文科省の指示があっても、登下校中の小中学生はマスクをはずさない
文科省が登下校中を「マスクの着用が不要な場面」とした。しかし登下校中の小学生や中学生に目を向けると、ほぼ全員がマスクを着用したままだ。「マスクを絶対にはずせ」と言い立てる気もないが、文科省の姿勢だけは気になる。
| マスク着用は基本だが必要ない・・?
文科省は6月10日、児童生徒等のマスクの着用について、各都道府県等にむけて事務連絡をしている。同様の事務連絡は5月24日付でもだされており、6月のものは「再周知」のためだという。事務連絡の内容が実行されていないことを文科省も自覚し、気にしているようだ。
6月10日の事務連絡をみてみると、新型コロナウイルス感染症(新型コロナ)に対する「基本的な感染対策」として、「三密の回避」「人と人との距離の確保」「マスクの着用」「手洗い等の手指衛生」「換気」等の徹底を求めている。従来からの方針に変わりはないわけで、「マスクの着用」も「基本」であることに変更はない。
しかしながら文科省は、夏にむかって熱中症リスクが高まっていることを理由に、マスク着用の「考え方」を変えている。それが、2回にわたる事務連絡の内容だ。
事務連絡には「マスクの着用が不要な場面」の具体例が示されており、「体育の授業」「運動部活動の活動中」「登下校時」が並んでいる。そして、「児童生徒に対してマスクを外すよう指導すること」と指示している。
ただし、そこには条件も付けられている。「できるだけ距離を空ける、近距離での会話を控えるといったことをはじめ、屋内の体育館等の場合には常時換気など換気を徹底する」ことを求めているのだ。
体育の授業や運動部活動の場合、種目によっては人と人との距離が近くなる場合も多いし、接触さえするケースも多々ある。近距離での会話どころか、大声でのコミュニケーションが不可欠な場面もある。
事務連絡では「運動部活動については各競技団体が作成するガイドライン等を踏まえた取組を行う」と放り投げており、「プレー中はマスクの着用は必要ないが、片付けのときなどは着用する」といったガイドラインが作成している団体も少なくないようだ。片付け時には着用が必要で、プレー中は必要でない理由までは示されていない。
文科省の事務連絡からして、「なぜ不要なのか」が具体的な理由が示されているわけではない。熱中症リスクと感染リスクを天秤に掛けて、熱中症リスクを優先しているだけにしか読めない。国語や社会の授業では新型コロナの感染リスクがあるのでマスクは必要だが、体育の授業では必要ない、といっているようなものだ。
| マスク不要の場面は校則のようなものなのか
理由はわからなくてもいいから、「文科省が決めたことだから黙って従え」なのだろうか。これでは、理由があやふやにもかかわらず強要される校則と変わりない。
そして「児童生徒に対してマスクを外すよう指導」の矢面に立たされるのは学校であり、教員だ。文科省の事務連絡をどう受け止めているのか、何人かの教員に訊いてみた。ある小学校教員は次のような感想を口にした。
「マスク着用にこだわる派とこだわらない派の両方の保護者がいます。両者に理解してもらわないと指導できないわけで・・・難しい」
マスクが新型コロナの感染対策としてほんとうに有効なのかどうか、世界的にも議論が分かれているのが現状である。そんななかで、保護者の立場も割れている。
そんななかで、はっきりした理由を示さずに、「体育の授業や登下校時はマスクは不要です」と指導してみても、納得してもらえるとはおもえない。反感を買うだけのことだ。「文科省が言っているから」では、納得しない保護者も多い。子どもたちも同じはずである。
だから、文科省の事務連絡があっても、登下校中の子どもたちはマスク姿なのだ。「事務連絡をだしたのだから自分たちのやることはやった」と文科省はおもっているのかもしれないが、それでは終わっていない。着用が必要なら必要な理由を、必要ないのなら必要ない理由をはっきり示さなければ、もしくは示せない理由を正直に示さなければ、ただの「命令」では混乱を招くだけでしかない。