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【特別対談①】山本美憂×吉田実代 元世界女王二人が語る「人として、母として後悔しない生き方」

藤村幸代フリーライター
山本美憂(右)と吉田実代の元女王二人(C)イーファイト

米国老舗プロモーターであるディベラ・エンターテインメントと電撃契約、愛娘の実衣菜ちゃん(みいな・7)とともに昨年12月中旬より渡米し、ニューヨーク・ブルックリンの名門グリーソンズ・ジムを拠点に世界王座再挑戦を狙うプロボクシング元WBO世界女子スーパーフライ級王者、吉田実代(34)。

2月25日(土)には、大阪ATCホールで開催されるWBA世界スーパーバンタム級2位・亀田和毅vs同級13位・ルイス・カスティージョ戦などU-NEXTにて生配信される全4試合の解説を務めるなど、日米を往復しながら慌ただしくも充実した日々を送っている。

その吉田が練習相手として、また人生の先輩として大きな信頼を寄せているのが、元レスリング世界女王で、現在はRIZINを主戦場に総合格闘家として活躍する山本美憂(48)だ。格闘家の山本アーセン(26)を筆頭に、二男・アーノン(16)、長女・ミーア(14)の3人の母で、シングルマザー時代に海外移住の経験を持つ。

吉田の渡米直前、合同練習を行った際に、互いにシンパシーを抱く両者の対談が実現。格闘家として、母として“後悔しない生き方”についてなど語り合ってもらった。

(2022年12月7日、東京・大田区KRAZY BEEにて収録)

「戦うシングルマザー」として知られる吉田。獲得したベルトを肩に愛娘の実衣菜ちゃんと(C)hiro kijima
「戦うシングルマザー」として知られる吉田。獲得したベルトを肩に愛娘の実衣菜ちゃんと(C)hiro kijima

「シングルマザーとしは海外のほうが生きやすいかも」(山本)

――合同練習を拝見しましたが、スパーリングでもお互い気兼ねなくアドバイスを送ったり、意見を出し合ったりしていましたね。そもそも、お二人が知り合ったきっかけは?

吉田 3、4年くらい前だったかな、知り合いの応援でパンクラスに行った時に私が偶然お見かけして、一緒に写真を撮ってもらったのが始まりです。RIZINに出ていた美憂さんを見て、「めっちゃ好きだな」と一方的に憧れていたんです。

山本 カイルの試合がパンクラスであって、私も会場にいたんだよね。

――2020年に結婚した旦那様で総合格闘家のカイル・アグォン選手ですね。

山本 あの時は実代ちゃん、たしか娘の実衣菜(みいな)も一緒だったよね。それもあるし私服だったこともあって、格闘技をやっているようには全然見えなくて。

吉田 その数か月後にWBO(女子スーパーフライ級)の世界チャンピオンになったんですけど、共通の知り合いの方が美憂さんを紹介してくれるということで、美憂さんが拠点にしているグアムまで会いにいったんです。初対面の時はほとんど話できなかったから、グアムで改めて「はじめまして」みたいな(笑)。美憂さんとはすごく縁があるというか、共通の知り合いがたくさんいるけど、私たちだけがたまたまつながっていなかった、みたいな。

山本 「知らないけど、もう知ってるよ」みたいなね(笑)。グアムと日本で離れている時も、インスタのストーリーとかで毎日のようにやり取りはしていたしね。実代ちゃんは、けっこういろいろ大変な状況もあるけど、めげずにグイグイ前に行くから、すごく応援したくなるんですよね。

――ご自身と通じるところもある?

