組織委元理事の汚職事件で、東京五輪・パラリンピックのレガシーを考える
いったい、将来、東京五輪・パラリンピックのレガシーとはどう記憶されることになるのだろう。正のレガシーとしては、新型コロナウイルスのパンデミック(世界的な大流行)の中でも開催したという日本の運営力、選手の奮闘か。それとも、負のレガシーとして、オリンピックビジネスのゆがんだ構図、スポーツ界の癒着構造が明らかになったことか。
東京五輪・パラリンピック組織委員会元理事の高橋治之容疑者が、東京五輪をめぐる汚職事件で逮捕された。日本のスポーツビジネス界を牛耳る大手広告代理店、電通の元専務の78歳。日本オリンピック委員会(JOC)などのスポーツ関係者は「事実としたら残念」といったコメントを口にしているが、その危ない手法は薄々承知していたことだろう。
マスコミも、いつものごとく、どこかが報道すれば、手の平返しで、高橋氏をこれでもかとたたき始めた。新たな情報が連日、明らかになる。ただ悪事が明らかになってからではなく、その前に五輪マネーの闇に光を当てるのがジャーナリズムの使命である。でも、それはなかなかできなかった。
そういえば、朝日新聞社にしろ、読売新聞社、毎日新聞社、日本経済新聞社にしろ、東京五輪パラ組織委員会のスポンサーのひとつ、「オフィシャルパートナー」だった。オリンピック史において、取材対象との利害関係を極力避ける新聞社がそろって大会スポンサーになったのは異例のことだった。
また日本のスポーツビジネスはもはや、電通抜きでは語れない。イベントのライセンス許諾の権限を持つ人の周りには政治、企業関係者が群がる。今回の紳士服大手AOKIホールディングスもそのひとつだった。
電通が国内のスポーツビジネス界を抑えたのは、「商業五輪」と形容される1984年ロサンゼルス五輪の前から、企業努力を続けてきたからだろう。是非はともかく、JOCや競技団体も電通のマンパワーと人脈、ノウハウを頼りにしてきた。もっとも、今回の事件で、電通社内のスポーツビジネス部門には逆風が吹くことになるだろうが。
かつて電通パワーを垣間見た記憶がある。東京オリパラ開催が決定した直後の2013年11月のことである。国際オリンピック委員会(IOC)の新会長になったトーマス・バッハ会長が来日した際、東京・汐留の電通ホールで大レセプションパーティーが開かれた。
会場には、国内のトップ企業の社長が勢ぞろいしていた。バッハ会長との名刺交換が延々つづく。そばには決まって、企業の電通担当者がぴたりと付いていた。電通報(電子版)によると、「レセプションには約240人の関係者が参集」と記されている。
五輪を取り巻く巨大マネーの中心は、スポンサーマネー、および放送権料である。ともに、仲介をする広告代理店が力を持たないわけがない。国際スポーツビジネス界において、「人脈」は不可欠と言っていい。無論、人脈自体は悪くはない。互いの長期にわたる信頼関係に基づいていれば。でも、時々、賄賂で人脈をつくろうとする輩がいる。
そこには、スポーツが尊ぶインテグリティ、コンプライアンスは見えない。スポーツでいえば、反則なのだ。でも、「赤信号、みんなで渡れば怖くない」といった状況になってはいまいか。
東京五輪パラの招致段階から、汚職に関わる話は出ていた。裏で巨額のカネが動いていた、と。ずっと東京オリパラを取材してきて思うのは、相対的なJOCの非力さである。JOCに国際人脈を持つ人が少ないから、結果的に高橋容疑者といった人物に頼らざるをえなくなったのではないか。
話をレガシーに戻せば、東京五輪パラ組織委員会は2016年、立派な「レガシープラン」をつくり、発表した。5つの柱として、「経済・テクノロジー」「スポーツ・健康」「街づくり・持続可能性」「文化・教育」「復興・オールジャパン・世界への発信」が挙げられている。
どれも、未達成に終わった。組織委は新型コロナ禍、無観客を言い訳にするかもしれない。だが、そもそも、レガシープランにおける「正のレガシー」を創り上げるつもりはあったのか。東京都庁に「東京五輪パラ・レガシー担当」でも設けて、5年後、10年後、もう一度、検証してみてはどうだ。
願わくは、このいびつなオリンピックビジネスの実態を知り、怒り、健全なスポーツビジネスを志す若者が出てはこないだろうか。そうなれば、「人」が東京五輪パラのポジティブなレガシーのひとつとなる。