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「寺院消滅」を防ぐ「滋賀モデル」

鵜飼秀徳ジャーナリスト、正覚寺住職、(一社)良いお寺研究会代表理事
過疎地の寺院では無住化が進む。写真はイメージです。(写真:イメージマート)

学校やコンビニより多い寺院数


「寺院消滅」が止まらない。悉しつ皆かいデータは存在しないが、現在、全国に約7万7000ある寺院のうち、住職のいない無住寺院(空き寺、兼務寺院)は約1万7000か寺に上ると推定できる。まずは、「寺院消滅」の現実から論じていく。
コンビニ、郵便局、学校(小中高校の合計)、歯科医院、寺院、神社。
これらは全国津々浦々、ほぼ、どの地域でも見つけることができる施設だ。では、それぞれ、どれほどの数があるのか。都会人なら「コンビニか歯科医院が多い」との印象を持つかもしれないし、村落に居住の人ならば「コンビニはないけれど寺院や神社ならある」と言うかもしれない。

少ない順に並べてみよう。最少は郵便局で約2万4000局。次いで学校は約3万5000校。コンビニは約5万7000店だ。歯科医院は約6万9000院である。意外かもしれないが、寺院は約7万7000か寺で神社は約8万1000社もある。16万近い伝統的宗教施設が日本のあちこちに点在しているのである。

ちなみに全国の市町村で寺がないのは、岐阜県東白川村だけ。理由は明治維新時の廃仏毀釈で寺がすべて壊され、再興していないためである。

どこにでも存在する寺院や神社は、学校や郵便局、病院などと並ぶ「社会インフラ」あるいは「ソーシャルキャピタル(社会関係資本)」と位置付けることができる。寺を「死に関するケア空間」ととらえれば、電気やガス、福祉、介護などの「ユニバーサルサービス」の概念にも近い。

全体の2割が空き寺、正住寺院の3割が「空き寺予備軍」

しかし、少子高齢化に加えて、地方から都市への人口の流出が進むと、寺院を取り巻く環境が厳しくなってきた。地域から人がいなくなれば、檀家で支えられている寺院は経営破綻する。いや、地域が完全消滅するよりもっと先に、寺院は消えてなくなる運命なのだ。

たとえば日本最大の宗派、曹洞宗は約1万4600か寺を抱える大教団だ。だが、既に全体の約25%にあたる約3600か寺が空き寺になっていると推測される。

私の所属宗派である浄土宗は全国に約7000か寺を抱えるが、全体の21%程

度(約1470か寺)が空き寺である。

空き寺の数は今後、うなぎ上りに増えていくであろう。なぜなら、寺院の後継者不足が深刻だからだ。曹洞宗に続いて国内で2番目の規模、約1万200か寺を擁する浄土真宗本願寺派は2021(令和3)年の宗勢調査で、「後継者が決まっている」と回答した割合が44%にとどまっている。浄土宗で後継者がいる割合は52%、日蓮宗では55%である。そのほかの宗派も同水準であると考えてよいだろう。

つまり、このまま後継者が見つからなければ、その寺は無住になることを意味する。仮に現在、正住寺院(住職がいる寺院、推定約6万か寺)の3割が「空き寺予備軍」とするならば、現在の住職の代替わりが完了する2060(令和42)年ごろには、住職のいる寺院は約4万2000か寺ほどに激減してしまうことになる。

わが国の人口動態と寺院密度を対比させることによっても、この数字はかなり現実的なものとしてみえてくる。「人口10万人あたりの寺院密度」を計算してみた。

2060年には、日本の人口は8600万人ほどにまで減少するとの推計がある。現在の人口10万人(総人口約1億2400万人)に対する正住寺院数(約6万か寺)は、48か寺である。この割合を、現在のわが国における寺院の「適正数」としてみる。

その上で、先述のように「2060年に4万2000か寺」と設定した場合、人口10万人あたりの寺院数は49か寺となる。現在と36年後とを比べてみても、社会の大変革が起きない限り、寺院密度は同水準で推移すると考えるのが自然だ。つまり、「2060(令和42)年に4万2000か寺」は現実的な数字としてみえてくる。

