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「テレビはアップの芸術」 50年ぶりに“復活”した伝説の番組『てなもんや三度笠』に宿る職人技

てれびのスキマライター。テレビっ子
『てなもんや三度笠』より  (C)朝日放送テレビ

かつて、視聴率30~40%超えが当たり前、最高視聴率がなんと64.8%という驚異の数字を叩き出したバラエティ番組があった。

それが朝日放送制作の『てなもんや三度笠』(TBS)だ。

1962年から始まった番組は1968年まで全309回放送された。この伝説の番組が先月末より、CS放送の時代劇専門チャンネルで現存する放送VTRの中から厳選された8本が、約50年ぶりに“復活”し、放送されている。

同チャンネルでは、放送に先立ち、特別番組『これが伝説の裏側! てなもんや奮闘記』を前・後編にわたって放送した。番組演出の澤田隆治に加え、若き頃、番組レギュラーだった西川きよし、山本リンダを迎え、徳光和夫司会のもと、番組の裏側や裏話、名場面を振り返ったものだ。この番組は短いながらも『てなもんや三度笠』の魅力や凄さが凝縮された番組だった。

『これが伝説の裏側! てなもんや奮闘記』より   (C)時代劇専門チャンネル
『これが伝説の裏側! てなもんや奮闘記』より (C)時代劇専門チャンネル

20代の若者たちの挑戦

『てなもんや三度笠』は道中物コメディ。主人公・あんかけの時次郎に起用された藤田まことは当時まだ無名の存在。他の番組にも出演していたもののせいぜい「三番手」くらいのポジション。相当な抜擢だった。そんな新人コメディアンと、時次郎を重ね合わせた人生修業のための道中だった。演出の澤田隆治は藤田まことと同い年。自分自身を重ねた部分もあったのだろう。

『てなもんや三度笠』で全国の視聴者がまず驚いたのは、時次郎の相棒である小坊主・珍念を演じた白木みのるの存在。

「なんだ、この達者な子供は!」と。

140cmの身長と子供らしい仕草だから、そう思っても無理はない。けれど、34年生まれの白木は33年生まれの藤田まこととわずか1歳差。当時28歳で、大阪では知らぬものがいないほどの既に大スターだった。

そんな白木に澤田は「子供らしさをもういっぺん勉強してくれ」と、子供たちと一緒に遊ばせたりして珍念の役作りをしていったという。その甲斐もあってか、藤田や同い年の財津一郎との掛け合いは大評判になった。

メインキャスト3人と演出がほぼ同い年の20代後半。関西から全国に一旗揚げてやるという意気揚々たる野心に満ちていた。

この番組から「オレがこんなに強いのも、あたり前田のクラッカー!」「耳の穴から手ぇ突っ込んで奥歯ガタガタいわしたろか」「非ッ常にキビシ〜ッ!!」「許して…チョーダイ!!」など数多くの流行語も生まれた。

ちなみに「あたり前田のクラッカー」は、生で音をつけていたダジャレ好きな効果マンがよく言っていたのを「もらった」のだと言う。

「東海道五十三次」を再現したリアルなセット

この番組の特長のひとつがリアルで豪華なセットだ。

澤田:リアルなセットの中でバカなことをするほうが落差があっていいだろうと思ってたんです。当時は「コメディは書き割りのものだよ」って。「エノケン(榎本健一)さんだってそうなんだから」って言われましたよ。

出典:『これが伝説の裏側! てなもんや奮闘記』

それでも澤田は信念を曲げず、木や草もホンモノにこだわった。舞台に「蚊が飛んできそう」な林を作るのだ。いつしか、本番直前に植木職人がやってきて、ジョウロから水を口に含んで、それを木々に吹きかけるのがひとつの名物になった。そうすると途端に木が生き返るのだ。

セットは歌川広重の「東海道五十三次」の浮世絵をリアルに再現。それが尽きるとスタッフがロケハンをし、その土地々々の名所旧跡をセットにした。

「自分の生まれ故郷の山の姿がそのままで感激した」というような投書が来るほどだったという。

一発本番を止めたザ・タイガース人気

そしてもうひとつの大きな特徴が公開収録だったということだ。

今だったら、収録なのだからいくらでも編集ができる。だが、当時はVTRの編集機材はなく、生放送のように始めから終わりまで止めることなく収録する一発本番形式だった。にもかかわらず映画のようにカットが変わる複雑な殺陣や生歌のミュージカル演出、さらに爆破など派手な仕掛けの連続だった。

そんな一発本番の収録が思わぬ事態になって止められたことがあった。

この番組の魅力のひとつにゲスト陣の豪華さがある。

伴淳三郎や由利徹、フランキー堺など往年の大スター、当時一世を風靡していたクレイジーキャッツらも出演した。そんな中で、若い女性に絶大な人気を誇っていた沢田研二擁するザ・タイガースが出演したのだ。

リハーサルを終え、収録するABCホールの外を見て澤田は愕然とした。大勢の女子学生が埋め尽くしていたのだ。

澤田:本番当日の朝は表のことは気にするヒマがないくらい忙しいので、客入れの時の騒ぎがいつもと違うとは思っていましたが、前説で客席をみて全部女の子だったのでびっくりしました。いつもは学生などいない客席でしたから思わず「学校は?」ときいたら「冬休み!」と合唱されてしまいました。

本番に入って話が進んでタイガースが登場すると「ギャー」という叫び声で歌のイントロもなにもきこえない。音声の担当が「ダメです」とバンザイしているし、舞台にいるレギュラー陣も立往生しています。

出典:「水道橋博士のメルマ旬報」(相沢直)『てなもんや』を作った男 澤田隆治インタビュー

これではダメだと、澤田はやむなく収録を止めた。

澤田:1回収録止めましたからね。歓声でなんにも聞こえない。

リンダ:台詞もなんにも聞こえないんですもん。「キャー!」しかない。芝居にならない(笑)。

澤田:降りていって(客に)説教したんです。中止すると言ったらまた大騒ぎ(笑)。

出典:『これが伝説の裏側! てなもんや奮闘記』

「これでは番組がつくれません。君らのせいでタイガースが出れなくなる」「拍手はいいけど叫んだら何も聞こえなくなるんだ」と諭し、ようやく収録が再開されたのだ。

テレビはアップの芸術

『てなもんや三度笠』は、辻堂の扉から時次郎が出てきて、「オレがこんなに強いのも、あたり前田のクラッカー!」と決めるアバンタイトルから始まる。

その後、イラストによるタイトルバックが始まり、地図が映し出され、時次郎と珍念のイラストがその日の舞台まで移動する。

そこで再びスタジオに移り、出演者が登場し、物語が始まっていくという流れだ。

前述のように、これを編集なしの一発本番で撮影していくのだが、驚くのは、イラストを使ったタイトルバックも含め、その場で撮っているということだ。

タイトルバックは、イラストの描かれたフリップをスタッフがカメラの前で紙芝居の要領でめくっていく。

アニメ的な演出の地図上の移動も、ガラスに貼ったイラストを手作業で動かしている。

その間に辻堂のセットが撤去され、出演者がスタンバイする。

まさに綱渡り。毎回、一瞬のミスも許されない職人たちの神業によって成り立っていたのだ。

さらに凄かったのが、細かいカット割りを駆使したスピード感あふれる立ち回りシーンだ。殺陣は殺陣師の的場達雄と澤田が一緒に考えてた。

澤田:こちらがどんどんアイデアを出して殺陣師の人と一緒に考えるんです。勉強もしましたよ。手本があんまりないんです。

徳光:殺陣師の人は(コメディの)経験がないでしょ?

