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パラリンピック5人制サッカー日本代表「黒田先生」の夏休み

杉山孝フリーランス・ライター/編集者/翻訳家
背番号11をつけて大会に臨んだ黒田選手(写真:松尾/アフロスポーツ)

「黒田選手」のことは知らない。「黒田先生」のことは、ほんの少しだけ知っている。

 パラリンピックの5人制サッカー、「ブラインドサッカー」の日本代表は、8月31日の中国戦に0-2で敗れた。メダル獲得はならなかった。そのチームで背番号11をつけていたのが、黒田智成選手だ。

 黒田選手は先生だ。医師でも、政治家でもない。教師だから、本物の先生だ。

 黒田先生は、東京都立八王子盲学校に勤めている。通称「八盲」(はちもう)の教室で、黒田先生の声はよく通る。普段は控えめな声で話すのだが、目の不自由な生徒たちの頭と心によく響くよう、話の内容によって強弱をつけたりもするそうだ。

 黒田先生が教える「社会」の授業には、説得力がある。サッカーの遠征で行った南米の話もしてくれる。中国では、凹凸(おうとつ)のついた地球儀をお土産に買ってきた。授業ではそれを生徒に触らせる。ヨーロッパから日本までの航路を教える時には、ひもを張りつける。こうして、生徒たちは地理や歴史を学んでいく。

 黒田先生の授業では、冒頭に生徒によるニュース紹介を行う。それぞれ普段の生活やニュースで気づいたことを報告する。ある時は、東京の繁華街での蜂の大量発生について話した生徒がいた。乗り物好きの生徒は、地元で実験的に運行されているコミュニティバスについて報告した。その着眼点と行動力、分析力、問題点の見極め、そして伝える力。一流のジャーナリストと言っていい資質だった。

 ある時は、視覚障がい者への嫌がらせがあったというニュースを取り上げる生徒がいた。黒田先生は、どうしてそういうことが起こるのか、どう対処すればいいのか、どういう社会にしていくべきか、生徒たちと一緒に考えていた。

 八盲では、入学を考えている家の人たちや近隣の希望者などを対象に、学校公開を行う。2年前には、体育館でブラインドサッカーの体験もさせてくれた。日本代表選手である黒田先生が直接教えてくれるという、貴重な機会だった。

 目隠ししてサッカーするなんて、宇宙に放り出されたかのようだ。自分がどこにいて、どこへ向かっているかも分からないのに、鈴の音だけでボールという惑星にたどり着かなければならない。さらには足で扱い、ゴールまで決めるなど、奇跡に近い。飄々と超人的な技を見せる黒田先生は、選手はぶつからないよう「ボイ、ボイ」と声を出しながらドリブルするのだと教えてくれた。やはり、よく通る声だった。

 黒田先生は学生時代、自身過去最高のシュートを放ったそうだ。大学の授業中、極上のボレーシュートを放ったのだという。その一撃を、健常者である友人が渾身の横っ飛びで止めた。その際の一言がふるっている。「そう簡単に決めさせるか!」。そんなスポーツの、人生の真髄を笑いながら教えてくれる人は、やはり先生と呼ばれるべきだ。

 黒田先生は故郷の熊本で、オリンピックの聖火ランナーを務めた。黒田先生の手を経た聖火は、八盲のすぐ近くを通るはずだったが、コロナ禍でキャンセルとなった。

 黒田先生は大会前、ゴールを決めると生徒たちに宣言したそうだ。黒田先生は、初戦のフランス戦で2点を決めた。約束という言葉の意味を、生徒たちは学んだことだろう。

 中国戦でも、黒田先生は懸命にゴールと勝利を目指したが、どちらもあと一歩で届かなかった。それもまた、スポーツだ。

 8月が終わる。新学期が始まれば、八盲での忙しい日々が黒田先生を待っているが、「課外授業」は続く。ブラインドサッカー日本代表は9月2日に順位決定戦に臨むのだ。

 黒田先生の夏休みは、もう少し続く。

フリーランス・ライター/編集者/翻訳家

1975年生まれ。新聞社で少年サッカーから高校ラグビー、決勝含む日韓W杯、中村俊輔の国外挑戦までと、サッカーをメインにみっちりスポーツを取材。サッカー専門誌編集部を経て09年に独立。同時にGoal.com日本版編集長を約3年務め、同サイトの日本での人気確立・発展に尽力。現在はライター・編集者・翻訳家としてサッカーとスポーツ、その周辺を追い続ける。

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