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松井5敬遠から27年。明徳義塾と星稜が再戦だ!

楊順行スポーツライター
1992年夏の甲子園、明徳義塾戦で5敬遠された松井秀喜(写真:岡沢克郎/アフロ)

 東京の高校野球の聖地だった神宮第二球場が11月3日、58年の歴史に幕を下ろした。最後の試合が、秋季東京大会準々決勝・帝京と日大三の一戦。狭い球場で打撃戦も予想されたが、2対1というロースコアで帝京が制した。帝京・前田三夫監督と日大三・小倉全由監督は、小倉が関東一を率いていたころからのライバル。東京の高校野球の両雄が最後に用意されていたのは、なかなかにドラマチックだった。

 僕も、1980年代からよく取材に出かけた。お隣の神宮球場では日本シリーズが戦われてお祭り騒ぎのなか、当時はまだ格付けの低かった神宮大会を見たし、松坂大輔、ダルビッシュ有を初めて見たのもここ。2015年春には、清宮幸太郎の早稲田実入学第1号が、オコエ瑠偉(当時関東一)の頭上を越えていくのも見たなあ。そのときは一観客として、ビールを飲みながらだった。

明治神宮大会は15日開幕

 神宮大会といえば……3日には、明徳義塾が四国大会で優勝し、すでに北信越を制していた星稜と、今年の神宮大会1回戦で対戦することが決まった。明徳vs星稜といえば92年夏の甲子園、明徳が松井秀喜を5敬遠した因縁の対戦。公式戦で両校が当たるのは、そのとき以来実に27年ぶりだという。ただ明徳・馬淵史郎監督によると、「練習試合は何回もしているけどね」。そしてその92年、三塁を守る松井の1学年下で、三遊間を組んでいたのが林和成・現星稜監督というのもなにかの縁だ。

 林監督はその明徳戦、二番打者として2回、ホームを踏んでいる。結局星稜が敗れたスコアは2対3だから、チーム全得点にあたるわけだ。5回にはヒットで出て、1死から松井の敬遠で二進したのが点に結びついていた。つまりその回、明徳の松井敬遠は裏目に出ていたといえる。林監督は、自らの高校時代を振り返る。

「守り優先、打つほうではつなぎ役というプレースタイルでした」

 ただ、11年に母校の監督に就任してから目ざしてきたのは、「打てるチーム」だった。

「コーチや部長の時代、第一ストライクからがんがん打つ現在の高校野球を見ながら、"打たないと勝てないんだ"と痛感したんです。何点リードしていても、勝負はわからない。現に、それを経験していますからね」

 そう、星稜といえば14年夏の石川大会決勝、8点を追う9回裏、奇跡的な逆転サヨナラ勝ちをおさめている。さらに17年秋には、5点差を追う7回に大量7点で日本航空石川を逆転して優勝。奥川恭伸は抜けたが、この秋のチームは打力がすさまじい。秋季北信越大会4試合で44得点、チーム打率4割の4本塁打で、「現時点では、打線は明らかに前チームより上です」と、林監督の評価はのちに夏の甲子園で準優勝した前チームより高い。

 報道によると林監督はかつて、92年の明徳戦を振り返り、「選手は選手、指導者となると別ものです」と話していたという。そして馬淵監督に対しては「尊敬する監督の一人。なんでも吸収したい」。さて、15日に予定されている神宮大会1回戦は、どんな展開になるか……。ちなみに、だ。松井が2年だった91年秋の神宮大会では、決勝で帝京を破った星稜が優勝している。その試合で松井が、三沢興一に4四球と歩かされ、うち2つが敬遠だったことはあまり知られていない。

スポーツライター

1960年、新潟県生まれ。82年、ベースボール・マガジン社に入社し、野球、相撲、バドミントン専門誌の編集に携わる。87年からフリーとして野球、サッカー、バレーボール、バドミントンなどの原稿を執筆。85年、KK最後の夏に“初出場”した甲子園取材は64回を数え、観戦は2500試合を超えた。春夏通じて55季連続“出場”中。著書は『「スコアブック」は知っている。』(KKベストセラーズ)『高校野球100年のヒーロー』『甲子園の魔物』『1998年 横浜高校 松坂大輔という旋風』ほか、近著に『1969年 松山商業と三沢高校』(ベースボール・マガジン社)。

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