意したことは、全く途方もないことだ。鉄鋼は常に国家の安全保障と、鉄鋼を生産する地域の経済的安全保障に関わる。私は、この外国企業への売却を阻止するために、自分ができることは何でもする」と強硬な姿勢を取り、「この取引は勤勉に働くアメリカの労働者が、株主のために労働者のコミュニティを売り払おうとする貪欲な企業家によって無視された」と、経営陣にも攻撃の矛先を向けている。

 ペンシルバニア州知事も反対の意向を表明し、同州での鋼産業の高賃金の雇用を守る、USスチールの本社をピッツバーグに維持する、モン・バレーとウエスト・ペンシルバニアでの鉄鋼生産を維持する、鉄鋼産業が本当の成長戦略を作成することを促すという方針を明らかにした。共和党のマイク・ケリー下院議員は「私は、本取引がピッツバーグ地域の組合加盟の数千人の労働者に与える潜在的な影響を懸念している」と、USスチールが日本製鉄の傘下に入れば、非組合化されることを懸念する声明を出している。

 反対声明を出した政治家の数は数えきれない。しかも、民主党、共和党を問わない。バイデン政権内部からも否定的な声が聞こえてくる。

日本製鉄の買収を擁護する論調も

 そんな中で日本製鉄による買収を肯定的に評価する記事を掲載しているのが『Post-Gazette』紙である(12月21日、「Politicians are missing the point of U.S. Steel sale」)。同記事の筆者は「正しい質問がされているのだろうかと」と、反対論者に疑問を提起する。「アメリカを代表する企業が外国企業に買収される時、最初に躊躇した反応があるのは理解できるが、それにしても反対の反応は驚きである」と、反対論がやや異常な感じであると指摘している。そして「日本製鉄によるUSスチールの買収はピッツバーグにとって良いことだ。USスチールはブランドを維持し、ピッツバーグは同社の本部を維持できる。それはピッツバーグの周辺で多くの雇用が残ることを意味している」と、日本製鉄の傘下に入っても、うUSスチールは基本的に変わらないと指摘している。事実、そうした事柄は両社の共同声明で明らかにされている。

 同記事の筆者は「議員たちが考えなければならないことは、日本製鉄がアメリカの産業基盤を強化することになるかどうか、テーブルに乗っている他の代替案は本当に良いものなのかである」と、議員に冷静な対応を求めている。代替的な案とはCleveland-Cliffsによる買収である。クリーブランドはピッツバーグから135マイル(約220キロメートル)しか離れていない。そんな近い距離に本部を2つ置くのは無意味である。もしUSスチールとCleveland-Cliffsが一体化すれば、一つの本社の廃止は避けられない。それはピッツバーグでの雇用を減らすことになる。また両社の間には製品の重複や非効率が存在し、両社が一体化すれば、大量の雇用削減は避けられないと、同記事の筆者は指摘している。

 以下で同記事の論旨を紹介する。株主価値は一般の人には関係ないかもしれないが、日本製鉄の買収提案額はCleveland-Cliffsの倍である。株主が得る恩恵を考えれば、日本製鉄の提案を受け入れるのは取締役会の義務である。

 安全保障に関して言えば、最も信頼できる同盟国であり、一緒に中国を封じ込めようとする国の企業による買収に反対するのは驚きである。中国はアメリカと日本にとって脅威である。労働者に関しても、日本製鉄はUSスチールとUSWの労働協約を遵守すると約束し、従業員のために投資すると誓っている。日本企業は労使関係に精通している。日本ではストが行われるのは稀である。それは労使交渉が友好的に行われるからだ。日本製鉄のアメリカ工場の労働者は組合に加わっている。日本製鉄のウエスト・バージニア州にあるWheeling-Nisshin工場は1989年以来、ユニオン・ショップ制(従業員は全員組合に参加する制度)を採用している。他の日本製鉄のアメリカ工場の労働者もUSWに加盟している。そして「日米が一体化したサプライチェーンは強化され、鉄鋼の国際市場での中国の力を弱めることになる」と結論付けている。

 日本製鉄のUSスチール買収が完了するのは2024年第3四半期になる。アメリカでは大統領選挙が真っただ中である。バイデン大統領はUSWの支持を期待している。経済論議よりも政治論議が優先される状況である。反対論は、詳細に検討すると誤解に基づいている場合が多い。だがアメリカは政治の国で、論理的整合性が無視されることが多い。日本製鉄のUSスチール買収にはまだ紆余曲折が予想される。

ジャーナリスト

1971年国際基督教大学卒業、東京銀行(現三菱東京UFJ銀行)、東洋経済新報社編集委員を経て、フリー・ジャーナリスト。アメリカの政治、経済、文化問題について執筆。80~81年のフルブライト・ジャーナリスト。ハーバード大学ケネディ政治大学院研究員、ハワイの東西センター・ジェファーソン・フェロー、ワシントン大学(セントルイス)客員教授。東洋英和女学院大教授、同副学長を経て現職。国際基督教大、日本女子大、武蔵大、成蹊大非常勤講師。アメリカ政治思想、日米経済論、マクロ経済、金融論を担当。著書に『アメリカ保守革命』(中央公論新社)など。contact:nakaoka@pep.ne.jp

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