兵庫県知事選挙をめぐる公選法違反問題を、「法律の基本」から考える(1)~虚偽事項公表罪の成立範囲
11月17日投開票の兵庫県知事選挙は、選挙前の予想を覆し、不信任決議案の可決で失職した前知事の斎藤元彦氏が当選したが、その選挙をめぐって、公職選挙法違反等の問題が表面化し、捜査機関の動きも本格化しつつある。
今年12月2日に、弁護士の私と神戸学院大学教授の上脇博之とで提出した、斎藤知事らを被告発人とする公選法違反の告発状は、同月16日、神戸地方検察庁と兵庫県警察本部に受理された。
20日には、同選挙で落選した稲村和美氏の後援会が提出した、選挙期間中に稲村陣営のX(旧ツイッター)の公式アカウントが2回凍結された問題で「虚偽の風説を流布して業務を妨害された」とする偽計業務妨害の疑いと稲村候補に関して大量のデマ投稿が行われたことについての公職選挙法違反の虚偽事項公表罪の疑いについての告発状が兵庫県警に受理された。
告発事実が特定され、犯罪の嫌疑について相応の根拠が示されている以上、告発受理は当然であり、本来、それ自体に格別の意味があるわけではないが、最近、とりわけ政治家を被告発人とする告発については、捜査当局が慎重な姿勢であり、東京地検特捜部等では、刑事処分の直前に受理するのが通例になっており、また、警察は、告発の受理に難色を示し、説得して引き取らせようとする事例が多い。そのような実務の一般的傾向からすれば、今回、斎藤知事らの告発状の到達から2週間で告発受理に至ったのは異例の取扱いであり、しかも、我々の告発が検察、警察双方でほぼ同時に受理されたこと、稲村氏の後援会の告訴・告発も県警が早期受理したことをも併せて考えると、兵庫知事選挙をめぐる一連の問題について検察・警察の捜査への積極姿勢が表れていると思われる。
今回の兵庫県知事選挙をめぐっては、斎藤氏のパワハラや公益通報者保護法への対応に関連して100条委員会が設置され、その後、県議会が不信任決議案を全員一致で可決し、それを受け斎藤氏が失職した後の選挙だったこともあり、選挙後も、斎藤知事派と反知事派との対立状況が続いており、公選法違反の成否についても意見が対立している。
公職選挙法の罰則適用については、一般には理解されていない解釈問題や運用上の問題があり、弁護士等でも、必ずしも正確に認識理解しているとは限らない。また、意図的に誤った見解をSNS等で拡散する弁護士もおり、公選法についての誤った認識が拡散することが懸念される。
そこで、兵庫知事選挙に関連する公選法の問題について、3回に分け、
(1)虚偽事項公表罪の成否に関する問題
(2)選挙運動の対価にかかる買収罪の成否に関する問題
についての基本的事項も含む解説を行った上、
(3)今回の選挙をめぐる問題を受けての公選法の改正の方向性
について私見を述べることとしたい。
本稿では、まず、(1)について述べ、その後、(2)(3)について順次、投稿していく。
前提として、公選法という法律の一般的な傾向として、まず述べておきたいのは、同法には、選挙運動の自由、表現の自由の保障との関係から、選挙に関する発言や表現の内容自体に対しては基本的に寛大である一方、選挙に関する金銭、利益のやり取り、すなわち、買収や利害誘導等に対しては、投票買収・運動買収を問わず厳しい態度で臨むという一般的な傾向があり、判例・実務も、それに沿うものとなっていることである。
選挙に関する発言・表現の内容が選挙結果を左右するというのは、民主主義にとって望ましいことであるが、旧来の公職選挙においては、選挙に関する発言・表現が選挙結果に影響する程度は低いのが現実であったので、それをもっと積極的に行わせることが公選法の目的に沿うとの認識があったと考えられる。
その状況を大きく変えたのがSNS選挙である。SNSを活用すると、発言・表現が選挙において爆発的な威力を発揮する。「選挙運動の自由」を極力尊重しようとする公選法の規定だけで、SNSの威力から「選挙の公正」が守ることができない現実がある。
「選挙運動ボランティアの原則」との関係で言えば、従来は、選挙において不可欠なものとして、ポスター掲示、選挙カー運転のような機械的労務とウグイス嬢等だけについて例外的に対価支払が認められてきた。選挙で業務としてSNS運用に関わることが合法的に行える余地は小さい。しかし、選挙運動におけるSNS活用の重要性が急速に増大する中で、SNS活用は候補者にとって不可欠になりつつあり、それに関連する業務についても一定の範囲で対価支払を認めるルール変更も検討する必要がある、それを、「選挙運動ボランティアの原則」とどう整合させていくのかが重要な論点となる。
虚偽事項公表罪の適用範囲
選挙に関する発言・表現に対する罰則適用の典型例が公職選挙法235条の虚偽事項公表罪である。
1項で、「(特定候補を)当選させる目的」の虚偽事項公表については、身分・経歴・政党の所属等に関するものに限定して処罰の対象とされているが、2項では、「(特定候補を)落選させる目的」の場合について、あらゆる虚偽事項の公表に加え、事実をゆがめて公表することでも処罰の対象とされている。しかも、法定刑が、1項については「2年以下の禁錮又は30万円以下の罰金」であるのに対して、2項の犯罪については、「4年以下の禁錮又は100万円以下の罰金」とされている。
