元祖デトロイト黒人パンク・バンド、デス(DEATH)のドキュメンタリー映画が日本公開
1970年代に自主制作シングルを1枚発表したのみで消え去った幻の黒人パンク・バンドが40年以上を経て、新たな注目を集めている。
その名はデス。デトロイトの黒人3人兄弟によるパンク・バンドだ。1974年の春にデスと名乗るようになり、同名のデス・メタル・バンドが結成されるより前、1977年頃には活動を停止していた。
彼らは長年、ロック史において忘れ去られた存在だったが、近年になって再評価の機運が高まり、未発表だったマスターテープを元にしたアルバムが2009年に発売。バンドは約35年ぶりに再結成、ニュー・アルバムまで発表してしまった。
日本においては一部マニアに知られるのみだったデスだが、2016年1月にドキュメンタリー映画『バンド・コールド・デス』が公開。その存在が一躍クローズアップされることになった。ジェフ・ハウレット&マーク・コヴィーノ監督によるこの作品は、“東京テアトルpresents未体験ゾーンの映画たち2016”のひとつとして上映される。
バッド・ブレインズなどを挙げるまでもなく、黒人パンク・バンドは今日でこそ珍しくないが、当時のデトロイト黒人社会ではモータウン・ソウルが絶大な人気を誇っており、ハードなロックを演奏する黒人バンドは珍しかった。ボビー(ベース&ヴォーカル)、ダニス(ドラムス)、デヴィッド(ギター)のハックニー3兄弟からなるデスは異色な存在であり、後に“世界初の黒人パンク・バンド”と呼ばれることになった。
デトロイトといえばMC5、ストゥージズ、アンボイ・デュークスなど、1960年代に多くのプロト・パンク・バンドを生んだロック・シティとして知られている。デスは彼らと世代が異なり、人的交流もなかったが、そのドライヴ感あふれるロックンロール・サウンドは、彼らの系譜に連なるものだ。
“DEATH”という名前に誇りを持ったバンド
『バンド・コールド・デス』は2パートに分けることが出来る。前半はデスというバンドの軌跡、後半はその再評価へと至る道という構成だ。
子供の頃、ラジオでアレサ・フランクリンやボブ・シーガー、テレビでビートルズを聴いていたハックニー兄弟は母親の交通事故の慰謝料で楽器を買って、“ロック・ファイアー・ファンク・エクスプレス”というバンドを結成する。当初は音楽性が定まらなかった彼らだが、デヴィッドがザ・フーのライヴを見に行ったことで衝撃を受け、さらにアリス・クーパーから触発されて、ピュアなロックンロールをやろうと決意。自宅の2階で初期クイーンやザ・フーをコピーする日々が続いた。
当然防音などはされておらず、近所迷惑だと連日苦情が来たというが、彼らは「アイデンティティを賭けて隣人たちと戦った」と後に語っている。
1974年の春にデスを名乗るようになった彼らは1975年2月、初のレコーディング・セッションを行う。そのダイナミックなサウンドはレコード会社の興味を惹き、『アリスタ・レコーズ』のクライヴ・デイヴィスが契約をオファーするが、それはデス(=死)というバンド名を変えることが条件だった。
デスという名前にスピリチュアルな誇りを持っていたバンド、特にデヴィッドはそれを拒絶。契約は流れ、彼らは自主レーベルからシングル「Politicians In My Eyes b/w Keep On Knocking」をリリースした。500枚のみプレスされたこのレコードはまったく売れなかったという。
3人は親戚の住むヴァーモント州バーリントンに活動拠点を移し、ザ・フォース・ムーヴメントと名乗ってロックとゴスペルを融合させた音楽を続ける(映画では語られないが、ハックニー一家はエホバの証人の信者だった)。
だが、デスへの想いを断ち切れないデヴィッドはデトロイトに戻る。残された2人はラムスブレッドを結成、レゲエ路線に転向してしまう。映画にはドレッド・ヘアをしたボビーが「ガンジャを吸いたいかー!?」と観客を煽るライヴ映像が収録されている。
デヴィッドは最後まで「いつか世界中が俺たちの音楽を探しにくる」と信じていたが、肺癌で2000年10月9日に亡くなった。
再評価に伴い再結成、ニュー・アルバムも
それから時は流れて2008年。デスは完全に忘れ去られた存在だったが、インディーズ雑誌『チャンクレット』がブログで彼らを紹介したことから再評価が始まる。
デスはレコード・コレクターの間で話題になり、ネットオークションで高値を呼ぶことになる。ちなみにパンクのコレクターであるジェロ・ビアフラ(元デッド・ケネディーズ)もオリジナル盤シングルを所有しているそうだ。
そうして2009年2月、アメリカの『ドラッグ・シティ』レーベルが未発表音源を含むアルバム『…For The Whole World To See』を発表する。約35年越しとなったデビュー・アルバムは熱狂的に迎えられ(当時日本盤CDもリリースされた)、続いて『Spiritual + Mental + Physical』(2011年発売)、『III』(2014年発売)も世に出ることになった。
ボビーの息子たちがバンド、ラフ・フランシス(デヴィッドが生前発表した最後のレコードでのバンド名)でデスの曲をプレイするなど、さらにデスの認知は高まっていき、遂にバンドの再結成が実現する。
ボビーとダニスに加えて、ラムスブレッドのギタリストであるボビー・ダンカンが加わった新生デスはツアー活動を行い、2015年8月にはニュー・アルバム『N.E.W.』もリリース。イギリスやブラジルでのライヴも実現した。
さらに映画『死霊のはらわた』の続編TVシリーズ『アッシュvsイーヴル・デッド』のBGMで「Freakin' Out」が使われたことも、彼らの人気ぶりを窺わせる。
デヴィッドが信じていたように、35年の月日を経て、世界は彼らを探しに来たのである。
ハックニー一家の“生”の物語
『バンド・コールド・デス』には多くのアーティストが出演、デスの魅力について語っている。アリス・クーパーやヘンリー・ロリンズ、キッド・ロック、クエストラヴ(ザ・ルーツ)、ヴァーノン・リードに加えて、『ロード・オブ・ザ・リング』などで知られる俳優イライジャ・ウッドも登場する。
ちなみにイライジャは大の音楽ファンで、レッド・ベリーやビリー・ホリデイのSP盤レコードを所有するコレクターだ。彼は若手時代にクランベリーズの「リディキュラス・ソーツ」ビデオに出演、またTVシリーズ『オズボーンズ』でオジー・オズボーン一家と懇意であるところも見せている。彼はまた、『シミアン・レコーズ』のCEOでもある。
だが、この作品で最も輝いているのは、ハックニー一家の面々だ。デスの3人兄弟はもちろん、彼らを応援し続けた母親、そしてデスの魂を受け継ごうとする息子たち。“デス=死”という名前のバンドの物語は、一家の“生”の物語なのだ。
●『バンド・コールド・デス(A Band Called Death)』
東京- 1/16 (土) より ヒューマントラストシネマ渋谷にて
大阪- 2/6 (土) より シネ・リーブル梅田にて
(近日オンライン視聴も可能になる予定)
バンド公式サイト:
http://www.deathfromdetroit.com/
東京テアトルpresents未体験ゾーンの映画たち2016 公式サイト:
http://aoyama-theater.jp/feature/mitaiken2016
Akari Films 作品公式サイト: