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冨安は森保JAPANの光明。日本人センターバックは世界と対峙できるか?

小宮良之スポーツライター・小説家
アジアカップ、ゴールに立ち塞がる冨安健洋(写真:ロイター/アフロ)

 アジアカップ、20歳と若い冨安健洋(シントトロイデン)のプレーは、日本サッカーにとって光明だった。

 ラウンド16,劣勢を強いられたサウジアラビア戦。日本はRepliegue Intensivo(スペイン語で集中的撤退戦。自陣でブロックを作って守りを固め、カウンターを狙う戦術)でサウジの猛攻を受け止め、凌ぎ切っている。数度はゴール前に迫られたものの、そのたびにセンターバックの吉田麻也(サウサンプトン)、そして冨安が跳ね返した。その堅牢さは、目を見張るものがあった。

 そして冨安は貴重な決勝点も、ヘディングで叩き込んでいる。左からのCK。マークを外し、高いジャンプでマーカーに競り勝った。

 センターバックとしての強度の高さを、冨安はアジアカップで感じさせている。準々決勝のベトナム戦は安易に前に出て入れ替わられる場面はあったが、完封に貢献。特筆すべきは、試合を重ねるたびにプレーが改善されていった。まるで、相手が実力者であればあるほど、才能が触発されるように――。

 準決勝では、イランの強力なアタッカーを完全に封じた。ロシア1部リーグ、ルビン・カザンでプレーする高速FWサルダル・アズモンに、ほとんど裏を取らせなかった。空中戦の戦いも制した。

冨安の才能とは

「ディフェンダーは試合を糧に成長するポジション。経験がなければ、成長も難しい。能力の高い相手と戦い、駆け引きに習熟し、守りを突き詰めることが大事だ」

 かつて世界最高のセンターバックの一人に数えられた元アルゼンチン代表セルヒオ・アジャラは、そう説明していた。

 日本サッカーは近年、欧州のトップレベルで活躍するサイドバック、ミッドフィールダー、サイドアタッカー、あるいはストライカーを何人も生み出している。しかしながら、ゴールキーパーとセンターバックだけは欧州のスカウトの眼鏡にかなわず、海を渡る選手は例外的。欧州進出が遅れていた。

 2018年1月、進境著しい冨安は、J2アビスパ福岡から欧州ベルギーに新天地を求めている。

 わずか1年で、冨安はディフェンスとして器を大きくし、成熟した。多くのタイプの違うアタッカーと対峙し、異なるアイデアを持った味方選手と連係を合わせる。その日々の中で失敗もあっただろう。しかし経験そのものが、彼にセンターバックとしてのカタルシスを与えた。

 それは、日本人センターバックが世界と対峙するための一つのヒントとなりそうだ。

日本人センターバックの欧州進出

「もっと多くの日本人センターバックが、海外でのプレーを経験する必要があると思います」

 ロシアワールドカップ、日本がベルギーに敗れたあとのミックスゾーンで、吉田は力説していた。

 吉田はプレミアリーグでトップレベルのアタッカーと向き合っている。それによって得られるものの大切さを、彼は知り尽くしているのだろう。自身、オランダ、イングランドで10シーズン目。猛者たちと戦い続けることで、守備者としての風格を身につけている。優れたアタッカーと駆け引きをすることによって、一人のセンターバックとして成熟したのだ。

 その点、日本人センターバックの欧州挑戦活発化は、好ましいと言えるだろう。

 過去1年、海を渡った日本人センターバックは冨安だけでない。

 ワールドカップ後には鹿島アントラーズの植田直通、昌子源のロシアW杯組も、それぞれベルギー1部リーグのサークル・ブルッヘ、フランス1部リーグ、トゥールーズに向けて旅立っている。また、今年1月には柏レイソルの中山雄太もオランダ1部リーグのPECズヴォレへの移籍を発表。そしてベガルタ仙台の板倉滉は強豪マンチェスター・シティと契約を結び、まずは期限付き移籍でオランダ1部リーグのフローニンゲンでプレーすることになっている。