地方の寺院から離檀させない仕組みづくり

こうした厳しい現実に、仏教界は対処できずにいる。

寺院消滅の流れに抗うことは難しい。だが、一いち縷るの望みを託すならば、寺院同士が提携し、寺院の富を再配分することで助けられる地方寺院があるかもしれない。たとえば、都市型の裕福な寺院が、地方の寺院と提携することである。都会と地方の寺のメリットとデメリットをそれぞれ補完し合う仕組みづくりを急ぐべきだ。

たとえば、青森から東京へと移り住んだ檀家の場合。青森の菩提寺に墓を残しながら、東京の提携寺院に分骨する(その逆もあり)のだ。つまり、故郷の寺に先祖の遺骨を残したままにして、故郷と縁を切らない仕組みをつくるのである。

そのことで、墓じまいのコストを抑えることができ、また、自分たちの暮らす東京で法事を営むことができる。そのうえで提携寺院に入る葬儀や法事の布施の一定額を、青森の菩提寺に配分する。菩提寺、提携寺院、檀家の三方にとってメリットがある。大事なのは、地方の寺院から離檀させない仕組みをつくることだ。

この仕組みは、既に実証済みだ。東京都四谷にある曹洞宗の東とう長ちよう寺じが宮城や佐賀などの寺との「共同信徒」という形で取り入れて、効果をあげている。

住職は副業しないと食べていけない

将来的には「兼業住職」の割合が増えていくだろう。

檀家数の減少に比例して、寺院収入は減少する。布施の金額は地域の相場感によって違いがあるが、寺が専業で食べていける檀家数は少なくとも200軒以上である。それ以下は住職が副業を持たないと、生活や後継者選びが厳しくなる。

足りなくなった寺院収入を補うためには、住職が兼業を余儀なくされる。つまり、平日は企業などで働き、休日は自坊で法務を行う「二刀流」だ。

現状はどうか。浄土宗(2017年調査)では全体の57%が「専業住職」だ。「以前に兼業していた」は22%、「現在も兼業している」は20%となっている。専業率が低い(兼業率が高い)教区では、出雲が33%、滋賀が35%、伊賀が35%、尾張が40%などとなっている。

この中で滋賀県は人口10万人あたりの寺院密度が、日本一の寺院過密地域として知られる。滋賀県内の寺では檀家数が20軒や30軒といった零細寺院が少なくない。それだけを見れば「食べていけない」寺院が多いように思えるが、必ずしもそうではない。データが示すように多くの住職が「兼業」しているため、主たる収入がサラリーマン給与だからだ。

滋賀県は、京都や大阪といった大都市が通勤圏内である。寺に住みながら、正社員として働きに出ることが可能である。滋賀県の寺院立地は、むしろ恵まれているといえる。

人手不足の時代にあって、地方都市でも住職をしながら、リモートなどを活用した仕事に就くことで、寺院を維持していくことが可能になる。兼業で寺院を護持していける「滋賀モデル」のような寺が、今後はますます増えていくことだろう。

なかには「僧侶の兼業など、とんでもない」と、僧侶の世俗化を批判する人もいるかもしれない。だが、私はむしろ、現代の僧侶は就職すべきだと考えている。僧侶の中には、庶民感覚に乏しい者も多い。特に若い僧侶にはどんどん社会に出て、最低限のマナーやスキルを身につけてほしい。それが結果的には、寺を活性化するアイデアを生むことにつながるのだから。

ジャーナリスト、正覚寺住職、(一社)良いお寺研究会代表理事

1974年、京都市生まれ。成城大学卒業。報知新聞、日経BPを経て、2018年に独立。正覚寺(京都市)第33世住職。ジャーナリスト兼僧侶の立場で「宗教と社会」をテーマに取材、執筆、講演などを続ける。近年は企業と協働し「寺院再生を通じた地方創生」にも携わっている。著書に『寺院消滅』(日経BP)、『仏教抹殺』『仏教の大東亜戦争』(いずれも文春新書)、『ビジネスに活かす教養としての仏教』(PHP研究所)、『絶滅する「墓」』(NHK出版新書)など多数。最新刊に『仏教の未来年表』(PHP新書)。一般社団法人「良いお寺研究会」代表理事、大正大学招聘教授、東京農業大学・佛教大学非常勤講師など。

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