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どうにも止まらない「南北ビラ合戦」 常に強気な金与正副部長の談話から見て取れた北朝鮮の「弱気」

辺真一ジャーナリスト・コリア・レポート編集長
金与正党副部長(朝鮮中央テレビから)

 南北の間でビラ散布の応酬が続いている。どちらも相手の勧告、警告を無視し、一方が屈服し、止めるまで、ビラ撒きを続ける構えだ。韓国は脱北団体によるビラだけでなく、軍が拡声器まで持ち出し、北朝鮮への対抗心を露わにしている。

 「ビラ騒動」は韓国の脱北団体「自由北韓運動連合」が5月10日夜に京畿道・仁川市の江華島からビラ30万枚とK―POPやトロット(韓国の演歌)の動画を収めたUSBメモリ2000個を20個の大型風船にくくりつけて飛ばしたことに北朝鮮が約2週間後の5月25日になって唐突に金ガンイル国防次官が「韓国のビラとごみ散布行為に真っ向から対応する」との談話を発表したことから始まった。

 北朝鮮は国防次官の予告どおり、5月28日夜から対抗措置を取ったが、韓国に向けて飛ばした「風船」には紙切れなどのごみのほかに動物のフンなどが紛れ込んでいたことから韓国では「汚物風船」と称された。

 翌29日、金正恩(キム・ジョンウン)総書記の妹、金与正(キム・ヨジョン)党副部長が談話を発表し、「我々は今後韓国の連中が我々に散布するごみ量の数十倍に相当する対応をすることを明らかにする」と韓国に通告したが、金国防次官は6月2日の2度目の談話で28日の夜からゴミ約15トンを3000個の風船で飛ばしたことを明らかにした。おそらく、これだけの量のゴミと風船を集め、ガスで膨らませるにはそれなりの時間を要した筈だ。

 金次官は▲北朝鮮の行動が5月10日の韓国のビラ散布への対応措置であったこと▲韓国の脱北団体がビラ風船を飛ばさないことを条件に中断するとして矛を収める考えを明らかにしたが、同時に▲韓国がビラ散布を再開する場合「発見される量と件数によって百倍の紙くずとゴミを再び集中散布する」とも付け加えていた。

 金次官の条件付き中断宣言について脱北団体も翌日(6月3日)「金正恩が(汚物風船を飛ばしたことを)韓国5千万の国民に謝罪すれば、(我々も)暫定的に中断する」と反論したものの6月5日から6日にかけて宣伝ビラ20万枚と韓国のK-POP歌手らの歌が収録されたUSBメモリ5千個を大型風船10個で北朝鮮に散布し、さらに翌7日には他の脱北団体も続き、宣伝ビラと「愛の不時着」のUSBメモリ、それに1ドル札と1kgのコメの入ったペットボトル500個を江華島の海から流した。

 北朝鮮の8日から9日にかけての「汚物風船」散布はこれに対する対抗措置であったことは明らかだ。

 韓国軍当局は9日「北朝鮮が前日(8日)汚物風船を800個飛ばし、午前までの間に韓国側の地域に80個落下した」として、9日夜に2時間に亘って固定拡声器による放送を始めたが、放送時間は午後5時から僅か2時間に過ぎなかった。北朝鮮に最もダメージを与えられる効果的な夜の放送は控えた。

 ボクシングに例えれば、ジャブを1発放ったに過ぎなかった。今後、追加で放送するかどうかは北朝鮮の出方にかかっていると、北朝鮮に下駄を預けたが、これに反発した北朝鮮は韓国の警告を無視し、2時間後の夜9時頃から再度、汚物風船散布を再開させた。

 金与正副部長が昨晩(9日)国営通信「朝鮮中央通信」を通じて発表した談話では北朝鮮は8日と9日に1400余りの気球で7.5トンの紙くずを韓国国境越しに散布したようだ。ゴミの量も風船の数も「百倍にする」と公言していたが、実際には百倍どころか、前回よりも半減していた。韓国が本気で拡声器放送を再開するとは思っていなかったので準備できなかったのであろう。

 金与正副部長の談話の要点は以下4点に集約される。

 ▲韓国政府は我々の度重なる警告にもかかわらず政治扇動のゴミを送り込む(脱北団体の)挑発行為を黙認し、状況を悪化させた。

 ▲我々が散布したのは韓国の政治宣伝ビラとは異なり単なる白紙のくずで、我々の対応は極めて低い段階の反射的な反応にすぎない。

 ▲我々の対応行動は9日中に終了する計画だったが、韓国が拡声器放送を開始したことで状況が変わった。これは、極めて危険な状況の前奏曲である。

 ▲韓国がビラ散布と拡声器放送を並行するならば疑う余地もなく新たな我々の対応を目撃することになる。休むいとまもなく紙くずを拾い集めなければならない困惑は大韓民国の日常になるであろう。

 金副部長は最後に韓国当局に対して「私はソウルがこれ以上の対決危機を招く危険な行為を直ちに中止して、自粛するよう」求めているが、韓国軍は北朝鮮が警告を無視し、さらに汚物風船を飛ばしてきたため今夜未明にも拡声器放送の再開を決定している。北朝鮮がギブアップするまで「チキンレース」を続ける方針だ。

 脱北団体のビラ風船は直近の2年間(2022年~23年)だけで延べ8回を数えるが、北朝鮮は一度たりとも北朝鮮のどこに落下したのかについて言及したことがなかった。しかし、金副部長は今回の談話で「去る6日から8日までの間に黄海北道の新渓郡、兎山郡と開城市の長豊郡、板門区域、江原道の高山郡、平康郡、鉄原郡をはじめとする国境付近の我が地域で汚らわしい政治扇動のごみが発見された」と述べ、脱北団体が飛ばしたビラが広範囲にわたって影響を及ぼしていたことを暗に認めていた。このことからして韓国のビラ散布を何が何でも止めたいとする北朝鮮なりの焦りが感じられる。「ビラ応酬」ではどうにも勝ち目がないのを自覚しているようでもある。

 金副部長は拡声器放送が再開されたことで「新たな我々の対応」を取ると警告したものの続いて「休むいとまもなく紙くずを拾い集めなければならない困惑は大韓民国の日常になる」と言っているところをみると、「新たな対応」とは「汚物風船」を飛ばし続けることのようだ。即ち、かつてのように拡声器に向けて発砲するなど現状では軍事的手段は検討していないようだ。

 これまでならば、北朝鮮には南北連絡通信網の遮断や南北連絡事務所の爆破など韓国にダメージを与えられるカードがあったが、韓国との関係を断ち切った今、そうしたカードも見当たらず、腐心していることが「金与正談話」からも窺い知ることができる。

 常に強気で勝気で、好戦的な金副部長の談話がこれほど弱弱しいのは極めて珍しい。

ジャーナリスト・コリア・レポート編集長

東京生まれ。明治学院大学英文科卒、新聞記者を経て1982年朝鮮問題専門誌「コリア・レポート」創刊。86年 評論家活動。98年ラジオ「アジアニュース」キャスター。03年 沖縄大学客員教授、海上保安庁政策アドバイザー(~15年3月)を歴任。外国人特派員協会、日本ペンクラブ会員。「もしも南北統一したら」(最新著)をはじめ「表裏の朝鮮半島」「韓国人と上手につきあう法」「韓国経済ハンドブック」「北朝鮮100の新常識」「金正恩の北朝鮮と日本」「世界が一目置く日本人」「大統領を殺す国 韓国」「在日の涙」「北朝鮮と日本人」(アントニオ猪木との共著)「真赤な韓国」(武藤正敏元駐韓日本大使との共著)など著書25冊

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