「白い暴動」ロックが白人と黒人の若者を融合。イギリスのもう一つの反黒人差別運動の物語
アメリカで、白人と黒人が共に黒人差別に抗議活動をしている。
その動きを受けて、イギリス全土でも6月13日、抗議デモが行われた。
しかしロンドンでは情勢が過激化し、100人以上が逮捕される事態となった。警官6人も負傷したという。
チャーチルの銅像も攻撃の対象となり、「反人種差別活動に対抗する」という極右との間に、小競り合いが起こった。
ちょうど1週間前、イギリス人からのメッセージが世界を駆け巡ったところだった。
路上アーティストで、鋭い社会風刺画家のバンクシーが、自分のインスタグラムに作品を発表したのは、6月6日のことだった。
そしてメッセージを添えた。
「最初は、黙って黒人の言うことに耳を傾けるべきだと思っていた。でもなぜ自分はそうするんだ? これは彼らの問題じゃなくて私の問題じゃないか」
「有色の人々は、システムによって裏切られ続けている。白人のシステムだ。アパートのパイプが壊れて、階下にすんでいる人々が水浸しになっているように。この欠陥のあるシステムは、彼らの生活をみじめにしている。でも、解決するのは、彼らの仕事ではない。彼らは出来ない――誰もアパートの上の階に彼らを入れさせないだろう」
「これは白人の問題だ。もし白人が解決しなかったら、誰かが上がってきて、ドアを蹴破るだろう」
バンクシーは正体不明だが、イギリス人で、40代だろうと言われている。今回の発言から、どうやら白人のようだ。
イギリス人からアメリカへの、アーティストのメッセージ。そして今回の小競り合い。
この状況は、かつてイギリスで起きた、もう一つの黒人差別の抗議運動「白い暴動」を思い起こさせた。
人種差別に反対するロック
1970年代後半のイギリスで、今のアメリカと同じような「人種差別反対」の大ムーブメントがあったのは、あまり知られていない。
「白い暴動」とは、2019年ロンドン映画祭で最優秀ドキュメンタリー賞を受賞した映画のタイトルである(今週は公開中である。観たい方は急いで劇場へ)。パンクバンドの雄、ザ・クラッシュの名曲からタイトルを取っている(アルバム名でもある)。
当時のイギリスは、オイルショックの不況から立ち直れず、不況と失業が蔓延していた。
このような鬱屈した世相のなか、極右の「ナショナル・フロント」が台頭。移民は全員「国に帰れ」と主張し、黒人への差別を煽った。
そんな中、音楽を武器に人種差別と闘う若者たちがいた。
アーティストが主導して、イギリス最大の公民権運動「ロック・アゲインスト・レイシズム(反人種差別のロック)」が起こる。
ザ・クラッシュをはじめスティール・パルス、トム・ロビンソン等が賛同し、やがて市民約10万人による世紀の大行進へと繋がっていく。
音楽が人々を突き動かし国家さえも揺るがした、反骨のムーブメントがあったのだ。
映画「白い暴動」は、昨年2019年、やはり極右が台頭して、イギリスが欧州連合(EU)を離脱しようとする世相のなかで制作されたものだ。
社会派音楽ドキュメンタリーで、当時の貴重な映像や写真、今はすっかり良い年になった当時のコアメンバーのインタビューで構成されている。
映画の最後は、1978年4月30日に行われた、ヴィクトリア・パークで、白人と黒人が一体となった10万人の大コンサートで終わる。鳴り渡るロックと若者の「連帯」の熱狂は、圧巻である。
ロックが社会を変えるとき
1976年、セックス・ピストルズの「アナーキーin the UK」は、社会に大きな衝撃を与えた。ここからパンクは始まったと言ってもいい。
しかし、パンクロックは、政治的な立ち位置はあいまいなものだった。反抗、反逆、暴動・・・その先に何を目指すのかを示すものではなかった。
極右で人種差別の政党「ナショナル・フロント」が台頭した中で、若者は極右と左派に揺すぶられた。
今でこそスキンヘッドは極右(や危ない人)を指すことが多いが、当時は左派もいたし、パンクファッションの代名詞のようなものだった(ただ、映画にも描かれているように、当時も極右のほうが多かった)。
極右にふれるミュージシャンたち
当時、極右を支持する発言をした有名ミュージシャンたちは数多かった。
例えばエリック・クラプトン。
全英ツアーの最中、バーミンガムのコンサートで、「中東系を追放しろ、黒人を追放しろ」と言った。原文は「Get the wogs out, get the coons out.」で、wogというのは肌の色の浅黒い人のことで、主に中東系、そしてアジア系も含み、 coonは黒人のことで、どちらも侮蔑語である。
