ドラマ「赤めだか」が評価されたのは!?
今年の「東京ドラマアウォード2016」単発ドラマ部門のグランプリ、「放送文化基金賞」ドラマ部門の最優秀賞などを受賞した、ドラマ「赤めだか」(TBS、2015年12月放送)。
原作は、立川談春さんが書いた自伝的エッセイです。ドラマでは、ある少年が談志師匠のもとに弟子入りし、落語家修業に励む日々が描かれていました。
先日、4日(日)放送予定の「TBSレビュー」の収録があり、ドラマ「赤めだか」について、以下のような話をしてきました。
●このドラマの何が評価されたのか
まず、実在の“天才落語家” 立川談志と、“人気落語家” 立川談春の2人の軌跡を、「物語」「ドラマ」というかたちで見せてくれたことです。
また、キャスティングの妙とも言うべき、ビートたけしさんと二宮和也さんが、それぞれ自分の個性を生かしながら、実在の人物を巧みに演じていて見応えがありました。
実在の人物をドラマで扱うのは、結構難しいのです。以前、プロデューサーとして、女優の夏目雅子さんを主人公にしたドラマ(「人間ドキュメント 夏目雅子物語」)を制作したことがあります。
主演は、オーディションで選んだ、当時まだ新人だった夏川結衣さんです。その時、夏川さんには、夏目雅子さんの映画やドラマを見ないようにしてもらいました。似せようとするのではなく、自分なりの雅子を演じて欲しかったのです。
ドラマが放送された直後、お元気だった雅子さんの母・小達スエさんが電話を下さって、「なぜ夏川さんは、うちの雅子の癖まで知ってるの?」と驚いていました。脚本をひたすら読み込んでいた夏川さんに、夏目雅子が降りてきたのかもしれません(笑)。
たけしさんの談志師匠も、二宮さんの談春さんも、それに近いことが起きていたのではないでしょうか。
●ドラマとしてどこが優れているのか
何より、間近で見た「立川談志」が描かれていることです。そして、ひとりの少年が落語家という特殊な職業人になっていく、その過程。
外からはうかがいしれない、落語界という、いわば<異界>の内側を垣間見ることができました。
特に、そこで展開される「人間模様」や、師匠である談志さんと、(原作者の)談春さんをはじめとする弟子たちとの「人間関係」がリアルに、そして生き生きと描かれています。
一般社会(家庭や会社)とは異なり、過剰なまでに濃密だったり、理不尽だったりする、「師匠と弟子=師弟」と呼ばれる関係が、とても興味深かったです。
中でも、香川照之さんが演じる志の輔さんが言った、「俺たちは談志を親に選んだ」という言葉が印象的です。師匠が弟子を決めるのではなく、弟子が勝手に弟子になる。この人が師匠だと決める。「ああ、そういうことか」と思いました。
同時に、「一生頭の上がらない存在を持っていることの幸せ」を、このドラマから感じました。
また、芸能評論家や放送局の人間など、原作にはなかった人物やエピソードの挿入によって、より奥行きのあるストーリーになっています。師弟物語、成長物語、教育物語、仕事物語、芸能物語など、いくつもの見方ができるドラマでした。
●演出として注目したこと
談志師匠という人物や、落語(落語界)というこのドラマの前提に関する配慮です。
立川談志を知っている人、ファン、知らない人、落語が好きな人、そうでもない人など、幅広い視聴者が、それぞれに楽しめるような工夫がしてありました。
その上で、談志師匠の人となりや、落語に対する思いなどが凝縮された、印象的な言葉やエピソードを各所に散りばめていました。
たとえば、「落語は人間の業(ごう)の肯定である」「俺は俺、弟子は弟子。それが立川流だ」といったセリフが、物語の中で納得できるものとして生きていました。
さらに、カーペンターズから忌野清志郎まで、音楽を有効に使って、常に80年代という時代の雰囲気を感じさせてくれたことも、よかったです。
●「赤めだか」は、いまのドラマになにを提起するのか
ドラマについて、以下のようなことを再認識させてくれました。
(1)「恋愛」や「事件」ばかりが、ドラマチックな物語ではないこと。
(2)描かれた人間、そして人間関係の中に、「ドラマ」があるかどうか。
(3)フィクションであっても、現実や実社会が、きちんと投影されていること。
(4)作り手の中に、登場人物たちへの“興味”、“共感”、“愛情”などがあること。
いまテレビドラマでは、複雑なもの、難解なものが敬遠される傾向があります。それは私たちの日常が、あまりに混沌と不条理の中にあるためかもしれません。
その意味で、不条理や、面倒臭さの価値を見直したくなるような物語が支持され、評価されたことは、ドラマの幅を広げることにつながると思います。