『やすらぎの郷』 東日本大震災の記憶が薄らいでいくことを懸念か
帯ドラマ劇場「やすらぎの郷」(テレビ朝日 月〜金 ひる12時30分 再放送 BS朝日 朝7時40分〜)
第10週 52回 6月13日(火)放送より。
脚本:倉本聰 演出:唐木希浩
冨士眞奈美劇場、フィナーレ
42話から続いた、濃密な冨士眞奈美劇場もついに終了。冨士演じる犬山小春が退場していく。それは悲しいけれど、すばらしい花道だった。
冒頭は、中島みゆきの歌(2番)と、キラキラした朝の海と、菊村(石坂浩二)と小春(冨士眞奈美)と秀さん(藤竜也)。
〈やすらぎの郷La Strada〉に詐欺をしにやってきた石上(津川雅彦)に、そうとは知らずについて来た小春は、彼にカードをもっていかれてしまったと言い、菊村と秀さんにお金を貸してと頼む。秀さんはモデル料だと言ってお金を手渡す(粋だ)。
その後、彼女が〈やすらぎの郷La Strada〉を出ていくとき、菊村以外見送りに来ないと思わせて、姫(八千草薫)とお嬢(浅丘ルリ子)が
現れ、お餞別まで手渡して、見送る。
風に吹かれて消えていく
「インフルエンザが流行ってなけりゃあ、ねえ。みんなお話聞けたのに」(47話)と、最後まで嘘を突き通す姫。嘘をついて、小春の歓迎会に出なかったお嬢が「話が聞けなくて後悔している」と小春の手を握る。
その時の、冨士眞奈美と浅丘ルリ子の手の皺を見て、その前の海辺での、秀さんの台詞について考えた。
皺を美しいと言う秀さんは、海の岩のでこぼこにも美を見出す。そこに人間の姿を重ねながら語られる話は、岩が、やがて小さな石ころになり、それが砕けて砂になり、風に吹かれて消えていく、それを風化という というような気の遠くなるようなところにまで発展していく。そういえば、44話、バー・カサブランカで菊村と小春が出会ったとき、ボブ・ディランの『風に吹かれて』がかかっていた。
秀さんは登場からずっと、人生が刻まれた皺を肯定することで、老いの価値を語る役割をしている。
前述の、小春とお嬢が手を握り合う姿。確かにふたりの手にも顔にも皺がある。『やすらぎの郷』放送の前に出版された『平凡プレミアムselection-今も輝き続ける女優たち 8人の女』(マガジンハウス)は、このドラマの出演女優8人の若かりし頃の写真を掲載していて、ドラマと見比べて見る楽しみがある。なんてきれい、なんて可愛らしいと思うけれど、今現在の彼女たちに刻まれた皺は、秀さんじゃないが、たしかに魅力的だ。
忘れていいこと、いけないこと
だが、秀さんは、一連の含蓄ある言葉を発したのち、「先生、私はいま何を言おうとしたんですかね」と言い出す。
「人は忘れます。そのうち過ぎたことを。東日本大震災のことだって、原発事故のことだって人は簡単に忘れたでしょう。忘れちゃいけないことを忘れたでしょう。だから忘れます。忘れましょう」と笑い飛ばす秀さん。
菊村はそれを「何を言いたいのかわからなかった。それでも秀さんの優しさは伝わった」と語る。
忘れることもいいことだというのは、46話で、小春がしのぶ(有馬稲子)に過去の出来事を謝ったとき、昔のことは忘れたと「あんたも忘れなさい。認知症にかかりなさい」と言うこととも繋がっている。これもまた老いの肯定だ。
だが、その忘れることの例として、東日本大震災や原発事故を挙げるのは、痛烈な皮肉である。倉本聰のシナリオ集(双葉社)では、「いけませんよね、そういうこと忘れちゃ」「でもスね。だから。人は忘れます」「だから忘れましょう」になっている。忘れちゃいけないに変わりはないが、「忘れちゃいけないことを忘れたでしょう」はいっそう鋭く突き刺さるように感じる。
手前味噌で恐縮なうえ、昼ドラとは直接的に関係ないが、筆者は先日、近年の朝ドラを考察した『みんなの朝ドラ』(講談社現代新書)を出版したのだが、それを読んだ岩手県知事の達増拓也 氏が
{{{
東日本大震災の時に助け合いツールだったツイッターが、『あまちゃん』を一緒に楽しむツールになった…との指摘に納得
}}}とTweetしてくれた。
筆者が今回、本を出した理由のひとつに、今、テレビドラマの盛り上がりに欠かせないTwitterが、東日本大震災のときは安否確認や情報交換、助け合いツールとして活用されていたことをはじめとして、朝ドラ『あまちゃん』のロケ地となった久慈のシャッターアートで町興しのことなど、時計代わりのような存在だった朝ドラが世間の話題の中心にのぼるようになるきっかけをつくった『あまちゃん』にからめて、いまこの時期に書き残しておきたい気持ちがあった。なかなか東北に足を運べない分、せめて言葉を発することを止めたくないと思った。
忘れることが大事なこともあるし、忘れちゃいけないこともある。忘れたいこともあるし、決して忘れられないこともある。忘れたくないのに、忘れてしまうこともある。『やすらぎの郷』52話は、この簡単に答えの出ない人間のジレンマが短い時間の中に凝縮されていた。