そうしないと「この国は10年以内に植民地になる」といって、極右の保守党議員ノーイック・パウエルを擁護した。
デヴィッド・ボウイは、ナチスに魅了されていた。「この国のリーダーにファシストを」などと発言した。
2年も滞在したアメリカから帰国したとき、ビクトリア駅で、オープンカーのメルセデスに乗って、腕を斜めに延ばしたナチスの「ジーク・ハイル」のような挨拶をして写真に収まった。
彼が生み出した「痩せた青白き公爵」のキャラクターは、非常にアーリア人で、ファシストタイプだった。この「Station To Station」の時代、彼はヒトラーと第三帝国の本を熱心に読み、ナチの道具を収集していた。
「ロック・アゲインスト・レイシズム」(以下「反人種差別のロック」)は、左派の写真家のレッド・ソーンダズによって創設された。音楽界から差別を追放するために。
左派というのは、人間はみんな平等だ、労働者は平等であるべきだという思想のことを言う。
彼は、特にクラプトンに対して怒っていた。「偉大なブルース奏者だが、ブルースは黒人奴隷制からうまれた音楽だ。彼は黒人を食い物にしている」と言って。
しかし当時、政治的色彩があいまいなミュージシャンは多かった。
アダム&ジ・アンツは、ナチスのイメージを使っていた。シャム69は、極右と左派の両方のファンを集め、ザ・ジャムのポール・ウェラーは、保守党を支持する発言をしていた。
セックス・ピストルズは、突き抜けて破壊的で、政治的な意味は不明だった。
例えば「ベルゼン収容所はガス室だった(Belsen was a Gas)」という曲では、「ユダヤ人が横たわっているむき出しの墓。人生は楽しい。お前がそこにいればいいのに」「男(人)になれ。人を殺せ。自分を殺せ。男(人)になれ」と歌っている。
これは極右ナチス思想の支持だろうか、それとも全くの反対で、痛烈な批判だろうか。
アーティストの役割
このように、若者の不満のエネルギーが爆発するなか、その爆発がどちらに行くのか、レッド・ソーンダズは一つの方向性を与えたと言える。
彼は明確に左派で、黒人差別に反対で、白人と黒人の連帯と団結を唱えた。根底にあるのは、黒人音楽への尊敬だったに違いない。
彼は写真家として、有名音楽誌等のためにたくさんのミュージシャンの写真を撮り、アルバムのカバーも撮影していた。若い頃はモッズだったという。演劇の経験もあり、音楽ライターをつとめることもあった人物だ。
彼の周りには、同じく左派の同志が集まっていった。外国経験がある人が多いのが興味深い(ちなみにクラッシュのリーダー、ジョー・ストラマーも、外交の事務職の父をもち、トルコで生まれている)。
彼らが社会に与えた効果は、ジョン・レノンとオノ・ヨーコの関係に似ているかもしれない。
ジョン・レノンは天才ミュージシャンだが、ビートルズ時代は、権威を皮肉る歌詞を書く程度だった。「Power to the people」のような曲を書き、人々を動かすイコンとしての地位を得たのは、知的なアーティストであるオノ・ヨーコなしには決してありえなかったのではないか。
新しい新聞の貢献
レッド・ソーンダズは、仲間と共に新聞「Temporary hoarlding」を創刊した。
ミュージシャンのインタビューを掲載し、彼らの考えを言葉ではっきり読者に伝えた。そして読者の議論を喚起した。
この紙面で、例えばアダム&ジ・アンツははっきりと「反ナチス」を語っている。「俺はクソ野郎のナチスではない。俺の両親はロマ・ジプシーだった。殺されたのはユダヤ人だけじゃなくて、スラブ人、ジプシー、黒人もいた(ゲイや社会主義者もいた)。他の誰よりもナチスが大嫌いな理由はある」(表現は原文ママ)。
ピストルズのジョン・ライドンも、同紙に極右のナショナル・フロントを軽蔑していると語っている。「誰も、肌の色のせいで、ここに住んではいけないなどと言う権利はない」。
このように、編集部の人たちは、明確に人種差別反対の思想をもって、あいまいなミュージシャンたちに、言葉ではっきり質問をし、彼らの考えを明らかな言葉にすることができる人たちだった。
ソーンダズと仲間たちのような編集者やアーティストがいなかったら、パンクの若者たちの不満のエネルギーは方向性をもたないまま浮遊して、結局ただの「時代の空気」に終わったのではないか。
編集者たちは言う。「表現こそが政治活動だった」と。
「反人種差別のロック」のマニフェストは「反逆の音楽、ストリートの音楽、お互いの恐れをぶち壊す音楽、危機の音楽、今の音楽、真の敵は誰かを知る音楽。音楽を愛せ、人種差別を憎め」。