澤田:カッコよくしか作れませんから。(本来は)笑わせる必要はない。

出典:『これが伝説の裏側! てなもんや奮闘記』

殺陣を自分も考えたことは演出にも役立った。どこをどう撮れば魅力的に見せることができるのかがわかったのだ。

澤田:殺陣をつける時からわかっていたら(細部まで)見えるんですよ。テレビのディレクターは引いてポンポンとアップで抜くしかやらないんです。僕は殺陣の稽古からついていってましたから、スローモーションで見えるんです。

出典:『これが伝説の裏側! てなもんや奮闘記』

映画などでは、殺陣は何度も同じシーンを撮り、編集することでそれを撮影することができるが、『てなもんや三度笠』の場合、一発本番だ。通常の公開コメディでは、引きの画を多用し、決めポーズだけアップで撮るのがせいぜいだった。しかも、『てなもんや三度笠』のカメラはわずか3台。今、このような公開コメディを成立させるとすると最低でも6~7台は使うという。そんな中でも、澤田は、殺陣を躍動的に見せながら、しっかりアップとリアクションを撮ることにこだわった。それが面白さを際立たせると確信していたからだ。

澤田:当時の普通のコメディは60カットくらい。『てなもんや三度笠』は80から100カットくらいに割っていました。やっぱり表情が変わるところとかをキチッと撮ってあげないと。中継車のカメラは(当時はスポーツ中継中心だから)野球とかのボールしか追ってませんから、タレントのアップを撮るってことはまずないわけですよ。映画屋さんではないから。その人たちとチームワークを作っていくのは、普通はカット割りの数を減らすんですよ。グループショットで見せて、みんなが面白ければいい。ただ、テレビっていうのはアップだから。アップを撮ってあげなきゃダメ。「テレビはアップの芸術だ」ってよく言われますけど、ドラマだとそうですけど、公開コメディでアップ撮っている番組はホントに少なかった。

徳光:(日本テレビに)後藤達彦さんっていうプロ野球中継の名ディレクターがいたんですけど、テレビの野球中継って最初カメラ2台だったんです。3台目のカメラを入れる時にどうやって使うのか考えた。この速い球を投げているピッチャーはこういう顔だ、この凄いバッターはこういう顔だと、3台目をアップに使ったことによって野球が俄然面白くなったんです。アップで撮ることによって出演者の個性がわかる

きよし:(大きくうなずいて)出演者側はまずアップで撮っていただけるタレントになりたいんです。

出典:『これが伝説の裏側! てなもんや奮闘記』

『てなもんや三度笠』はこうした職人たちの哲学とこだわり、そして熟練の技術によって生まれたのだ。

白木みのるの付き人をしていた西川きよしはクマの着ぐるみを着てこの番組に初出演。その時、澤田に「はよ、顔が出せる芸人になりや」と言われたという。その後、相方の横山やすしとともに第297話から最終回(第309話)までほぼ初めての全国ネットのレギュラー出演を果たした。

『てなもんや三度笠』終了後、澤田は『花王名人劇場』(関西テレビ)の演出・プロデュースを担当。この番組で横山やすし・西川きよしは全国区のスターの地位を確かなものにしていった。そして、その成功を見た横澤彪が『THE MANZAI』(フジテレビ)を仕掛け、「マンザイブーム」という新しい時代が幕を開けるのだ。

■時代劇専門チャンネル『てなもんや三度笠』

2019年7月28日(日)より毎週日曜よる9時放送

毎週2話ずつ、全8話を放送(リピート放送あり)

詳しい放送内容・スケジュールはこちら

ライター。テレビっ子

現在『水道橋博士のメルマ旬報』『日刊サイゾー』『週刊SPA!』『日刊ゲンダイ』などにテレビに関するコラムを連載中。著書に戸部田誠名義で『タモリ学 タモリにとって「タモリ」とは何か?』(イースト・プレス)、『有吉弘行のツイッターのフォロワーはなぜ300万人もいるのか 絶望を笑いに変える芸人たちの生き方』、『コントに捧げた内村光良の怒り 続・絶望を笑いに変える芸人たちの生き方』(コア新書)、『1989年のテレビっ子』(双葉社)、『笑福亭鶴瓶論』(新潮社)など。共著で『大人のSMAP論』がある。

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