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災害関連の記事数から読み解く私たちの防災意識

福和伸夫名古屋大学名誉教授、あいち・なごや強靭化共創センター長
(写真:ロイター/アフロ)

神戸から21年

今週末、1月17日で、阪神・淡路大震災から21年を迎えます。夜が明ける前、早朝5時46分、震度7の強い揺れが阪神地域を襲い、10万を超える建物が全壊し、6000人を超える人が犠牲になりました。あらゆる建物が壊れ、火に覆われた被災地の情景を見て、全ての日本人が深く悲しみ、地震に負けない強い国を作ることを誓いました。さて、私たちはそんな思いをどれだけ今でも持ち続けているでしょうか。

「耐震」の記事数

「災害は忘れた頃にやってくる」との寺田寅彦の言葉のように、私たちは過去の災害のことを忘れがちです。そこで、阪神・淡路大震災以降に中日新聞と東京新聞に掲載された「耐震」の記事数を調べてみました。これは、中日新聞・東京新聞記事データベースで「耐震」をキーワードとしてヒットした記事の総数です。ただし、東京新聞のデータは97年以降の記事数です。

中日新聞・東京新聞に掲載された「耐震」に関する記事数の変遷
中日新聞・東京新聞に掲載された「耐震」に関する記事数の変遷

図のように、記事数はのこぎりの歯のように、幾つかのピークをもった減少曲線を繰り返しています。この間には、1995年阪神淡路大震災、2000年鳥取県西部地震、2003年十勝沖地震、2004年新潟県中越地震、2005年福岡県西方沖地震、2007年能登半島地震、新潟県中越沖地震、2008年岩手・宮城内陸地震、2011年東日本大震災などの地震が起きています。また、中央防災会議からは、2002年に想定東海地震の地震防災対策強化地域の見直しが、2003年に東海地震対策大綱と東南海・南海地震対策大綱が、2005年に首都直下地震対策大綱が公表されました。

地震や国の施策は意識を向上させる

これらと対比すると、図のピークは、阪神・淡路大震災、強化地域見直し、地震対策大綱公表、東日本大震災などと対応しているように見られます。筆者が居住する名古屋では、想定東海地震の震源域見直しによって、2002年に強化地域に指定されました。これによって、中日新聞の記事数が急増しています。一方、東京新聞の記事数が2005年に増えたのは、首都直下地震の対策大綱の影響が大きいようです。

移り変わる関心

つぎに、「地震予知」「耐震補強」「防災教育」の記事数を調べてみました。「地震予知」の記事数は、地震発生や東海地震震源域見直しで時々増えていますが、全体としては徐々に減ってきています。これに対して、「耐震補強」は地震対策大綱後の耐震化施策の進展によって、また「防災教育」は東日本大震災での津波被害によって、記事数が急増しています。報道は、国民の関心にも左右されますから、国民の意識が変化しているのだとも思われます。

中日新聞・東京新聞掲載「地震予知」「耐震補強」「防災教育」の記事数
中日新聞・東京新聞掲載「地震予知」「耐震補強」「防災教育」の記事数

東京と名古屋の違い

最後に、首都圏と名古屋圏との違いを見てみるために、「地震」「耐震」「防災」について、東京新聞と中日新聞の記事数を比較してみました。「地震」のような科学的な記事数は2つの新聞で余り変わりませんが、我が家の「耐震」や、地域に根付いた「防災」の記事数は、東京新聞の方が中日新聞より少なくなっています。「防災」に関しては東日本大震災以降増加していますが、ピーク後の減少度合いが大きいように感じられます。首都圏の人たちは、地元への関心が地方と比べて低いのかもしれません。

東京新聞と中日新聞の「地震」「耐震」「防災」の記事数の比較
東京新聞と中日新聞の「地震」「耐震」「防災」の記事数の比較

災害を減らすには、自助の耐震、共助の地域防災が大切になりますので、地震に関する関心を持ち続け、災害を未然に防ぎたいと思います。

名古屋大学名誉教授、あいち・なごや強靭化共創センター長

建築耐震工学や地震工学を専門にし、防災・減災の実践にも携わる。民間建設会社で勤務した後、名古屋大学に異動し、工学部、先端技術共同研究センター、大学院環境学研究科、減災連携研究センターで教鞭をとり、2022年3月に定年退職。行政の防災・減災活動に協力しつつ、防災教材の開発や出前講座を行い、災害被害軽減のための国民運動作りに勤しむ。減災を通して克災し地域ルネッサンスにつなげたいとの思いで、減災のためのシンクタンク・減災連携研究センターを設立し、アゴラ・減災館を建設した。著書に、「次の震災について本当のことを話してみよう。」(時事通信社)、「必ずくる震災で日本を終わらせないために。」(時事通信社)。

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