見事としか言いようがない!戦場で大活躍した3人の女武将
昔と違って、今は女性が大活躍である。驚くような分野にも進出している。今回は、戦場で見事な大活躍をした、3人の女武将を紹介することにしよう。
1.巴御前
巴御前は、木曽義仲の愛妾だった。巴は義仲とともに戦場に出陣し、大いに活躍した。しかし、寿永3年(1184)1月20日、義仲は勢多、宇治川の戦いで、源義経、同範頼に敗れた。敗北後、義仲は巴らとともに北陸へ落ち延びようとしたが、それは極めて困難になった。
配下の今井兼平は義仲に粟津の松原で自害するよう勧めたが、馬が田のぬかるみで動けなくなり、義仲は敵に矢を射られて討ち死にした。巴御前は義仲から逃げるよう命じられたが、戦い続けた。そして、敵の恩田師重を討ち取ると、鎧と兜を脱ぎ捨て、東国へと落ち延びたと伝わっている。
2.鶴姫
大祝安用の娘・鶴姫は、兵書と兵術に優れていた。周防の大内氏が伊予に侵攻した際、鶴姫は兄の安房とともに出陣し、大内方の武将・小原隆言を討ち取った。鶴姫は16才の少女だったが、馬上で「我は三島明神の権化なり」と大音声をあげ、敵陣に攻め込んだという。
その2年後、再び大内氏が攻め込んできたので、鶴姫も以前に増して奮闘するが、恋人の三島陣代である越智安成が討ち死にするなどした。鶴姫は大内氏の撃退に成功したが、鶴姫は亡くなった兄や恋人を想い、入水自殺をした。勇ましさが強調されるが、本当は優しい女性だったのであろう。
3.富田信高の妻
慶長5年(1600)に関ヶ原合戦が勃発すると、伊勢の大名・富田信高はに東軍の徳川家康に味方した。西軍が安濃津城に攻め込むと、寡兵の富田勢は苦戦し、落城寸前となった。信高が死を覚悟した時、1人の若武者が姿をあらわし、片鎌の手槍であっという間に敵兵を切り伏せた。
信高が城内に引き返すと、その若武者がそっと近づいてきた。実は、この若武者は信高の妻であり、信高が戦場で討ち死にしたとの一報を聞き、同じ場所で死にたいと出陣していたのである。こうして妻は、信高の危機を救ったのであるが、その後の動静は不明である。