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世にも珍しい「男女別葬」を、北の大地に見た

鵜飼秀徳ジャーナリスト、正覚寺住職、(一社)良いお寺研究会代表理事
アイヌの人々と住居 。撮影日は不明だが、100年以上前(提供:MeijiShowa/アフロ)

 アイヌ文化の復興と発信の拠点になっている「民族共生象徴空間(ウポポイ)」が、この夏で3周年を迎えた。その間、コロナ禍が直撃する憂き目にあったが、いよいよ、北海道の新たな観光名所として注目を浴びそうだ。本稿では「男女別葬」という、知られざるアイヌ独特の葬送文化を学ぶ。アイヌの精神世界を覗いてみよう。本稿は「絶滅する墓 日本の知られざる弔い」(NHK出版新書)より、再編集した。

絶滅するアイヌと、アイヌの墓

 北海道の先住民族アイヌ。大自然に寄り添い、ありとあらゆるものに魂の存在を認めながら文化的生活を営んできた。明治以降の北海道開拓における同化政策は、アイヌの生存権を奪うことになり、全道におけるアイヌの割合は0.3%にまで減少している。アイヌは男女別葬の形態をとる特殊な葬送文化であったが、墓は人類学の研究のために暴かれ、日本人並みの墓石へと立て替わり、その姿を消しつつある。

 アイヌは部族の長老(エカシ=祭司)を中心にして、カムイ(神々)を祀る様々な儀式を伝承してきた。アイヌの人々が考える聖俗の世界は3つの種類がある。カムイモシリ(神々が住む世界)、アイヌモシリ(アイヌの人々が住む世界=現世)、ポクナシリ(死後世界)である。

 アイヌにおける他界観では、あの世ではこの世の暮らしの続きを送るとされている。現世と来世は地続きなのだ。しかし、来世においては天地や季節などがこの世のものとは真逆であるとしている。また、来世では食料の生産ができない。そのため、子孫が先祖供養を行うことにより、その供物に頼って暮らしを営んでいると考える。そして死者は再び、現世に戻り、生まれ変わるとされている。

 つまり、この世の生活が終わって、あの世に行けば、またそこから新しい生活が始まるという考え方だ。日本仏教では生者が死者に対して時間をかけて供養を重ね、最終的に極楽に往くことを目的にする。そして極楽は苦のない世界であると説く。日本の仏教とアイヌの他界観は大きく異なる。

 アイヌはこの世とあの世とが、密接に影響し合う。したがって、先祖供養はアイヌの人々にとって最重要儀式となる。先祖供養のことをアイヌは、「シンヌラッパ」「イアレ」などと呼んでいる。供物は豪華で、トノト(酒)のほか団子、汁物、山菜などの煮付け、刻みタバコ、果物、飲み物など故人の好みのものを、たくさん用意する。シンヌラッパは、囲炉裏(炉)を囲んで行われる。

 ちなみに、伝統仏教で見られる仏壇や墓に対する先祖供養の形態は、アイヌにはない。しかしながら、明治以降の同化政策によって、伝統的なアイヌ固有の祭祀儀礼は廃れ、本土からやってきた仏教による先祖供養に置き換わっていった。

アイヌの墓「クワ」(旭川)。矢尻型のものは男性の墓だ
アイヌの墓「クワ」(旭川)。矢尻型のものは男性の墓だ

 道内に残るアイヌ人墓地に行けば、今でもわずかに残る伝統的なアイヌの墓標を目にすることができる。現在、アイヌの多くは本土並みに竿石型の墓石を立てることが多いが、アイヌ人墓地を訪れれば墓の片隅に、アイヌの伝統的な墓標が立っているのを見ることができる。

 一見すれば、丸木の杭を打ち込んだだけのような簡素なものだ。このアイヌの墓を「クワ=杖」という。つまり、死者があの世へ向かうときの杖代わり、というわけだ。クワは、ライラックの一種ハシドイの木でつくられ、意匠は男女別になっている。

 男性のクワの先端は矢じりを模した尖った形状をしており、女性のクワは針の頭部を模して丸く穴が空き、そこに黒い布が通されている。クワは死者が使う杖であるともされる。クワには死者の名前や没年などの文字は一切、書かれていない。

