シリア:「常態化した非常時」から「実体化した非常時」へ (1)弱い国家と社会の関係
シリア内戦のイメージ
2010年末から始まった「アラブの春」と呼ばれる一大政治変動は、20世紀半ばに領域主権国家群が成立して以降、もっとも深刻な混乱を中東にもたらしたと言っても過言ではない。なかでもシリアは「21世紀最悪の人道危機」(worst humanitarian crisis of the 21st century)と評される過酷な紛争に苛まれた。いわゆるシリア内戦である。
中東でもっとも安定した強い国家の一つに数えられていたはずのシリアは、これを境に弱い国家に転落した。国家機能は麻痺し、国防・治安維持能力は低下、福祉などの福祉財も十分提供されなくなった。また、国内での不和と武力衝突が、国家(政権、ないしは体制)と社会(国民)の関係を希薄化させたと考えられた。
こうした理解は欧米諸国、アラブ湾岸諸国、トルコ、さらには日本といった国で顕著だった。そこでは、シリア内戦を、独裁を敷く「悪」と、これに抗って自由や尊厳を希求する「善」の対決とみなす、勧善懲悪と予定調和によって彩られた「アラブの春」のステレオタイプが普及した。アカデミアに目を向けると、例えば、Ajami[2012]は、シリアでの「アラブの春」を独裁に対する民衆の蜂起と位置づけ、国家と社会、すなわちバッシャール・アサド政権と国民を相容れない存在として対峙し、事態の推移を勧善懲悪の物語として描いた。またLesch[2012]は、抗議デモに容赦ない弾圧を加えたB・アサド政権の崩壊への期待を行間に滲ませつつ、シリア国内の混乱や諸外国の干渉を分析した。メディアでも、民主化を求めるデモの「正しさ」、そしてそれを弾圧する政権の「非道さ」が非難された(青山[2012a: vi-vii, 85-86])。こうした報道の多くが紛れもない事実で、それに触れる者に大きな衝撃を与えた。だが、なかには事実確認がなされていない情報、あるいは故意に歪曲・捏造されたと思われる情報が散見された。
国家社会関係の親和化はなぜ起きたのか
むろん、シリア内戦は、とりわけ初期の段階で、「アラブの春」のステレオタイプに基づいて非難されるべき国家による社会への弾圧が見られた。この事実は、権威主義のもと、社会が国家の統制、監視を受けてきたこととあいまってことさら強調された。しかし、シリア内戦では、国家社会関係の希薄化とは逆の動き、すなわち国家と社会の親和化も生じた。社会が国家の機能を補完しようとする一方で、国家も社会のこうした役割に期待しようとしたのである。
この国家社会関係の親和化は、実は強い国家、弱い国家、民主主義、権威主義のいかんになくどの国でも見られる。例えば、民主主義を敷く強い国家では、国家が十分提供していない福祉を補完しようとする営為が、NPO(non-profit organization)、あるいはNGO(non-government organization)を通じて社会の側からなさている(グローバル・ガバナンス委員会[1995]などを参照)。また、軍や警察といった暴力装置を支援する民兵も存在する。弱い国家、さらには失敗国家でも同様で、アフリカ地域における紛争をめぐっては、国家が民兵を利用するさまを体系的に指摘する研究(例えば武内[2009])もある。
社会による国家機能の自発的な補完は、市民社会が発達した民主主義や強い国家では、当然の現象と認知されている。これに対して、権威主義と紛争という二重苦に苛まれるシリアのような国において、国家と社会の親和化が生じたのはなぜだろうか。
本シリーズ(全4回)は、シリアの権威主義の特徴を解明しながら、この問いに答えることを目的とする。論を進めるにあたり、シリア政治が、戦争・紛争がなく、政治的、経済的、そして社会的にも安定している平時と対照される「非常時」であり続けてきたという事実を念頭に置き、シリア内戦によって国家社会関係がどう変化したのか、そしてこの変化が「非常時」にどのような影響を与えたのかを詳らかにしたい。
参考文献
- Ajami, Fouad[2012]The Syrian Rebellion, Stanford: Hoover Institution Press.
- Lesch, David W.[2012]Syria: The Fall of the House of Assad, New Haven and London: Yale University Press.
- 青山弘之[2012a]『混迷するシリア:歴史と政治構造から読み解く』岩波書店。
- グローバル・ガバナンス委員会、京都フォーラム監訳[1995]『地球リーダーシップ:新しい世界秩序をめざして』NHK出版。
- 武内進一[2009]「政権に使われる民兵:現代アフリカの紛争と国家の特質」『年報政治学』60巻(2):108-128。