東京モーターショーに見た「踊り場」感
なにやら「もどかしい」。東京モーターショー(2017年10月27日〜11月5日、東京ビッグサイト)をざっと概観した感想である。
もちろん注目度は高い。驚いたのは、海外メディア、海外からの観覧者の多さだ。欧米メディアもけっこういたし、イスラム圏から取材ツアーを組んでやってきた集団もいれば、かなり目立つように中国メディアも自由に取材していた。
待たれるイノベーションとブレークスルー
だが、北京や上海、広州でモーターショーが開かれ、タイやインドネシア、インドなどのモーターショーも話題になった。世界5大モーターショーの一つである東京モーターショーの相対的な地位も低下しつつある。
自動車産業は、ここにきて大きな転換点を迎えている。自動運転とAI(人工知能)、脱レシプロとEV化(次世代駆動)が技術的な課題になるのだろう。会場でも各社、それぞれにコンセプトを打ち出し、一見すればシノギを削っているように見える。
だが、どちらも画期的なイノベーション、ブレークスルーがないまま、飽和状態を迎えているのも事実だ。シンギュラリティなどと言われていてもAIはまだ汎用性を持てず自動運転も限定的な技術だし、EVに至ってはバッテリーの技術的限界を超えられず、実用巡航距離はなかなか伸びない。
矢崎総業の「EEDDS」展示。電力や通信、ドライバーへの情報伝達のシステム(レクサス用)。アナログな技術だが、このコードを延ばすと総延長4km弱という。無線にできないのかと質問したところ、技術開発はすでに行っていて可能だが行政から許可が出ないらしい。
そうした技術的な踊り場で、今の自動車産業はもがいている。次のワンステップ上へ、という意味で今回の東京モーターショーは「BEYOND THE MOTOR」というテーマをつけたのだろう。それは何やら見果てぬ夢を追いかける願望のあらわれ、とも受け取れる。
例えば、トヨタは「Concept-愛i」と銘打ったラインナップを中心に展示していたが、「人に優しい」クルマとか「人を理解する」クルマとかいうイメージのようだ。米国カリフォルニアのサンフランシスコを例にとり、ドライブコース中の運転者の状態をモニターさせていた。運転者の「声・ボディランゲージ・表情」をクルマが感知し、眠そうだったら冷風を送ったりシートを締め付けたりする。
TOYOTA Concept-愛iシリーズのモニター画面。下の棒グラフが運転者の「ハッピー」な状況を表す。「人を理解する」AI技術と自動運転を統合し、運転者のサポートをするというコンセプト。車いす向け小型モビリティなど少子高齢化社会を見すえる。
また、驚いた地点を記録するなど、多くの運転者のデータを集約して危険地点の情報として提供することもするようだ。運転者の心情や感情、体調などを「理解」し、自動運転技術と組み合わせて運転者のサポートをする、というわけだが、日本での公道実証実験は2020年頃を目処と、もどかしい。
ホンダも今ひとつ懐古趣味から抜け出せない。EVや自動運転をスポーツタイプのクルマやバイクに、というコンセプトだが、展示はどこか60年代を彷彿とさせる懐かしさだ。これはスーパーカブやモンキーのせいばかりではない。
Honda Sports EV Concept。スポーツカーにEVとAIを搭載。人とクルマの一体感と「操る喜び」の実現を目指したコンセプトモデル。デザインはどこか懐かしい。
モラルハザードを乗り越えろ
さらに、日本の製造業全般に言えることだが、いわゆる「モラルハザード」の問題は根深い。自動車メーカーで言えば、三菱、日産、スバルと検査で不正が発覚し、エアバッグやシートベルトのタカタは民事再生法を申請した。
技術的な飽和点を迎える中、環境技術にせよ安全技術にせよ、社会から自動車産業へ求められる要請は強まるばかりだ。新興国での競合も激しさを増す中、技術開発になかなか経営資源を投入できないのだろう。
これは日本の自動車メーカーに限らず、フォルクスワーゲンなどにも共通するが、モラルハザードはこうした背景から生まれている。自動車産業は「もどかしさ」から脱出し、新たなステップへ「BEYOND」することができるのだろうか。