なぜ海外でセンターバックは成長できるのか

 当然だが、Jリーグでも成長はできる。しかし、欧州のトップリーグには異なるタイプの能力を持ったアタッカーがいる。そうした選手と対決することで、能力は引き出される。例えば、アフリカ系のリーチが長く、爆発力を持ったアタッカー、南米特有のずる賢さを持ったストライカー、頑健な体格を誇る巨漢ポストワーカー。Jリーグでは対戦機会が乏しい相手と肌を合わせることで、貴重な経験を積めるのだ。

「スペインの戦いはタフで厳しいですよ」

 そう語っていたのは、スペイン2部のジムナスティック・タラゴナで3シーズンにわたってプレーした鈴木大輔(現在は浦和レッズ)である。センターバックを中心に、サイドバックやウィングバックも経験した。

「最初にセンターバックでプレーしたときは、すごい圧力を受けて。スタンドから見て、想像はしていたんですけど、見ているのと、やってみるのはまったく違いました。敵全体から受ける熱というか、そういう中で自分(平常心)を保たないといけないんです。スペイン2部はどこと対戦しても、これは、と思うアタッカーが一人はいました。アンヘル(現在はヘタフェ)とか、独特の間合いがありました。おかげで、対人だけでも急激に伸びたな、と思います」

 鈴木はさらにこう続けている。

「スペインは練習からして、コンタクトの質や激しさは日本とは違います。例えば、オランダ人の親を持つスペイン人選手は骨格的に肩が張っていて、確実にポストプレーができる。毎日毎日、こんなのとぶつかっていたら、それは球際も強くなるなぁと。日本にいたときの自分とは、だいぶプレーの印象が変わったかもしれません」

 試合だけでなく、日々の練習が糧になるのだ。

アタッカーはどの国でも生まれるが・・・

 サッカー発展途上国と呼ばれる国でも、才能に恵まれたアタッカーはぽつぽつとは生まれる。アタッカーは、天性のスピードや感覚が生きるポジションで、先天的な要素が物を言う。実際、アフリカ人選手はサミュエル・エトー、ディディエ・ドログバを筆頭に、サディオ・マネ、モハメド・サラー、オーバメヤン、ムサ・マレガ、ヴァンサン・アブバカルなど、アタッカーの人材は豊富だ。

 しかし優秀なディフェンダー、とりわけセンターバックはサッカー文化が成熟した国に生まれる。イタリア、アルゼンチン、スペイン、ドイツ、ブラジル、フランス、ウルグアイ・・・。どこも、W杯優勝経験のある国ばかりだ。

 優れたアタッカーが増える一方、それに合わせてようやくディフェンダーの数も追いつく。相関関係だ。

 セリエAが世界を席巻した90年代のイタリアは顕著で、マルコ・ファンバステン、ロベルト・バッジョ、ガブリエル・バティストゥータという偉大なストライカーと対峙することで、フランコ・バレージ、パオロ・マルディーニ、コスタクルタ、ジュゼッペ・ベルゴミ、シロ・フェラーラ、ピエトロ・ビエルコウッドなど湯水の如く名センターバックを生み出した。

 世界を舞台に戦い、日本代表として一歩を踏み出した冨安は、今後の日本サッカーの光明となり得る。

スポーツライター・小説家

1972年、横浜生まれ。大学卒業後にスペインのバルセロナに渡り、スポーツライターに。語学力を駆使して五輪、W杯を現地取材後、06年に帰国。競技者と心を通わすインタビューに定評がある。著書は20冊以上で『導かれし者』(角川文庫)『アンチ・ドロップアウト』(集英社)。『ラストシュート 絆を忘れない』(角川文庫)で小説家デビューし、2020年12月には『氷上のフェニックス』(角川文庫)を刊行。他にTBS『情熱大陸』テレビ東京『フットブレイン』TOKYO FM『Athelete Beat』『クロノス』NHK『スポーツ大陸』『サンデースポーツ』で特集企画、出演。「JFA100周年感謝表彰」を受賞。

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