2チーム分、作れるようになったサッカー日本代表。新しい時代の扉が開いた瞬間を見た
6-0で大勝したエルサルバドル戦と20日に行われるペルー戦。26人の招集メンバーの中で、ディフェンダーらしき選手は谷口彰悟、板倉滉、瀬古歩夢、伊藤洋輝、菅原由勢、相馬勇紀、森下龍矢の7人だった。相馬は所属クラブ(カサ・ピア)では高い位置でプレーしているので6.5人と言ってもいい。前回(3月)より2、3人減ったことになる。
その分、MFより上で構える攻撃陣の割り当てが増えた。エルサルバドル戦で、遠藤航、鎌田大地、伊東純也、前田大然らの常連組がベンチを温めたこととそれは深い関係にある。彼らは次戦のペルー戦では長い時間プレーするものと思われるが、それは現代表チームがMFより上のポジションに2チーム分、作れるだけの人材を抱えていることを意味する。センターバックの人材不足は著しいとはいえ、喜ばしい話である。日本代表は新しい時代を迎えたと見る。
日本代表史で想起するのはジーコジャパンの初戦だ。2002年日韓共催W杯明けに行われたジャマイカ戦である。中田英寿、小野伸二、稲本潤一に、W杯の最終メンバーから落選した中村俊輔の4人が4-2-2-2のボックス型の中盤を形成。花形の中盤選手が勢揃いすると、舞台となった国立競技場はパッと華やいだムードに包まれた。
ファンは4人の中盤選手が華麗なパスサッカーを展開した1982年W杯のブラジル代表、フランス代表にイメージを重ね、ようやく日本のサッカー界にも春が到来したとばかり喜んだ。中田、小野、稲本、中村の4人に新しい時代の幕開けを感じたことは確かだった。
エルサルバドル戦に臨む11人を、視角鋭い豊田スタジアムのスタンドから俯瞰した瞬間、21年前の国立競技場がふと蘇ったわけである。ベンチに座る選手でもう1チーム作っても問題なし。大きな戦力ダウンにはならない。層が大幅に厚くなった。日本サッカーがまた一皮剥け、新しい時代に入ったことを実感することになった。
21年前の満足感が中盤に限られたのに対し、今回はセンターフォワードを除く中盤より上だ。エリアはサイドにまで広がった。ピッチ全域に広がるのはいつの日だろうかという問題はさておき、人材が豊富になり、華やいだムード漂うよい時代を迎えている現在の日本代表に、なにか別名を付けたくなる。
1990年代末から2000年代半ばにかけてのレアル・マドリードは「銀河系軍団」と呼ばれた。その10年前、ヨハン・クライフが監督を務めていた時代のバルセロナは「ドリームチーム」だった。1980年代のレアル・マドリードは「キンタ・デル・ブイトレ(ハゲワシの集団)」とも呼ばれている。ハゲワシの異名をとるCFエミリオ・ブトラゲーニョにちなんで付けられた名前だが、伝統のなさなのか、メディアに工夫がないのか、日本のサッカー界には命名する習慣はない。
日本代表では加茂ジャパン以降、ジャパンの前に監督名を入れることで差別化を図ってきた。だが現在のチームの主役は監督ではない。選手である。「森保ジャパン」は核心を突く集団名とは言い難い。なにか洒落た言い回しはないものだろうかと、つい浮ついた気持ちになる。
光るエリアが中盤に限られた、かつてからサイドにまで広がったと先述したが、ウイングに好素材がひしめく傾向を筆者は、かつての中盤天国になぞらえウイング天国到来と述べてきた。
だが、その代表格である三笘薫、久保建英にしても絶対的な選手ではない。粒ぞろいではあるが、大物選手がいないことも現在のチームの特徴だ。10段階で7を付けられる選手はいても8、9の選手はいない。つまり、チャンピオンズリーグで優勝が狙えそうなビッグクラブで、バリバリ活躍している選手はいない。悪く言えばどんぐりの背比べだ。2チーム分、作ることができそうに見える理由でもある。
10段階で7の選手をどう並べるか。森保監督にとっては腕の見せ所である。監督の力次第で成績は大きく変わる。
強化の方法も見直しを図りたくなる。層が厚くなったということは、若手を試しやすくなったことを意味する。たとえばそこに現状「6.5」の選手を混ぜ込んでも、大きな戦力ダウンにはならない。招集の際、アタッカーのスタメン候補を3人程度削る余裕は生まれてくる。2チーム分、作ることができる強みを最大限活かさない手はないのである。
だが2チーム分とは、あくまでも日本の過去と比較しての話だ。サッカーは足という身体に開発の余地が残されている部位を使う競技である。競技力は常に右肩上がりを示すという特徴がある。進歩するのは当たり前。問われているのはスピード感だ。他国に比べてどうなのか。サッカーは比較対象を外に求めることが宿命づけられている競技であることを忘れてはならない。
10段階で8以上の選手で2チーム分、作ることができれば、W杯優勝という夢は現実味を帯びる。それまで何年かかるだろうか。