「タカラヅカの革命児」真矢みきがトップ時代にやってのけた2つの挑戦
昨年末に寄稿させていただいた「天海祐希さん伝説」の記事は思いのほか反響を呼んだ。天海さんパワーに感じ入りつつ、そこでふと頭に浮かんだのが、真矢みきさん(現在は真矢ミキさん)のお名前である。
「元・タカラヅカの男役スターで、最も知られる芸能人」として名前が挙がるのはこの二人だろう。天海さんが月組トップスターであったのが1993〜95年。真矢さんが花組のトップスターであったのが1995〜98年。ほぼ同時期、入れ替わるようにトップになった二人でもある。
その意味では共通しているが、タカラヅカ時代の男役としての芸風は対照的だ。「自然体」「ナチュラル」と評された天海さんに対し、真矢さんはとことんまで作り込んだ、アクの強さが魅力の男役スターだった。
前回の寄稿で「良い意味でタカラヅカの男役らしくなかった」天海さんの魅力は、女優として活躍している天海さんの魅力に通じるものがあると書いた。ならば、逆にタカラヅカ時代は徹底的に作り込んだ男役だった真矢さんが今、芸能界で活躍できているのは何故なのだろう? そこで今回は、真矢みきさんのタカラヅカ時代を振り返ってみようと思う。
なお、真矢さんは2015年に「真矢みき」から「真矢ミキ」と改名されているが、この稿ではタカラヅカ時代の芸名「真矢みき」と表記させていただくこととする。
1.真矢さんのタカラヅカ時代を振り返る
遅咲きの御曹司? 3つの特色
1981年、真矢さんは宝塚歌劇団に67期生として入団した。タカラヅカでは何年かに一度、スターを輩出する「豊作の期」があるが、67期もまさにそれで、真矢さんの他、月組トップスターとなり現在も舞台で活躍を続けている涼風真世さん、月組のトップ娘役として大地真央さんとコンビを組んだ黒木瞳さん、日航機墜落事故で亡くなった美貌の娘役・北原遥子さんらが同期である。
入団後の真矢さんの歩みは、次の3つの特色にまとめられるだろう。
1)トップスター候補生として育てられた「花組の御曹司」だった
2)トップスターになったのは15年目。意外と遅咲き?
3)二番手時代の「ヤンミキ」コンビが大人気
1)トップスター候補生として育てられた「花組の御曹司」だった
入団後の真矢さんは、早くも3年目に新人公演で初主演。その後も7年目までの間に5度も主演している。「新人公演」とは、入団7年目までの生徒だけで本公演と同じ作品を上演するという若手の勉強の機会である。その主演はトップスターへの登竜門だが、7年目に近い人が行うケースが多いことや、1度しか主演できない人も少なくないことを考えると、真矢さんは、早くから相当に期待されていたといえるだろう。
2)トップスターになったのは15年目。意外と遅咲き?
ところが、トップスターへの就任は入団15年目だ。通常トップスター就任は入団10〜15年目あたりなので、15年目というのは「遅咲き」の部類である。トップスターまでの道のりを「双六」に例えるなら、新人公演卒業後の真矢さんのコマは遅々として進まなかったように見える。
3)二番手時代の「ヤンミキ」コンビが大人気
だが、真矢さんの場合、この時代にも特筆すべき経験を積んでいる。1992年、安寿ミラさんのトップスター就任に伴い、真矢さんは「二番手」と言われるポジションとなるが、この時期、安寿さんとのコンビが「ヤンミキ」と称され(「ヤン」は安寿さんの愛称)大人気となるのだ。
タカラヅカでは男役のトップスターとトップ娘役による「トップコンビ」とは別に、男役スター同士のコンビが注目を浴びることがある。「ヤンミキ」コンビはその筆頭として、今でもファンに語り継がれる伝説のコンビであった。
「革命児」がトップ時代にやってのけた2つの挑戦
1995年、満を辞してトップスターに就任した真矢さんは、その後、写真集の発売や日本武道館でのコンサート開催といった「真矢さんらしい挑戦」を次々とやってのける。真矢さんが「タカラヅカの革命児」と言われる所以である。
だが注目すべきはむしろ、この二つの「挑戦」がいずれもその後のタカラヅカに継承されていった点ではないだろうか。
1)篠山紀信氏による撮り下ろし写真集を発売
1997年、真矢さんの写真集『Guy』が発売された。当時はタカラヅカのスター個人の写真集発売自体が新たな試みであり、篠山紀信氏による撮り下ろしや、男役としての真矢さんと女性としての真矢さんを織り交ぜた構成、タバコをふかしたアンニュイなカットなども話題を呼んだ。
だが、今やスター個人の写真集は、タカラヅカ関連書籍の中でも人気商品だ。今では逆に「スターの写真集が存在しないタカラヅカ」など想像できないファンが大多数だろう。
2)日本武道館でのコンサートを開催
タカラヅカ退団直前の1998年7月には『MIKI in BUDOKAN』を開催。これまでにないコンサート形式であった点、しかもその会場が日本武道館であった点、ファン以外にもよく知られたつんくがプロデュースに携わった点がファンの度肝を抜いた。
だが、武道館のコンサートは、タカラヅカ100周年にあたる2014年に星組の柚希礼音が再び実現している。さらに2019年には明日海りおが横浜アリーナでのコンサートを開催した。最近では舞浜アンフィシアターでコンサートを開催するトップスターも多く、2018年の明日海りお、2021年の礼真琴に続き、今年は月城かなとが開催を予定している。そのほかの劇場でも、在任期間中にコンサートを行うトップスターは今では珍しくない。
このように真矢さんの2つの挑戦はその後のタカラヅカの「売り」になっており、その「先見の明」にも目を見張るものがあるのだ。