つまり、「落選目的の虚偽事項公表罪」は、「当選目的の虚偽事項公表罪」より、犯罪成立のハードルが低く、処罰は重く設定されているのである。
235条の1項は、誰かを当選させようとする通常の「選挙運動」についての規定で、場合には「口が滑る」ということもありがちなので,選挙への影響力が極めて強い「身分、経歴、政党の所属等の事項」等について虚偽の事項を公表した場合に限って処罰することとされている一方、2項は、特定の候補の当選を目的とせず、誰かを落選させるだけの目的の「落選運動」の場合であり、本来の選挙運動ではないから,そのような限定を外しても「選挙運動の自由」に対する制約は少ないということで、広い範囲が処罰の対象になっている。
そこで問題になるのが、「特定候補を当選させる目的で、他の有力候補を落選させることにつながる虚偽事項公表」が2項の適用対象になるのかという点である。
上記のように1項と2項を区別している趣旨からすれば、2項は、「特定候補の当選を目的としない、特定候補の落選だけを目的とする『純粋落選運動』」の場合に限定されるというのが素直な解釈だ。
私自身、2021年10月衆院選での「政治とカネ」問題での説明責任を理由とする甘利明氏の落選運動、2024年7月の東京都知事選挙での「カイロ大学卒」の学歴詐称問題を理由とする小池百合子氏落選運動、同年10月衆院選での「裏金問題」を理由とする丸川珠代氏の落選運動などで、「誰を当選させたい」ということは全く考えず、それぞれの理由で、各候補を落選させるための活動を行ってきた。この場合、ビラ、チラシの配布等について制限は受けないので、「落選運動チラシ」を公開するなどしてきたが、その際、落選運動としての発言や配布する印刷物の内容について、落選目的の虚偽事項公表罪の適用があることを当然の前提として、「虚偽」「事実歪曲」などにならないよう細心の注意を払ってきた。そのような2項の規定を特定候補の当選目的の発言にまで適用することは慎重に考えるべきだろう。
しかし、「特定候補を当選させる目的」であっても、そのための手段として「他の候補者を落選させる目的で、その候補者に関する虚偽の事項を公にする」というのは、正当な選挙運動から逸脱しているとみることもできる。そのような目的が明確な場合、「選挙運動の自由」として保護の対象にすべきではなく、広範囲に「虚偽事項」を処罰する2項の対象となる、と解釈する余地もある。
235条2項の適用対象が、このような「純粋落選運動」に限られるのか、今回の選挙で問題になっているような、斎藤氏という特定の候補を当選させる目的でで、対立候補の落選を意図して虚偽の事項を公表する行為も含まれるのか、この点は、本件について虚偽事項公表罪による処罰を求める場合の、大きな問題点である。
「稲村候補に関して虚偽事項を公表した」投稿・発言に関する問題
稲村後援会による公選法違反による告発の対象とされているのは、稲村氏に関して「外国人参政権を進めている」「県庁建て替えに1千億円をかけようとしている」などの「虚偽事項」がSNSで投稿され拡散されたというものだ。
選挙期間中の街頭演説で行われた同様の発言が、虚偽事項公表罪に当たるのではないかがSNS上で問題にされている。そのうちの一つが「NHK党」の斎藤健一郎参議院議員(以下、「斎藤議員」)の街頭演説での以下の発言だ。
稲村後援会の告発の内容からすると、稲村氏は1000億円かけて県庁舎を建て直す方針を示しておらず、「稲村候補が1000億円かけて県庁舎を建て直す方針を示している」と発言したとすれば、それが虚偽であることは明らかであろう。
しかし、斎藤議員の発言については、2項の虚偽事項公表罪の該当性には問題がある。まず、「稲村候補に関する虚偽事項」と言えるのかどうかだ。「言ってるよ。」というのが、「稲村候補が言っている」という意味であれば虚偽と言えるが、誰が言っているのかははっきりしない。誰かのいい加減な発言、あるいは予測であれば、稲村候補についての虚偽事項とは言いにくい。
そして、より根本的な問題は、「稲村候補を落選させる目的」と言えるかどうかだ。
演説の中では斎藤候補への投票を呼び掛けており、「斎藤候補に当選を得させる目的」の演説の中で、対立候補である稲村候補が「1000億円かけて県庁舎を建て直す方針」であるかのように発言しており、直接的に「稲村候補の落選を目的とする発言」と言えるかどうかは微妙だ。
この場合、2項の虚偽事項公表罪の適用に関して法解釈上の問題があることは、前述したとおりである。
本件で問題となっている稲村候補に関するデマ拡散行為の多くは、斎藤候補の応援・支援を目的とするものである。純粋に稲村候補の落選だけを目的とするものにしか2項の虚偽事項公表罪が適用できないとなると、処罰の対象はかなり限られたものとなる。この場合、既に受理されている稲村氏側からの告発は、アカウント凍結に関する偽計業務妨害罪の方が中心ということになるだろう。