 墓には、男性なら刀など、女性なら針と糸などが副葬品として納められる。墓標は朽ちても立て替えられることもない。

 この墓標はムラ人手製のもので、意匠が少しずつ異なっている。死者が出るとハシドイの木を切り、墓標の形に整えていく。そして、先端に黒い布が結びつけられ、遺体が安置されている家の中へと運び込まれる。

 遺体はアイヌの上布で丁寧に巻かれ、内地のように木棺には納められない。遺体の搬出は、玄関は使わず、北西の壁を破って外に出す。そして、遺体はムラの共同墓地へと運ばれていくが、葬列がみえなくなったら壁の穴が塞がれる。死霊が家の中に戻ってこないようにするためである。

夫婦の墓。針の穴を模した女性の墓は右
夫婦の墓。針の穴を模した女性の墓は右

 墓穴はムラの男たちによって掘られるが、その際、女たちは近くで火を焚く。アイヌにとって、火は神であり、死者と寄り添ってくれると信じているからである。遺体は東を頭にして埋葬され、頭上のあたりに墓標がつき立てられる。

 そして、アイヌでは埋葬後は、墓参りはしないのが決まりだ。ある、アイヌの血を引く長老は、

 「向こうの世界の神になるのだから、この世に戻ってきてはいけない。だから、生者が死者を振り返らせるようなことをしてはいけないという考えがあります。なので、墓は次第に森に飲まれ、自然と同化していくのです」

 と話した。

 肉体は自然に還し、墓も残さない。そのため、アイヌの先祖供養は、炉前での儀式シンヌラッパのみにあると言える。本土のように「墓(骨)」に対しては、供養をしない。骨が埋まった墓に霊魂が宿るという考えはアイヌの場合はなく、あくまでも神霊としての「見えざる存在」に対してのみ、供養を行うのである。

 死後の霊魂に対する考え方については、文化人類学者の山田孝子が『アイヌの他界観』の中でこう紹介している。

 「あの世を反転した世界とみなすことや、ヨモツヘグイ(あの世の食べ物を食べると、再びこの世に戻ることができないこと)の考え方などアイヌの他界観の中には各地の民族で認められる要素がいくつかあるが、なかにはアイヌに特徴的な考えかたを認めることができる。たとえば、幽霊は異なる世界を訪れたときの仮の姿であり、異なる世界からの訪問者は目には見えないということである。つまり、死者が生者に対して幽霊と映るのと同様に生者は死者に対し幽霊と映るのである。幽霊はあの世で神となった死者の仮の姿にすぎず、恐ろしい超自然的存在ではないのである」

民族共生象徴空間「ウポポイ」(白老町)
民族共生象徴空間「ウポポイ」(白老町)

 アイヌの死後祭祀を蹂躙してきたのが、明治維新以降の日本人であった。日本人の起源を探るための、文化人類学的・医学的研究のため、アイヌの墓を発掘。遺骨を大学の研究施設などで保管してきた。発掘は、1970年代まで続いた。保管に関しても、骨ごとに分離して保存することもあり人道上、配慮に欠けたものであった。

 アイヌで発掘され大学(北海道大学、東京大学、札幌医科大学など12大学)で保管されている遺骨は、文部科学省が2019(平成31)年に行なった調査では2000体近くに及ぶ。身元が判明しているのはごく一部だ。近年は、アイヌの団体による遺骨返還訴訟が続いている。

 アイヌの遺骨や副葬品のうち、ただちに遺族に返還できないものについては2020(令和2)年に完成した、民族共生象徴空間ウポポイの墓所に集約され、祀られることになった。

 本稿は「絶滅する墓 日本の知られざる弔い」(NHK出版新書)より、再編集した。

ジャーナリスト、正覚寺住職、(一社)良いお寺研究会代表理事

1974年、京都市生まれ。成城大学卒業。報知新聞、日経BPを経て、2018年に独立。正覚寺(京都市)第33世住職。ジャーナリスト兼僧侶の立場で「宗教と社会」をテーマに取材、執筆、講演などを続ける。近年は企業と協働し「寺院再生を通じた地方創生」にも携わっている。著書に『寺院消滅』(日経BP)、『仏教抹殺』『仏教の大東亜戦争』(いずれも文春新書)、『ビジネスに活かす教養としての仏教』(PHP研究所)、『絶滅する「墓」』(NHK出版新書)など多数。最新刊に『仏教の未来年表』(PHP新書)。一般社団法人「良いお寺研究会」代表理事、大正大学招聘教授、東京農業大学・佛教大学非常勤講師など。

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