山本 そうなのかな。私も最近結婚したけど、それまでのシングルマザー歴は長かったしね。2011年からだから9年間? 私の場合は海外でシングルマザーをやっていたから、実代ちゃんよりはちょっと楽だったかもしれない。私にとっては海外のほうが生きやすいというか、生活しやすい感じだったから。まあ、私自身が何も考えていないというのもあるけど(笑)。

――2013年からは生活の拠点をカナダのトロントに移されたんですよね。

山本 そうです。一番上のアーセンはもう16、17歳で、ハンガリーにレスリング留学していたから、チビを二人連れて。傍から見たら大変かもしれないけど、まだ学校に上がる前だったから、逆にどこにでも連れていけたし、つねに一緒に行動できたんですよね。

――オリンピックを目指すためのレスリング留学でもあった?

山本 それもたしかにあったかな。日本では練習相手も見つかりにくかったので。妹の聖子もちょうどアメリカでナショナルチームのコーチをしていたし、だったら私も行ってみてもいいかなと思って。カナダに知り合いがいたわけじゃないんだけどね(苦笑)。

吉田 全然ツテがなくて? それもすごいですよね(笑)。

山本 友だちはいたんだけど、私が行った時はもう違う国に行っちゃって、しょうがないから自分でレスリングチームを探すことから始めて。そうしたら、みんな優しく家族みたいに接してくれて、それで住むところとかもバババッと決めていくことができました。

迷っていた私にかけてくれた言葉「ありのままでいいんだよ」(吉田)

吉田 そのへんが、すごく共通するものを感じるんですよね。私は経済的な理由もあって海外に長くは行けなかったけど、もともと格闘技を始めたのがハワイなので、海外志向はずっとあったし、海外を拠点にしたいという思いはずっとあったんです。

――自分探しのような形でハワイに行き、そこで格闘技を始めたと聞いています。

吉田 20歳になったら自分の好きなことを思い切りやろうと決めて、ソフトボールとかダンスとか色々やってみたけど、これだ! というものが見つからなかったんです。「自分はいったい何ができるんだろう」と考えて、考えて。その結果、「身体を動かすことは得意だから、身ひとつでできる格闘技なら世界を獲れるかもしれない」と。それで、格闘技留学のできるハワイのジムを見つけました。もちろん言葉もできなかったし、それが初海外、初格闘技の初物づくし。私も何も考えてなかったかもしれません(笑)。

――「やりたい」という強い思いと行動力のなせる業ですね。そこから総合格闘技やキックで6年間キャリアを積み、2014年からはプロボクシングの世界へ。名門の三迫ジムへの移籍なども経験し、今回、格闘技キャリアの原点であるアメリカに拠点を移すことに。

吉田 今回の決断には迷いもあったので、姉後肌の美憂さんにはいろいろ弱音も吐かせてもらいました。私も年を取って来たし、世界チャンピオンという肩書もついていたので、人には言えないこともあったりしたんですけど、美憂さんからは、いつもすごくあったかい言葉が返ってくる。やっぱり経験が違うから、響くんですよね。

山本 その場、その環境ごとに傷ついたり、嫌なことがあったりするんですよね。そこで傷つきながらも留まって戦ったほうがいいのか、自分の生きやすいところへ行くべきなのか。そういう話はしたよね。

吉田 日本は、ひとつの場所に留まることが美学であったりするじゃないですか。嫌なことがあってもそこで頑張ってこそ…という。私もEBISU K's BOXというジムで自由にやらせてもらっていたところから、厳しい環境に身を置いてみるべきだろうと自分で決めて、三迫ジムというボクシング界の名門中の名門ジムにお世話になって。

山本 普通の人には、なかなかできない経験だと思うよ。

吉田 そういう厳しい中で、がっつりボクシングの世界に染まったからこそ、自分が本当にやりたいことが見えてきて。そこで、また悩むわけです(笑)。このままでいいんだろうかと。自分はもともと総合とキック出身で、できるなら全部やりたいくらい。でも、畑が違うと「そんなことはムリだよ」と言われてしまう。だんだん自分の内側と外側のリンクが合わなくなってきちゃって。それが苦しくて、美憂さんに話したこともありました。そうしたら、美憂さんは「ありのままでいいんだよ」って。

