最高のリーダーが部下指導に気を付けるたった一つのこと
最高のリーダーとは?
私は企業の現場に入って目標を絶対達成させるコンサルタントです。「絶対達成」をスローガンにしてクライアント企業を支援するため、結果を出すリーダーとそうでないリーダーとの区別がつきます。
チームを統率し、どんなに環境が変化しようと安定して成果を出す最高のリーダーは、チーム全体の「あたりまえの基準」を高く保とうとします。
つまりリーダーの資質を評価するときは、本人ではなく、チームの「あたりまえの基準」に目を向けるのです。
「あたりまえの基準」とは
「あたりまえの基準」とは、わかりやすく書くと、
「これが普通」
と自分の判断を推し量る基準です。
その判断に対して疑ったことがないもの。したがって、人によって「あたりまえの基準」は異なります。
常識的な社会人であれば、定時に会社へ出勤するのは「あたりまえ」です。よほど想定外のことがないかぎり、遅刻することはないはずです。
「うっかり」はありません。
「今日、出勤時間を間違えました。うっかりしていました」
ということはあり得ないのです。
いっぽうで、時間どおりに会議に出席するのはどうでしょう。「あたりまえ」になっていますか。
「今日は10時から会議だったんだな。うっかり忘れてて、のんびり課長にメール書いてた」
など言い訳して遅れてくる人はいませんか。
「おいおいちゃんとスケジュールチェックしとけよ」
「申し訳ありません。うっかりしてて」
という会話が成り立ちます。
もう一度比較しますが、出社時間をうっかり忘れていた人がいたとして、
「今日は9時出勤だったんですね。うっかり忘れてて、のんびり家を出てしまいました」
「おいおい就業規則をチェックしとけよ。当社は毎日9時出勤なんだから」
「申し訳ありません。うっかりしてて」
いかがですか。こういう会話は成り立ちませんよね。
「うっかり忘れることなんてあるか! 君は社会人として失格だ」
と叱られても、仕方がないでしょう。
あたりまえのことを、あたりまえにやる――ということは、約束を守るということです。そしてその約束を守ることにストレスがかからないほど、無意識レベルで習慣化している状態を指します。
会議の時間を守ることと、出社時間を守ることを比べると、どちらかというと出社時間を守ることのほうがハードルが高いでしょう。
自分の体調のこともあります。幼い子どもがいる人は、子どもがぐずついたり、時間どおりにご飯を食べてくれなかったり、年老いた親がいる場合は、また別の事情で想定外のことがあります。
天候の事情、交通の事情、想定外のことはたくさんありますから、ギリギリの時間に出社しようとせず、余裕をもって家を出る人もいるでしょう。
いっぽうで会議の時間を守るには、自分のデスクから立ち上がって歩いて移動するだけです。たったこれだけのことなのに、遅刻する人がいるのです。
資料の提出期限を守らない人もそうです。
大きな声で挨拶をすること、丁寧に電話応対するのも、それほどストレスがかかることではありません。慣れればできることです。
やろうと思えばできるし、大きなストレスがかかるわけでもないのに、その「あたりまえ」のことができない。
「あたりまえの基準」が低い組織は、当然のことながら組織風土が悪くなります。
「あたりまえの基準」が低いと生産性が悪くなる
昨今、すべての企業に求められるのは「生産性」です。しかしテクニックで生産性が高まることなどありません。テクニックや仕組みを考える以前に必要なことは「風土改革」です。
組織の空気が悪く、「個」のポテンシャルを100%発揮できていない組織に、どのような仕組みが導入されても、生産性は上がりません。
「あたりまえの基準」が低い人に、生産性を上げるテクニックを教えても守りません。仕組みを導入しても使おうとしません。
勉強する習慣がない子どもに、秀逸な教材を渡すようなもの。単なる親の自己満足で終わります。
「あたりまえの基準」を高める2つのポイント
「あたりまえの基準」が低い人を、どのように変えていくのか。多くのリーダーは悩むでしょうが、実のところそれほど難しく考える必要はありません。
ポイントは2つです。
● 都度、指摘する
● 基準が上がるまで繰り返す
やってはいけないのが「集合研修」です。組織のメンバーを集めてげきを飛ばすのは悪いことではありません。
「あたりまえの基準を上げていこう!」
とスローガン的に呼びかけるのはいいです。しかし、そもそも「あたりまえの基準」が低い人は自分事と捉えません。
本人に直接言わないといけないのです。
しかも、できれば「その場」で「その都度」です。
「ここ最近、気が緩んでるんじゃないか? この前だって資料の提出期限を守らなかっただろう」
と、最近のことをまとめて指摘してはいけません。必ず反論されるからです。
「この前って……先週の水曜日の会議資料のことですか? あれは事前に伝えてありますよ、課長に。部長は聞いてなかったんですか」
「え、そうなの?」
「そうです。提出期限を守らないときもあったかもしれませんが、先週の話は違います」
「うーーん、そうか。それなら、いいんだが……」
期限を守らないとき、挨拶の声が小さいとき、エレベーターの乗り方を間違えているとき、商談の準備が不十分だったとき――。
我慢できなくなってからではなく、その都度、指摘しないと本人は気付きません。
「あたりまえの基準」は無理やり高くする
もう一つ大切なことがあります。それはリーダーが根負けしないこと。
「何度言っても聞かないんだから」
と言って、部下の「あたりまえの基準」が低いままの状態を容認しないでください。
もしすぐに諦めてしまうなら、部下があたりまえのことをあたりまえにやることが、上司のあなたにとって「あたりまえ」になっていません。
「何度言っても聞かない」
と上司は言いながら、実のところそれほど何度も繰り返し言っていないはずです。1週間に1回を1年間繰り返せば、合計50回です。
これほど繰り返しても、あたりまえのことをあたりまえにできなければ、採用のミスです。もし50回も部下に「あたりまえのこと」を指摘できないなら、上司自身の「あたりまえの基準」が低いのです。
部下の問題ではありません。この上司を人選した、経営幹部のミスです。
それに、「あたりまえの基準」が低いままでは、何があたりまえで、何があたりまえでないかの判別ができません。
低い場所にいて、高いところから見える景色をイメージすることはできないのです。
「あたりまえの基準」が高くなってから、高い人と低い人の区別がつくわけですから、上司は部下のあたりまえの基準を無理やり高くしましょう。
それが「やってあたりまえのこと」であるなら、部下は絶対に「やらされ感」を覚えませんし、モチベーションなどに左右されず上司の指示に従うはずです。
「あたりまえの基準」が低いままで、自分は自分らしく生きたい、自分のやりたいこと、働きがいのある仕事をしたいと言っている部下がいたら、その勘違いを気付かせるのが最高のリーダーである証拠です。