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村田諒太のアイドルだった名チャンプの足跡

林壮一ノンフィクション作家/ジェイ・ビー・シー(株)広報部所属
5Rでジョッピーを粉砕し3階級を制したTITO(写真:ロイター/アフロ)

 19歳の米兵と話す機会があった。「若いねぇ」と告げると、「大学に入ったんだけれど、2カ月で金が回らなくなってしまって、入隊を決めたんです」と語った。

 出身はどこ? と訊ねると、「プエルトリコ、サンファン」との回答。

 私はこれまでに3度、取材でプエルトリコを訪れている。ヴィエケス島がメインだった。19歳の彼とは、その話で盛り上がった。同時に、故郷・プエルトリコを背負って闘った名チャンピオンの姿が思い起こされた。

 村田諒太のアイドル、フェリックス・TITO・トリニダードである。

 今回は、2001年5月12日のファイトを再録でお届けしたい。

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フェリックス・TITO・トリニダードvs.ウィリアム・ジョッピー ~プエルトリコの星にモハメド・アリを見た~

 WBA世界ミドル級タイトルマッチの前日、マジソン・スクエア・ガーデンの対面に位置するホテル・ペンシルバニアの玄関前では、60人余りのプエルトリカンによる乱痴気騒ぎが深夜まで続いていた。ほとんどがプエルトリコ国旗が描かれたシャツを着ており、酒気を帯びた様子だ。彼らは母国の英雄の勝利を確信し、一足早く宴を催しているのだった。

 約23時間後、試合開始のゴングが鳴らされる頃になると、トランペットやドラムの音とともに、さらにプエルトリカンの熱気はヒートアップした。

 「ボリクゥア パラテ (プエルトリカンよ、立ち上がれ)! ビバ プエルトリコ!!」

 統制のとれた合唱がアリーナに木霊(こだま)する。

 主催者側から発表された、観衆1万8235人の8割以上はプエルトリカンだったのではないか。目に飛び込んでくるプエルトリコ国旗の数は、多過ぎて数えきれなかった。

 そんな雰囲気の中で、フェリックス・“TITO”・トリニダードは、ウィリアム・ジョッピーを3度キャンバスに這わせ、3階級制覇を達成した。トリニダードが勝利に近づく度に観客たちは狂喜乱舞し、「TITO! TITO!」と耳を劈(つんざ)く大歓声が会場に響く。

「アメリカ合衆国自由連合州」という聞き慣れない立場に置かれるプエルトリコは、1493年にコロンブスによって発見され、スペイン領となったカリブ海の小島である。それからおよそ400年後(1898年)に始まった米西戦争で米国に占領され、同年12月の講和条約をもって、アメリカ領となった。

 以来、プエルトリカンには、合衆国の市民権こそ与えられているものの、大統領に投じる選挙権は持たされていない。

 また最近は、ヴィエケス島の「NAVY OUT」キャンペーンが深刻な社会問題となっており、この運動に参加したプエルトリカンの600人近くが収監される事態にまで発展していた。

 アメリカ海軍が唯一実弾演習を行っている場所が、プエルトリコのヴィエケス島である。島民の大多数が漁業を生業にしているこのヴィエケスの海で、海軍は60年以上も劣化ウラン弾をまき散らしてきた。

 99年4月には、コソボ空爆訓練の一環として投下された爆弾が的を外れ、島民の生命を奪う事故が起きた。この直後からプエルトリカンは、島からの海軍撤退、並びに爆弾演習の中止を連邦政府に訴えてきたが、合衆国はおざなりな対応しか見せようとしない。“マイノリティー”であるプエリトリカンに人権などない、といった態度なのだ。

 事故から5カ月後、トリニダードは、彼のキャリアで最も注目されたオスカー・デラホーヤ戦で、『Paz Para Vieques(ヴィエケス島に平和を)!』と書かれたプラカードをセコンドに持たせてリングに登場した。そして今回、ジョッピー戦の16日前には、母国の著名人10名とともにニューヨークタイムズ紙上で、ヴィエケス島の平和を呼び掛ける意見広告を出していた。

 ヒスパニック・ラジオ局のプエルトリカン記者によれば、その広告に集った11名の中でも、トリニダードの人気は図抜けており、歌手のリッキー・マーティンやマーク・アンソニー、MLBのイヴァン・ロドリゲス(レンジャーズ)、ロベルト・アロマー(インディアンズ)など及びもしないという。

 マジソン・スクエア・ガーデンでトリニダードに向けられた視線は、苦しい日常に耐えるプエルトリカンの、微かな希望とやすらぎだったに違いない。トリニダードは、スーパーチャンプであると同時に、虐げられた民族、プエルトリカンの星なのだ。その姿は、60年代から70年代にかけて人種差別撤廃と徴兵拒否を叫び、蔑(さげす)まれた黒い肌が実はどれだけ美しいかを証明したモハメド・アリに通じるものがある。

 次戦、9月15日の統一ミドル級戦で、彼はさらにその存在を輝かせることだろう。

『Sports Graphic Number』524号より

ノンフィクション作家/ジェイ・ビー・シー(株)広報部所属

1969年生まれ。ジュニアライト級でボクシングのプロテストに合格するも、左肘のケガで挫折。週刊誌記者を経て、ノンフィクションライターに。1996年に渡米し、アメリカの公立高校で教壇に立つなど教育者としても活動。2014年、東京大学大学院情報学環教育部修了。著書に『マイノリティーの拳』『アメリカ下層教育現場』『アメリカ問題児再生教室』(全て光文社電子書籍)『神様のリング』『世の中への扉 進め! サムライブルー』、『ほめて伸ばすコーチング』(全て講談社)などがある。

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