既存の団体の広範な支持
そしてもう一つ重要なのは、常日頃から政治的な力をもつ団体の支援である。
社会主義労働者党という政党、各地の労働組合やカウンシル(評議会)などが広範な協力をした。そこには、戦前から綿々と続く「人間の連帯」「労働者の連帯」を訴える、左派思想を支持する老若男女が、組織として存在していた。
この「組織」というところが大事である。人は個人では、なかなか力は発揮できないものだ。組織内で活動的なメンバーであろうと、幽霊メンバーであろうと、拠点があることが大事なのだ。
筆者はフランスに滞在して、欧州の左派の人たちの層の厚さに驚いた。政党から各種団体、NGOまで、しっかりと根づいて存在している(ある意味、EUそのものが、左派の結実と言えないこともない)。
もちろん、決して主義を変えない人もいれば、選挙の投票では「今回は中道左派じゃなくて中道右派に入れる」という柔軟な層もいる(でも決して極右は支持しない)。
やはり自分たちの手で人権を勝ち取り、自分たちの運動で奴隷制や身分制度を廃止して、恐るべき揺り戻しを経験しながらも民主主義を確立していった人たちは違うのかも、と思うことがよくある。
日本でも、若者が新しい政治的ムーブメントを起こすことがあった。シールズもその一つだった。でも、日本では、ただ存在して運動をするだけですら、たくさんの弁解を必要とし、しかも就職だからと「卒業」しなければならない。ヨーロッパ人には全く理解できない社会の在り方だ。
もちろん欧米でも、社会人になれば学生時代のような理想ばかりは言っていられなくなる。でも、社会がおかしいと思った批判の考えは持ち続け、働きだしても、団体やNGOの活動や支援を通して、あるいは投票行動で自分の意志を示すのは、ごくごく普通のことである。
日本には、こういった広範な社会の後ろ盾が存在しない。異議を唱えた若者の運動が孤立してしまうのだ。
「ロック・アゲインスト・レイシズム」は、社会の不条理に怒る若者とロックミュージシャン、そして彼らと広範な社会団体を結びつける役割を果たした、知的アーティストの存在――彼らが一つになったとき、黒人のレゲエミュージシャンと、白人のパンクミュージシャンの融合が生まれた。
黒人と白人が決して一緒にギグをしないし、観客も一緒にならなかった時代に、両方のミュージシャンが共に並ぶコンサートを実現した。1978年には300近くのギグとカーニバル、1979年には300を超えるギグと13のカーニバルを実現したのだった。
これほどのスケールで展開する大ムーブメントは、既存の団体の支持なくしては、実現しなかっただろう。
アメリカと欧州、自由と平等
今、アメリカで黒人差別に反対する動きが起きている。
1970年代後半のイギリスと同じように、一種の黒人の公民権運動なのだが、アメリカとイギリスでは微妙に異なると思う。
アメリカは自由が何よりも大事なので、不平等が見過ごされる傾向がある。
実質上、階級のように格差があるのだが、でもやはり階級とは違うという、不思議な国である。
それはアメリカが、自由を求めて創られた国だから、例えば新型コロナ感染問題で「マスクをしない私の自由を侵害するな」と言える国だからだ。
それでも、アメリカの歴史というものは、ある時、日頃の溜まって膿んだ不平等を埋め合わせるかのように、人々が立ち上がって差別を訴える波が起きるのだ。
大変荒れている状況なのに、そこまでの表現する自由と、各自が立ち上がって社会を変えようとする様子に、眩しさを感じないでもない。
一方でイギリスの「白い暴動」は、イギリスに根強く残っていた階級社会を打破する動きであった。新大陸のアメリカと違って欧州だなと思う半面、イギリスは階級制度などなくなっている欧州大陸とは違うな、とも思わせる。
当時のイギリスの問題は、黒人差別の問題だけではなく、日頃差別されている労働者階級の白人達が、一層差別されている黒人を、どう遇するかという問いでもあった。
階級社会というのは、支配に都合のよいピラミッドである。上には上がいるが、自分よりも下には下がいると思わせ差別させるシステムである。こうして各階級の人々は、それなりに満足と自負を得られるという仕組みだ。だから最下層は「人間ではない」という扱いになってしまう。
極右が労働者階級の若者に受け入れられたのは、日頃差別を受けている人が、より弱い者を差別してうっぷんを晴らしたこと、そして「私たち労働者階級だって、貴族や金持ちと同じ白人だ!イギリス人だ!」「黒人は違う!」と主張できたからだろう。