山本(左)のホームジム「KRAZY BEE」で熱のこもったスパーリングを行う二人(C)イーファイト
山本(左)のホームジム「KRAZY BEE」で熱のこもったスパーリングを行う二人(C)イーファイト

「やりたいことをやっている時は自然と気持ちが子どもに向く」(山本)

山本 特に子どもがいると、自分が崩れたら子どもにも影響が出るから、子どもを守るためにも自分が幸せにならないといけないんだよね。

吉田 (深くうなずく)

山本 それって、すごく大変なんだけど、自分がやりたいことをやっている時って、自然と子どもたちにもちゃんと気持ちがいくんだよね。でも、自分のことで一杯いっぱいで悩んだり、自分が幸せじゃなかったりする時って、やっぱり子どもたちのことも…何ていうのかな、中途半端になっちゃう。そういうのを私は感じていたから、自分がどんなに大変でも、子どもを連れていってでもやりたいことをやったら、この子たちは幸せに生きていけるって思うタイプで。

吉田 私も同じです。

山本 しかも格闘技って人生の中で、できる時間が決められているから、そこでやりたいことをやらなかった時に、何年か経ってすごく後悔するかもしれない。そういう風にずっと生きてきたから、可能性がなくても、ダメでもなんでも関係なくオリンピックに何度もチャレンジしたし、今も人目なんて気にせず、自分がやりたいからやってる。しかも、まだちゃんと動けるわけだしね。

吉田 もうね、美憂さんの生き方が学びみたいな感じだから(笑)。私は2020年に三迫ジムに移籍しましたが、その移籍初戦で負けて、世界王座から陥落してしまって。落ち込むだけ落ち込んで「やめよう」と思った時も、さりげなく送ってきてくれた言葉が凄く…。なんかもう感動してしまって。

山本 え、そうだっけ。

吉田 そうですよ。「私たちの人生、今までも上がったり下がったりしてるでしょ。だから大丈夫。下がったら、それは高く跳ぶための準備だから、全然心配ないよ」って。言っている今も泣きそうになる。そういう言葉にも後押しされたからこそ、私も好きなこと、自分が本当に思っていることをやりたいと思ったんですよ。

山本 だってさ、だいたい時間が解決するから(笑)。

吉田 沁(し)みる!

山本 そんなね、試合で負けたことを何年も引きずるとなんかないから。そんなことより練習しなきゃいけないから。

吉田 今まで負けを経験したり、それこそ唇を噛みしめるようなこともあったりしましたけど、自分ではそれを全部、強さに変えられたと思っていて。そうやって潰れなくて済んだのは、美憂さんとか周りの方がサポートしてくれて、親身に話を聞いてくれたから。実は今までに2回くらい、本当に引退しようと思ったこことがあるんです。でも、今はこうしてニューヨークに飛び立とうとしている(笑)。「落ち込んだぶん、弾けちゃったね」とか「それでこそ実代ちゃん」と言われてます。

――子連れでの海外移住や、日本と海外を行き来する生活には「子どもを自分の都合で振り回している」という批判も起こりがちだと思います。

吉田 はい、それはさんざん言われましたね。

山本 そうだね。それはたしかに振り回しているのかもしれないけど、でもね…。(以下、次回へ続く)

フリーライター

神奈川ニュース映画協会、サムライTV、映像制作会社でディレクターを務め、2002年よりフリーライターに。格闘技、スポーツ、フィットネス、生き方などを取材・執筆。【著書】『ママダス!闘う娘と語る母』(情報センター出版局)、【構成】『私は居場所を見つけたい~ファイティングウーマン ライカの挑戦~』(新潮社)『負けないで!』(創出版)『走れ!助産師ボクサー』(NTT出版)『Smile!田中理恵自伝』『光と影 誰も知らない本当の武尊』『下剋上トレーナー』(以上、ベースボール・マガジン社)『へやトレ』(主婦の友社)他。横須賀市出身、三浦市在住。

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