そして1998年10月、サヨナラ公演『SPEAKEASY』『スナイパー』をもってタカラヅカを退団したときも、前代未聞の長髪にしたことが話題になった。長髪を後ろで一つに束ねた真矢さんが黒燕尾で颯爽と登場した姿は、今でも脳裏に焼き付いている。あの独特の色気は、真矢さんにしか醸し出せないものだったと思う。
2.ファンのアンケートから見た真矢さんの魅力
圧倒的「真矢みき力」、コメディセンスも抜群
真矢さん在団中のファンだった方に「タカラヅカ時代の真矢みきさんの魅力」や「好きだった作品、役」などを伺うアンケートを実施してみたところ、19名の方から回答をいただいた。ここからは、寄せられたコメントなどを引きつつ、タカラヅカ時代の真矢さんの魅力についてさらに深掘りしてみたいと思う。
まず、興味深かったのが「歌やダンスが特別上手いわけではないのに」と前置きしたコメントがやけに目についたことだ。
タカラヅカはミュージカルとショー・レビューを中心に上演する劇団だから、当然のことながら演者には「歌・ダンス・芝居」の三拍子そろった実力が求められる。抜群の歌唱力を売りにする人や、名ダンサーと呼ばれる人など、トップスターとなる人の持ち味も様々だ。
だが、真矢さんの強みは歌でもダンスでもなく、真矢さん本人から発せられる唯一無二のオーラだったのだ。まさにコメントの「真矢みき力」という言葉が言い得て妙である。
また、そのユーモアやコメディセンスに基づいた「明るさ」や「楽しさ」について挙げてくれた人も多かった。
以上のことは、「タカラヅカ時代に好きだった作品や役」の回答の傾向にもよく表れている。最も多く挙げられた作品は『メランコリック・ジゴロ』で6名、『ハウ・トゥー・サクシード』が5名、『ダンディズム!』が4名と続いた。
『メランコリック・ジゴロ』(1993年)は、詐欺で一攫千金を夢見るダニエル(安寿ミラ)とスタン(真矢みき)の悪友コンビのすったもんだを描いたコメディだ。その後も2008年・2010年花組(真飛聖&壮一帆)、2015年宙組(朝夏まなと&真風涼帆)、2018年花組(柚香光&水美舞斗)と再演され、今では「男役コンビの絶妙なかけ合いを楽しむなら、この作品」という評価が定着した人気作だ。その端緒を作り出したのが、1993年に初演した安寿&真矢の「ヤンミキ」コンビということになる。
『ハウ・トゥー・サクシード』(1996年)はブロードウェイミュージカルで、主人公のフィンチが『努力しないで出世する方法』という本を参考に、窓拭きから出世していく痛快な物語だ。これもフィンチを飄々と演じる真矢さんの姿が印象的な作品だった。
ここで挙げられた2作がいずれも明るいコメディだというところが、真矢さんらしい。いっぽう『ダンディズム!』(1995年)はショー作品であり、そのコンセプトは「男役の美学」だ。まさに円熟した「真矢みき力」が存分に発揮されたショーで、中でも4色に色分けされたスーツ姿の男女が整然と踊るプロローグは鮮烈だった。このショーはその後も「ダンディズム」シリーズとして続演され、昨年末にも『ネオ・ダンディズム!』として星組で再演されたばかりである。
「革命児」は意外と苦労人
「タカラヅカの革命児」の異名を取った真矢さん。だが、それだけに終わらないところが、じつは真矢さんの魅力の真髄ではないかと思う。
つまり、圧倒的カリスマオーラや抜群のコメディセンス、斬新さといったアグレッシブな持ち味の対局に、常にファンを気遣い、自分に何が求められているかを冷静に見極めるバランス感覚を持ち合わせている人なのだ。それこそが真矢さんの真の強みであり、タカラヅカ卒業後も真矢さんが広く好感度を持って受け入れられている要因ではないかと思う。
そこで思うのが、「ヤンミキ」コンビが愛された真矢さんの二番手時代が、じつは真矢さん自身にとっても貴重な「雌伏の時」だったのではないかということだ。
真矢さん以前の花組トップスターは、「タカラヅカのアステア」と呼ばれた大浦みずきさん、そしてその系譜を引き継ぐ名ダンサー・安寿ミラさんと続いている。つまり、「ダンスの花組」の礎が築かれたのはこの時代なのだ。そんな花組を「歌もダンスも特別に優れていたわけではない」自分がいかに担っていくか? きっと真矢さんは考えたことだろう。
また、持ち味としても安寿さんは真矢さんとは真逆のクールさが売りのスターであった。真矢さんにとってのヤンミキ時代は、そんな安寿さんと自分を対比させながら、自分だけの魅力を研ぎ澄ませていった時間でもあったのではないか。
そんな模索の期間を経て、真矢さんは「『真矢みき』というジャンルを作りあげた」(アンケートのコメントより)のである。
「真矢みき力」から「真矢ミキ力」へ
タカラヅカ退団後の真矢さんに関しても聞いてみたところ、「退団直後は苦労されたようだが、今はとても魅力的」といったコメントが目についた。
たしかに、タカラヅカ時代に苦労して築き上げた「真矢みき」というジャンルは、タカラヅカという世界だからこそ通用するものだった。それが革命的で衝撃的だっただけに、次のステップにいくのにも時間がかかったのかもしれない。
だが、真矢さんはタカラヅカ時代と同様に、時代の空気を読み、謙虚に努力し、自分にできることを探し続けた。そして、その生き方自体を自然にさらけ出せるようになったとき、それは新たな「真矢ミキ力」として広く世の中に受け入れられるようになったのではないかと思う。
【この記事は、Yahoo!ニュース個人編集部とオーサーが内容に関して共同で企画し、オーサーが執筆したものです】