でも結局、差別の刃(やいば)は、一層研ぎ澄まされて、黒人の次は自分たちに向かうものとなったに違いないのだ。
今は、イギリスは階級社会ではなく、格差社会となった。
しかし、以前ほどあからさまではない極右が台頭して、EUを脱退してしまった。左派はいま、弱っている。
そんな中、再び40年前と似たような状況が起こりつつある。
歴史は繰り返すのだろうか。
イギリスはどこに向かうのだろうか。そしてアメリカの差別反対運動は、ミュージシャンやアーティストを輩出する一大ムーブメントになるのかどうか。いや、それはむしろ、イギリスから起こってアメリカに波及するということは起きるだろうか。
そして、香港問題を包括する、自由を求める大きな世界的動きに発展するのだろうか。
それとも2020年の今は、極右と極左が過激化して、一般の人は取り残されてしまうのだろうか。
「白い暴動」ザ・クラッシュ
以下のビデオは、映画のタイトル名になったザ・クラッシュの「白い暴動」である。
象徴のデザイン
最後に、この映画に出てくる様々な象徴的デザインを紹介したい。
1,こぶしを突き上げるデザイン
トム・ロビンソンが、最後のカーニバルシーンで着ていた服。
こぶしを上げるマークは、中道左派よりも、もっと左の人が使うマークである。労働運動や、社会主義・共産主義革命と密接に関わっているデザインだ。
筆者が勉強したソルボンヌ大学の学生団体は、大学の「コミューン」を名乗って抗議活動していたとき、このこぶしのマークを使っていた(同大学は全体では左派の牙城のような所だが、内部には右派もいる)。
アメリカ(やイギリス)では、こういう人たちを「アカ」「共産主義者」と呼んで忌み嫌う土壌がある(日本のインテリでも脳真似をしている人たちがいる)。「平等」を目指した社会主義・共産主義革命は、自由の天敵であり、個人が築いた財産や地位をぶっつぶすと思う人達だろう。
一方、フランスや欧州大陸の西欧では、嫌う人や古臭いと無視する人はいるが、忌み嫌う感じではない。いて当たり前だからだ。やはり「平等」を目指して、市民自らの手で階級闘争で王政を倒した欧州大陸は、新大陸(やイギリス)とは違う。
2,騎士の旗
ナショナル・フロントがデモをしている時に、掲げていた旗である(公式の旗ではないようだ)。騎士のデザインが描かれている。
面白いことに、フランスでも時々、極右が騎士の姿を旗に描くことがあるのだ。フランスの場合は、その人物はカール(シャルル)・マルテルから来ていると言われる。
7−8世紀のフランク王国の宮宰で、イベリア半島から西欧に侵略しようとするイスラム教徒国(ウマイヤ朝)の進撃を食い止めた人物だ(トゥール・ポワティエ間の戦いというのが有名だ)。これ以降、西欧に入ってくるイスラム教徒の国は、今に至るまで存在しない。
つまり騎士のデザインは、異教徒・異民族の侵略から自国を守ったという象徴であり、独自の文化を誇る意味合いをもつ。
フランク王国は、フランスだけではなくてドイツやイタリアの起源でもある。欧州全体の歴史という点で、同じ騎士の伝統なのかもしれない。
3,「反人種差別のロック」のロゴ
五角の星は、社会主義者たちのシンボルである。
五角は、五大陸における人々の平等を表している。
かつての東側の国では、よく国旗に使われた。ソ連の国旗にも星が描かれていた。
今でもキューバの国旗や、カタルーニャの独立派が使う旗にも使われている(もちろん、中国や北朝鮮の国旗にもある。ただし彼らが社会主義国かというと、もはや全くかけ離れているだろう)。
「ロック・アゲインスト・レイシズム」では、星に円を足して、人々の連帯を表現し、デザインの柔らかさを与えたということだ。
この極右と左派の対立は、ファッションやスタイル、美しさの対立でもあったと思う。
多くの人が魅せられたように、極右ナチスのスタイルやファッションは、独特の美しさがあるのは認める。ヒトラーは画家だっただけあり、「美」の重要性を知っていた。
一方で、左派の「反人種差別のロック」の側は、カッコいい。新聞「Temporary hoarlding」は、思わず手に取りたくなるし、ずっと保存したくなるクールさだ。
パンクは左派のカラーであると定着する前は、左派の人たちはフォークソングを歌っていたという。古臭いと言わざるをえない。
パンクのスタイルを左派の側にひきつけて、魅力あるものにしたことは、「反人種差別のロック」の大きな功績だったと思う。
※6月14日朝発表の記事を、夜に一部書き換えました。