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樋口尚文の千夜千本 第77夜「永い言い訳」(西川美和監督)

樋口尚文映画評論家、映画監督。
(写真:Rodrigo Reyes Marin/アフロ)

肥大しきった自我の育児観察日記

よく男性はいくつになっても妄想癖からぬけられずヤワであるが、その点、女性は物心ついた時からとにかくリアリストで視線がエグいので逞しいという俗説がある。西川美和監督の新作『永い言い訳』を観て、やはりその説は当たっているかもしれないと思った。とにかくこの主人公の作家の心根のダメさといったらない。これが男性の監督だったら、さすがにもう少し主人公を甘やかすかもしれないが、西川監督の追い込み方は容赦がない。といっても、主人公を非難したり予めの憶測で判断したりというわけではなく、ただ澄んだ目であるがままに凝視している感じなのである。

その天下一のダメさを問われる作家役の本木雅弘がひじょうに凝って演じていて特筆ものである。本木といえば直近では映画『日本のいちばん長い日』での昭和天皇という大役を熱演していて、そのイノセントな雰囲気の出し方に驚かされたが、今回は真逆の「利己的で最低で度量の小さな奴」の役である。何がそんなにひどいかというと、導入部のひとつの出来事で全てが語られる。しっかりした妻(深津絵里)が親友とともにバスで旅行に出ている間、作家は編集者(黒木華)と浮気している。のみならず、作家は葬儀にのぞんでも妻の死を悲しみ悼む気持ちがさっぱり起こらない。ダメというか、まあサイテーな人物であって、はたしてこんな人物を描くことで映画が面白くなるのやらという興味は逆に湧いてくる。

『ゆれる』『ディア・ドクター』『夢売るふたり』と、日常の一線を越えてクライムの彼岸に跳ぶ人物を描いてきた西川美和だが、思えばこんなサイテーの人物ながらあくまで此岸にしがみついている小さなサイズの人間を素材にしたことは初めてかもしれない。大島渚、今村昌平から園子温、白石和彌、赤堀雅秋に至るまで、向こう側に堕ちた犯罪者の映画は、放っておいても面白くなってゆく芽がある。だが、ある意味犯罪者以上に潔くない、ぐずぐずした人格であるこの作家は、なんとなく映画をそんなに弾けさせてくれそうな予感がしない。たとえば最近SNS時代の自分の表裏のギャップにつぶれそうになっている学生を描く欝々とした映画や最底辺で周囲の悪意や偏見に峻烈な怒りに突き動かされる人々を描いた暗澹たる映画を観たが、それらはあたかも描かれる人物とシンクロするように映画自体が欝々と、または暗澹たるものになっていて、何か表現が(ひじょうに旗幟鮮明でわかりやすいのだが)窮屈な隘路に迷い込んでいる気がした。

しかし、映画とは決して描かれる人物が欝々とした、または暗澹たる個性であれば、即映画自体もそういう印象になる訳ではない。その人物へのまなざしが(仮に明快で勢いがあっても)単線的、一面的である時に、ひじょうに観ていて疲れるものになってしまうのだ。たとえば犯罪映画の至宝ともいうべき『復讐するは我にあり』などを観ても、あんなに陰惨な犯罪者を追いかけながら、表現はひじょうに豊かに自在に脈打っていて、観る者を疲れさせるどころか最後まで活気づけてくれることだろう。そして、『永い言い訳』で西川美和が主人公に選んだのは(欝々どころか、もっとさまにならない)ダルでみっともない作家であるわけで、下手するとぱっとしない映画になりそうなところである。

ところが、意外やこの犯罪者よりもパッとしない主人公の、その後の漂泊が妙に面白い。理由は明白で、西川美和はまるでこの主人公にシンクロすることを拒み、かつ冷淡に突き放すのでもなく、いったいこのダメ男が何をしでかすのかを一種の愛着とともに眺めているのである。それは映画のおさまり具合をあらかじめ措定するのではなく、この人物の行状に合わせて紡いで行こうという表現への姿勢にもリンクするものだ。もちろんこの映画には西川自身による緻密な原作が存在するわけだが、映画化にあたっては生身の本木雅弘という存在に託すところも含めて、ずいぶん隠しマチがあるように感じた。

作家は事故で妻と共に亡くなった親友(堀内敬子)の夫(竹原ピストル)と出会い、同じ境遇であることをきっかけに、遺された彼と子どもたちに接してゆく。クールに感情を抑えた気どった顔で売っている作家は、この通常なら出会う由もないトラック運転手の夫が、自分とはまるで対照的に逝ける妻への思慕と悲嘆をむき出しに表現するさまに驚く。そして、そんな泥臭い感情の吐露を求めてくる夫に時としていらだちながらも、じわじわと他者を思うことに目覚めてゆく。その今さらも今さらな、いい歳した作家の自分探しの日々を、本作はほんのりとした諧謔とともに見つめる。

この他者との交歓を経て、本木は自分がたどり着いた境地について書きつけるのだが、それは思春期を通過した青年ならともかく大のオトナがおごそかに書くほどのことでもなかろうに、というひとことである。だから私はちょっとクスッと笑ってしまったが、西川美和はこの自意識だけを肥大させて育った大きな赤ん坊のようなオトナを、育児観察日記でもつけるように見放さず、甘やかさず、見守り続ける。

そのまなざしの、据わったオカンのようにせっぱつまらないところが、この作品の勝因である。もし監督が人物と一緒に哭いたり吼えたりしていたら、作品は収縮して稚なく含みのないものになってしまう。しかし、思わず笑ってしまったとはいえ、世の中のオトナのふりをしたオトナたちは案外みんなこんな子どもじみた自分を持て余してチマチマと煩悶しているかもしれないので、これは思いのほか今どきの大きな世界を映した映画なのかもしれない。

映画評論家、映画監督。

1962年生まれ。早大政経学部卒業。映画評論家、映画監督。著作に「大島渚全映画秘蔵資料集成」(キネマ旬報映画本大賞2021第一位)「秋吉久美子 調書」「実相寺昭雄 才気の伽藍」「ロマンポルノと実録やくざ映画」「『砂の器』と『日本沈没』70年代日本の超大作映画」「黒澤明の映画術」「グッドモーニング、ゴジラ」「有馬稲子 わが愛と残酷の映画史」「女優 水野久美」「昭和の子役」ほか多数。文化庁芸術祭、芸術選奨、キネマ旬報ベスト・テン、毎日映画コンクール、日本民間放送連盟賞、藤本賞などの審査委員をつとめる。監督作品に「インターミッション」(主演:秋吉久美子)、「葬式の名人」(主演:前田敦子)。

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