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【「鬼滅の刃」を読む】遊郭は戦国時代の終わり頃、都市政策の一環として整備された

渡邊大門株式会社歴史と文化の研究所代表取締役
戦国時代の終わり頃、遊郭(傾城屋)は管理の対象となった。(写真:GYRO_PHOTOGRAPHY/イメージマート)

 「鬼滅の刃」遊郭編は、子供だけでなく大人もたくさん見ているとのこと。

 今回は「遊郭編」の予備知識として、遊郭(傾城屋:けいせいや)が戦国時代の終わり頃、都市政策の一環として整備されたことを紹介しよう。

■遊郭(傾城屋)の整備

 戦国時代が終焉に近づくと、遊郭(傾城屋:以下、傾城屋で統一)は都市政策の一環として整備されていった。

 『多聞院日記』によると、天正16年(1588)には「天下の傾城、国家の費え也」と称されていたことがわかる。

 当時、豊臣秀吉は都市政策上、各地に傾城屋のあることが好ましくないと考えたのではないだろうか。そこには、治安の問題も大きく関わっていたに違いない。

 遊女をめぐってのさまざまなトラブルは、現代と同様に数多く発生したことだろう。

 また、豊臣政権が富を蓄積した傾城屋を把握しておくことは、公事銭の確保という財政的な側面からも重視されたと考えられる。

■傾城屋を1ヶ所に

 延宝6年(1678)に成立した俳人の藤本箕山(みざん)著『色道大鏡』(遊女評判記。性風俗の紹介をした書物)には、傾城屋の進展状況について詳しく書かれている。

 天正17年(1589)、京都の上・中・下三町からなる傾城屋が二条柳町(京都市下京区)に開かれ、洛中の傾城屋が1ヶ所に集められた。

 それは、わざわざ万里小路二条押小路南北三町(京都市中京区)付近に新たに作られたものだった。

 そのことを進言したのは、秀吉の配下にあった、原三郎左衛門である。

 原三郎左衛門は、島原上の町西南角の桔梗屋八衛門の祖であった。原氏はのちに、島原(京都市下京区)の傾城屋を取り仕切るようになる。

■遊女のランク

 文禄2年(1593)には、京都所司代の前田玄以によって、遊女の場代金(場所を使用する代金)が定められた。

 それは遊女のランクを上・中・下の3段階とし、上は30銭、中は20銭、下は10銭とするものだ。

 もしこれに背けば、町中から追われることになるので、道喜以下の傾城屋の22名はこれに同意した。

 この史料は、角屋中川家に伝わるもので、たしかな内容のものである。この背景には、場代金をめぐる問題の顕在化があると考えられる。

 この2年後、秀吉は京都の傾城(遊女)を召し、前田利家らに与えていたことが記録されている。

■発展する傾城屋

 傾城屋を1ヶ所に集めると、治安統制がやりやすいのは当然のことだった。

 そのことを念頭において、京都の都市政策は秀吉によって進められたのだ。以上の政策は、秀吉の死後も受け継がれていく。

 慶長7年(1602)、傾城町は六条室町西洞院(京都市下京区)に移され、二町四方の敷地に東西に上・中・下三町の三筋の道を通した。六条三筋町とも呼ばれている。

 元和3年(1617)11月には、六条柳町の遊郭の総代が、その地域以外での営業が不可であることを幕府から指摘されていた様子がうかがえる。

 つまり、傾城町と一般の人が住む区画は、完全に分離したのである。

■著名な遊女「吉野大夫」

 六条三筋町の遊女としては、「六条三筋町の七人衆」の1人の吉野大夫が著名である。彼女は和歌、連歌等の文芸に秀でていた。

 また、琴、琵琶などの演奏にも巧みで、書道をはじめとした諸芸能を極め、のちに能書家として知られる近衛信尋(のぶひろ)らと交わった。

 その優れた能力は、遠く中国の明にまで伝わったという。吉野大夫は26歳で豪商の佐野紹益(じょうえき)に身請けされ、その妻となった。

■まとめ

 秀吉の時代になって、傾城屋や遊女は管理の対象となった。その理由は、都市政策(一般人と傾城屋・遊女を混住させない)の一環でもあり、税の徴収を目的としたものだったのである。

【主要参考文献】

渡邊大門『性と愛の戦国史』光文社・知恵の森文庫(2018年)

株式会社歴史と文化の研究所代表取締役

1967年神奈川県生まれ。千葉県市川市在住。関西学院大学文学部史学科卒業。佛教大学大学院文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。現在、株式会社歴史と文化の研究所代表取締役。大河ドラマ評論家。日本中近世史の研究を行いながら、執筆や講演に従事する。主要著書に『播磨・但馬・丹波・摂津・淡路の戦国史』法律文化社、『戦国大名の家中抗争』星海社新書、『戦国大名は経歴詐称する』柏書房、『嘉吉の乱 室町幕府を変えた将軍暗殺』ちくま新書、『誤解だらけの徳川家康』幻冬舎新書、 『豊臣五奉行と家康 関ヶ原合戦をめぐる権力闘争』柏書房、『倭寇・人身売買・奴隷の戦国日本史』星海社新書など多数。

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