WBAミドル級タイトルと横浜アリーナ
2019年12月23日20時17分。横浜アリーナの場内に無数のレーザー光線が飛び交い、メインイベンターの両者がリングに向かう。まず、姿を表したのは挑戦者のスティーブン・バトラー。
そして、すぐにチャンピオン、村田諒太が花道を進む。
村田にとって横浜アリーナでの試合は、2018年4月15日のエマヌエーレ・ブランダムラ戦以来だ。ほんの僅かな時間であったが、セコンド陣が掲げるWBAの黒いベルトを見ながら私は、1996年6月24日を思い出していた。
WBAミドル級タイトルマッチ。竹原慎二vs.ウィリアム・ジョッピー。この時、村田諒太は10歳。まだ、小学5年生であり、ボクシングとは出会っていない。
当時、横浜アリーナでボクシング興行が打たれるのは珍しく、同年の3月に辰吉丈一郎がダニエル・サラゴサの持つWBCジュニアフェザー級タイトルに挑んで以来だったと記憶する。
竹原は広島から上京してファイトマネーだけで生活できるようになるまで、内装工事の仕事に就いていた。その作業現場の一つが建設中の横浜アリーナであった。負けず嫌いの竹原は、親方から「無理をするな」と言われても、1枚およそ40キロのボードを1度に2枚、3枚と運んでいたそうだ。そんな思い出の場所で、大歓声に包まれながらリングに上がった。
しかし、左目の疾患で持ち味を出せず、9RにTKO負けで王座を失う。約1万4000人の観衆が固唾を飲んで竹原を見守っていた様を覚えている。
ジョッピーはアメリカにWBAミドル級タイトルを持ち帰り、一度はフリオ・セサール・グリーンに屈しながらも、再戦でリベンジを果たし通算8度の防衛に成功。しかし、2001年5月12日、後に村田のアイドルとなるフェリックス・TITO・トリニダードに、マジソン・スクエア・ガーデンで5Rノックアウト負け。https://news.yahoo.co.jp/byline/soichihayashisr/20191015-00146512/
WBAミドル級タイトルは時を経て、村田の腰に巻かれるようになった。
村田は「確かにかつてはTITOのベルトでしたが、彼と僕を比較するなんておこがましいです」と苦笑するが、BIG NAMEとの試合を制すれば、更に大きなモノを手にできる。
今日、同じ団体のタイトルに<スーパー>だの<正規>だの<シルバー>だのと、何種もの肩書きが付けられるようになった。が、ファンが求めるのは好ファイトのみだ。
村田諒太のBIG MATCHに期待したい。